「ジブリのアニメは好きですけれど、私はやはり初期の宮崎駿の絵が好きですわ。
例えばハイジとか、そうそう「赤毛のアン」も彼の監修でしたかしら」
アニメ雑誌を開きながらまったり語るノリノミヤにヨシキは頷きながら
「宮様は本当にアニメが好きなんですね。僕の車とどっちでしょうか」
などとこれまたまったり返す。
「ヨシキさんのお陰で私も少し車に詳しくなりましてよ。今までは四角い箱に見えていたのもが
ちゃんと名前があって、色々違うという事。陛下のお乗りになる車も立派なのは知っていましたが
色々お話をお聞きするまでは正直あまり。それで先日、その話を陛下にしてみたら
大層驚かれて「サーヤはいつからそんなに車に詳しくなったの?」って。
私、すぐにヨシキさんに教わりましたと申し上げたの。そうしましたら「ああ・・」と頷かれて」
ノリノミヤの声は心なしかちょっと無理に明るくしているようにも見える。
ヨシキはため息を隠して「僕が夜中に「もののけ姫」を見ていたら母がのぞきに来ましてね。
「そんな趣味があったの?」と」
そして二人は見つめ合い、ちょっと疲れたような微笑みを浮かべた。
互いに見つめ合って話してはいるけど、互いに考えている事は違っていた。
いや、大元では同じだった。
それは互いの親達の事である。
アキシノノミヤに促されて、ヨシキの心は固まっており、いつでも結婚の申し込みをしなくては
と思っている。
一方、ノリノミヤもそろそろそんな覚悟をしなくてはと思っている。
微笑ましい程四角四面に考えつつ、真面目に「おつきあい」をしている二人。
しかし、面と向かうと・・・・なかなか・・・言葉が・・・・
ヨシキの脳裏には先日、夜中に「もののけ姫」を見ていた自分に対して、母が発した言葉を
思い出していた。
「あなたにそんな趣味がおありだったとはね」
「いや・・別に」
「やっぱり、宮様との事、真剣に考えているの?」
「・・・・お母さんは反対ですか?」
ずっと独身だった長男にふってわいた縁談話は皇女との縁組。
恐れ多いやら驚くやら・・だけではないらしい。
「反対だなんて。大変恐れ多い事ですよ。我がグロダ家は名門であっても
旧皇族でも旧華族でもない。アヤノミヤ様とご学友になったのだって、青天の霹靂でしたし。
まあ、光栄というか、誉というか。なのに、まさかその妹君を娶る事になるなんて。
皇室とのご縁は細く長くと思っていたけどね」
「お母さん、結論は」
ヨシキはなかなか切り出さない母にしびれをきらした。
いつだってそうなのだ。あからさまに口に出さない上品さが、かえって相手を苛立たせる。
それをわかってわざと言っているのではないか。
「私に結論なんてありませんよ。結論を出すのはあなたじゃないの?」
「僕の結論は」
ヨシキは一瞬、大きく息を吸った。
「思い切ってお受けしようと思います」
「それは、本当に宮様を好きだからなの?それともアキシノノミヤ様に勧められて
断りきれないからなの?」
ヨシキは少し黙った。
「私は反対しているわけではないの。あなたの弟が婿に出ると言った時はまだ
あなたに期待していたものもあったけど、40近くまで浮いた話一つなく、銀行をやめて
都庁の職員になって・・・って、このままずっと息子と二人暮らしでも構わないわねと
ようやく、最近思い切って来た所だったから」
「はあ」
だから本当は何を言いたいんだとヨシキはいらついた。
「でもね、あなたが宮様に恋をして、好きで好きで仕方ないというならまあね。
どうなの?」
「好きで好きで・・・・お母さんからそんな言葉を聞こうとは思いませんでしたが。
僕はそんな恋愛は経験した事がないので。ただ、宮様と一緒なら穏やかでのんびりとした
家庭を築けるかと思います」
「そう」
母はほおっとため息をついた。
「それでよしとするしかないのねえ」
「お母さん」
「これっきりだから言わせて頂戴。あなたが生涯独身を貫くなら、それはそれで構わないと
思ったのは本当です。この歳になったのだもの。息子と二人暮らしなら私も寂しくないし。
お父様の菩提を弔いながら静かにそっとね。でも、あなたが誰かと結婚をして、もしかしたら
孫を持つ日もあるかしらと多少は期待していたのです。それが・・・ノリノミヤ様とは。
せめて宮様が30くらいなら私だってもう少しは喜べたかもしれないわ。
だけど35になろうと言うんですものねえ。これじゃまるで・・・・今時は高齢出産が常だし
マサコ様だって38歳で御産みになられたのだから、まだまだ期待してもよろしいかとは
思いますよ。だけどね、私だって歳だしね・・・」
「子供ですか」
「アキシノノミヤ様と初等科からずっと学友だったから言うのだけど、縁談というなら
もっと早く言って下さったらよろしかったのにねえ」
「そんな無茶な」
「無茶じゃありませんよ。お小さい頃からノリノミヤ様は兄宮とご一緒だった事があるでしょう?
