黙祷
3年前の今日の事を思い出すと本当に胸が痛みます。
まったりとした金曜日の午後が一瞬にして悪夢に変わりました。
停電にならなかったので、テレビをつけっぱなしにしました。
スタジオが揺れるとマンションも揺れる・・とう感じ。
確か、最初はフジテレビの裏手が燃えたと言ってました。
それから福島かどこかの民家が潰された映像が流れ・・・・・
でもどうにもこれは大変な事になったと思っている間に
「つなみ警報」
でも、正直、そんなに心配してなかったんです。だって、何度もそういう警報が
出ても、本当に津波が来る事がなかったし。
ライブカメラの中継でも、穏やかな海だったんです・・・最初は。
それがあっという間に波にさらわれて、消防車が波にのまれているのをみて
驚きました。
津波が来ているのに岸壁を人が歩いているのを見て驚きました
「早く逃げてよ」ってテレビに向かって言いました。
被災地の避難所からの映像では、雪が降っている程寒いのに
体育館の中では火を使えず、外のドラム缶の炎で暖をとる人達に
衝撃を受けました。
体育館内では火がつかえない・・・なんと面倒な国なんだ。この非常時にと。
テレビカメラの明かりが唯一の光であるとも言われました。
消したら真っ暗。
皆さんは本当の「闇」を経験した事ありますか?
宮城県沖地震のあと、停電になり我が家ではろうそくで明かりをとって
いたのですが、その時、こっそり外に出てみたんです。
びっくりしました。
1歩先すら見えない漆黒の闇が広がっていて、一瞬、私は目が見えなくなった
のではないかと思い、怖くなりました。
そんな闇の中で一晩中過ごす事を思うと。
しかも雪が降る程寒いのに。少しは融通を利かせられないのかと心底思いました。
30分置きの余震に震えて、ヨンジュナの頭をテーブルの下に置き、
私と姫が取り囲んで眠った夜
本当に、その当事者になった時、頼れるものはなんだろう・・・・って。
夫も息子も頼りにならないこの現実。女だけですごす夜。
家族とは何か。夫婦とは何か。考えさせられました。
昨日の「TVタックルは」「被災地の復興」がテーマでした。
いわゆる、被災地と中央政府の考え方の差、感覚の違いが浮き彫りに
なり、考えましたが。
巨大な防潮堤は必要か否か
宮城県でしたっけ?巨大な防潮堤を3つ作ろうとしている話。
理由は「高速道路や農地を守るため」
しかし、農地と呼ばれる場所はすでに潮につかって意味がない。
巨大な防潮堤を作ったら海が見えなくなる。
「漁師がどんな生活してるかわかってねえべ!」と怒る。
その気持ちはわかる
全てが行政主導で、被災地にいる人の気持ちを考えていない事は。
県 → 予算が出るうちに使い道を決めて使ってしまいたい。
国 → 元の土地で暮らせるように防潮堤を作りたい
被災者 → 潮に使った土地なんか農地に出来るわけない
農業はやりたくない。
この違い・・・・・ ががーんですね。
確か、被災直後は「元の町に住みたい。高台に避難しろって?
漁師の生活をなんだとおもってんだ」といい、今もまた
「高い防潮堤を作ったら海がみえねえべ」といい。
「1000年に一度の津波なんか、俺たちが生きている間はもう来ないっちゃ。
だったら無駄な防潮堤さ作るより、現金化して俺たちに渡してくれても
いいんんでねえべか」
って話でしょ?
東北人の悪いくせ・・・・大所高所からものを見る事が出来ず、現状を変える
力もなく、ただただ不平不満に終始しているような気がします。
発想の転換が出来ない。
震災前に戻りたい・・・という意識しかないような?
それが無理だったら、農業も漁業もやめるから金を・・・って感じでしょうか。
アンケートの「出来れば人に託したい」という意味は、「出来れば農業を
やりたくない」って事だったらしい。そこを国がはきちがえて解釈したから悪いと。
確かに巨大防潮堤は必要ないと思いますよ。
あんな馬鹿でかいの作ったら、本当に海が見えなくて困るよね。
そこの更地を自衛隊の空港にするとか、って案もありだと思います。
それでいいならそうしたら?