その時は恋愛に発展する事もなく、無論、縁談にもならず。つまり宮様にはもっといいご縁談が
あったという事なんでしょう?それが次々とまとまらないから結果的に我が家なのでは?」
「お母さん」
ヨシキは少し厳しい声を出した。
「それ以上は」
「だからこれっきりと言ってるじゃありませんか。ただね、行き遅れた宮様を押し付けられたような
形になるならこちらも不本意だと言いたいだけです。そうではないの?」
「決して」
ヨシキはそこはきっぱりと答えた。
「お母さん。心配してくれてありがとう。でも今は僕の思う通りにさせて下さい。まあ、なかなか
予想外の事だったのは事実ですが。アキシノンミヤ様に勧められたから・・・というだけでなく
僕自身、幸せになれると信じています」
「そう。それならいいの。ああ・・・この歳になって一人暮らしになろうとはね。ああ、今のは
ほんの少しの意地悪よ。正直、あなたのごはんの心配をしなくてすんで、膨大なカメラや
車から逃れられるなら、それはそれでいいわと思う事にするわ」
そして母は
「浮世離れした所はお似合いかもしれませんけどね」と言い添えた。
一方、ノリノミヤは車の話をした時の父と母を思い出していた。
「クロちゃんから教わったの?彼は車が趣味なのかい?」
「ええ。カメラも随分いいものをお持ちだそうですわ。男の方の趣味はよくわからない部分も
ありますけど」
「男の子らしくていいじゃないか」
天皇は微笑んだ。しかし、皇后の方はお茶のカップを手にし浮かんでいる檸檬を
ほんの少しかきまぜた。
「クロちゃんはアーヤの学友でしたね。じゃあ、アーヤと同い年なのよね。
もうすぐ40ですか。独身を貫いて来たのには何かわけがあるのかしら?」
「さあ。だって大学を卒業して一旦は銀行にお勤めになったけれど、その後、公務員試験を
受けて都庁に入られたのよ。とても勉強家でいらっしゃるわ。だからきっと
結婚を考える暇がなかったんでしょう・・・・ってお兄様が」
「そう。そうでしょうね。きっと。それはいいのだけど」
皇后は眉を曇らせる。
「クロダさんはマンション住まいだそうですね。マンションって庭がないのでしょう?