無理して防潮堤なんか作ってあげる必要はないわ
いくら高齢化している第一次産業の人達とはいえ、今までのツケを
(農業や漁業をよりよく発展させ、ブランド化できなかった事。
兼業ではなく専業で生活できるようにしなかったこと)を全部国に払わせるのは
今の日本では無理ですって。
福島の仮設住宅格差
これがとうとう電波にのったかという感じ。
3年前から郡山宮夫妻が散々「愚痴」として言ってた事。
原発避難者には10万円の手当が出るので裕福
津波や震災避難者には出ない
暇を持て余した被災者達が町にあふれる
画面に出たのはいわき市でした。いわき市はもっともこの格差が高く
さらに偏見や差別が助長されているらしい。
でも、郡山も似たようなものでしたよ・・・・ちょっと前まで。
いや、もしかしたら今でも。
郡山宮に限らず、みんな「東電関係は今まで散々いい思いをしてきて
さらにお金を貰って毎日ヨーカードーでたむろし、レストランで食事する。
自分らは一銭も出ないし、家も中途半端に傷んで補償の対象じゃない」って
思っている事は確か。
それに対して。その「格差がある事」には一切触れずに
「仮設住宅民同士の軋轢」−人口が増えてしまったからいわき市民の
怒りがーーとか、税金を払わずに(住民票が元のまま)公共施設を使うーー
とか そっちばかりクローズアップ。
本当はそうじゃないんですよ。
「原発被災者」「津波被災者」の間に待遇の差がある事が問題なんです。
だってどちらも高齢化しているし、働けないし・・・・
こうしてみると3年経ってもなーんも変わってない事がわかります。
阪神大震災の時は、3年でこんなに変わったって実感できたのに
東北は、3年経って更地が増えただけ・・・・・
聞こえてくるのは文句ばかり。これじゃ若い人たちが故郷にとどまるわけがない。
「昔」「以前」でなければ一切を捨てるという選択しか出来ないとは。
東北の農業と漁業は何だったんだろうと思いますね
総理・・・「祈念施設」いらないです。カウンセラーより介護者では?
とにかく、東北の人達はお金がないの。(原発の人は別にして)
今、食べるお金がないと教育も介護も受けられません。
そういうレベルの話なんです。そこが都市部と違う部分。
3年前の3月11日から1ヶ月後の4月11日に東宮御所では
丸一日かけて「お楽しみ会」が開かれていたんでしたっけね。
ライフラインの復旧もまだ。避難所には多くの人があふれていた頃。
関東でも水がないーーと大騒ぎしていたころ。
皇太子はビデオを回し、子供たちは大騒ぎしていたんですよね。
入学式・始業式・卒業式。終業式もままならない子供達が何千人もいたのに。
この事、忘れてはいけないと思います。
「心を寄せる」事が全部ウソであった事を。
福島と岩手ってやっぱりPRが上手だなと思います。
福島には西田敏行がいる。だからなのか、「がんばっぺ福島」の
一大キャンペーンは東北の中でも突出している。
その次は三陸の岩手。
だけど、宮城は
宮城県って昔からそうなの。
あの「伊達政宗」が大河ドラマになってブームになっても観光掲示板すら
すぐに取り付けなかった程のPR音痴。
鶴ヶ城が昭和40年代にあっさり復元出来たのに比べ、青葉城の天守閣は
いまだにつくれず。せいぜい石垣を補強する程度。
東北大のキャンパスだけは無駄に大きく豪華になっていく現実。
宮城だって津波が来たし、被害も大きかったし。
だけど、宮城県人ってほんと、寡黙って言うか、心ひそかに文句は言うけど
PRしないもんな・・・・・
これが東北一の都会のプライドなのかしら?
いやいや、さとう宗幸&中村雅俊っ 頑張らないといけないっちゃ