お部屋の数は3つ?使用人もおいてないとか。あなた、そのような所で暮らせるのですか?」
「おたあさま」
ノリノミヤはにっこり笑った。
「平気よ。どんな所なのか興味があるわ。人と言うのは住む場所の広さで幸せが
決まるものじゃないし。そうでしょう?」
「結婚する前は何とでも言えるわ」
皇后はそれでも表情が和らがなかった。
「お兄様がクロダさんのご気性については太鼓判を押して下さったんだもの。きっと
大丈夫だと思うわ。本当にいい方なのよ」
「そうでしょう。人柄を疑った事はありません。でも。皇女が嫁ぐには」
「おたあさま。反対でいらっしゃるの?」
ノリノミヤは珍しく、声を上げた。
「私が反対するならわかるけどね。ミイ」
天皇はくすりと笑った。
「花嫁の母がそんな憂欝そうな顔をするとはね」
「申し訳ございません。私もサーヤには幸せになって欲しいと心から思っております。
母としての気持ちはどこの誰にも負けません。世界一の方に嫁いで欲しいですわ」
「私のようにかい?」
「まあ。本当にご冗談ばかり」
「環境が変わる事を心配しているのだろう?サーヤはのんびりおっとりしているから
世間のスピードについていけないのだろうとか、クロちゃんに迷惑をかけたりしないかとか?」
「それもありますが」
「おたあさまったら。おもうさまもひどいわ」
ノリノミヤは口をとがらせた。
「おもうさまのような事はお兄様もおっしゃってよ。そうやって私をいじめるの。
でも大丈夫よ。クロダさんは、私と同じくらいのんびりしていらっしゃるから」
「せめて、きちんと御屋敷があって、お父様がいらっしゃって、女中の一人でもいたら・・・
宮は一般家庭に降嫁させる前提で色々教育して来たのは事実ですが、
結婚したその日から台所に立たなければならない生活になるとまでは正直・・・思っても
みませんでした。
私が教えてきた家事というのはあくまで教養としてであって、実践が伴うとは」」
かなり皇后は湿っぽくなっていた。
「私が悪いのです。小さい頃からこの子に頼り切ってしまって
どんどん婚期を遅らせてしまいました。ついつい、まだいいわ、もう少しなどと思って
いたから。あまりの心地よさに私は・・・一生このままでいいとすら思って。まさか
今の今になってこのようなご縁になろうとは」
「おいおい。ミイはサーヤが幸せになれないと思っているのかい?」
「いいえ。そんな事は。ただ、皇女として嫁ぐならそれ相応の家があるだろうと思うのです。
マンション住まいで地方公務員というのは、私には想像もつきませんでした」
「責任という意味で言えば、父である私にこそあるよ。私やミイの病気やら東宮の結婚やら
トシノミヤの事やら、色々あって。ついついサーヤの事がおざなりになってしまった
責任は全て私にあるんだから。でも、そんな私の気持ちを慮ってアキシノノミヤが
持ってきた話だよ。信じようじゃないか」
「もう」
ノリノミヤはくすっと笑って「どんまーいんですわ」と言った。
もう・・・それしか言いようがないのだった。
「一体、あの二人はテラスで何をやってるの?」
アキシノノミヤがそおっとテラスを覗いて言った。
さっきからノリノミヤもヨシキもぼやっと互いを見つめ合ったまま、心ここにあらずの
様子だったから。
「そうだ」
宮は、ゴールデンレトリバーのディをけしかけてテラスに走らせる。
ディは思い切ってポーンと跳ね、テーブル乗っかってその拍子にノリノミヤの
前にあったお茶のカップががちゃんと言った。
「あっ!宮様。大丈夫ですか?怪我は?」
「えっ?ええ・・・・」
ノリノミヤは少しお茶を被ってスカートを濡らしてしまったが、怪我はなかった。
「大丈夫ですわ」
「よかった・・・・いつもはおとなしい犬なのに」
ヨシキは心からほっとした様子で言った。
「まあ、血が・・・・・」
ヨシキの指が切れて血がたらたらと流れていた。どうやらとっさにディから
宮をかばった時にカップに触れてしまったらしい。
「大変。誰か呼びましょう」
立ち上がったノリノミヤの前に現れた、キコとアキシノノミヤだった。
「まあ、すぐにお手当を。申し訳ありません。クロダさん」
キコは夫をにらみながら言い、アキシノノミヤは「なめときゃ治るんじゃないか?」
などと言って、さらに妻からぎろりとにらまれた。
そんな兄夫婦をよそに、ノリノミヤとヨシキは思わず笑い合っていたのだった。