それは1986年9月18日のこと。
スペインからやってきたエレナ王女の歓迎レセプション。
その名簿の中に手書きで付け足された名前があった。
「オワダマサコ」
誰の手によって手書きで付け足されたのかはわからないが、この時すでにマサコは
外務省に入省しており、政府関係者である事は疑いようもない。
後の人生を振り返るにあたって、彼女は多分この時がもっとも有頂天になっていたのでは
ないかと思われる。
大学時代は「壁の花」だった。英語を覚えるのも遅かったし、元々の性格が人と
コミュニケーションをとることが苦手なタイプ。
それでもアメリカで何を学んだかといえば、それは「自己主張」である。
何でも考えた事は言葉にする事。思いを伝える事。外国ではそれが重要だと
マサコは本気で考えていた。
そして「ハイソな人間は高飛車に振舞うものだ」ということも。
一億総中流意識の日本と違って、アメリカにしてもヨーロッパにしても立派な格差社会。
その中で少しでも「上」だとみなされれば、それ相応の態度をしてもいいということだ。
でおm、一方でアジア系というのがアメリカ社会において、それ程大きな地位を
占めているわけではない事を痛感する。
もし、自分が白人だったら「壁の花」にならずにすんだのではないか。
もし自分が日本人ではなく、ヨーロッパ人だったら・・・・
それはコンプレックスに違いなかったのだが、マサコはそれに気づいていなかった。
ゆえにアメリカで働いたとしても身分相応な待遇を受ける事が出来るかわからない。
それなら父のコネを使って外務省に入る方がずっと得だった。
「私は根無し草になりたくないの。日本に貢献したいの」
と表向き言ってみたけど、本当は何も考えていなかった。
外務省の試験に合格し、さらに東大に学士入学が決まると、自分を取り巻く世界が
180度変わった。
「学歴優秀で美人で外交官の父を持つハイソなお嬢さん」というレッテルがついた。
確かに女性で外交官試験に合格する人は少なかったかもしれないが、
外交官の娘は試験に落ちない先例があるから、本来はどうって事がないのだが、
無論、庶民にそんな事はわかるまい。
そして、エレナ王女のレセプションに招かれたのである。
「まあちゃんはヒロノミヤ様のお妃候補になるのよ」
とエガシラの祖母が教えてくれた。
誰?それ・・・マサコは聞いたことのない名前にとまどった。
「ヒロノミヤ様って御偉いの?」
そう聞き返したマサコに祖母は驚いて
「おやまあ。天皇家を知らないの?この子ったら。将来、日本で一番偉くなる方よ」
天皇 → 戦争責任 → 日の丸・君が代 → 戦争容認の象徴
マサコの頭の中ではその程度の知識しかない。
ゆえにそのレセプションにヒロノミヤが来ると言っても別に何も感じなかった。
一応、ブランド物のスーツを着て颯爽とレセプション会場に入ると
マスコミが待ち構えていた。
え?もしかして自分?
「まあちゃんは・・・」の祖母の言葉が蘇る。
もしかして自分は本当にお妃候補なんだろうか?
だとしたらこんなに気分がいいものはない。
お妃って・・・・ダイアナ妃のようなもの?
ゴージャスなドレスを着て頭にはティアラ。世界中から注目されて賞賛されて
みんな跪く存在。
マサコの気持ちは高揚した。誰もが入れる場所ではない。
そこに自分は「エリート中のエリート」として入ることが許されたのだ。
まさにそこはハイソで上品な空間だった。
スペインのエレナ王女の歓迎レセプション。シャンパンにシャンデリアにドレス。
一緒に入った外務省入省者達は、ちょっと場違いな雰囲気に飲まれ、どぎまぎとする。
でもマサコはちっとも平気だった。
私は選ばれた者なんだから。
そこに華やかな王女と小さい日本人の男が登場した。
「あれ誰?」
思わず聞いてしまった。
「ヒロノミヤ殿下だよ」
知らないの?という具合に同僚が言う。知るわけない。
こんなに小さいの?チャールズ皇太子とは随分違うなという印象。
一人ひとり紹介される。
「女性ながら外交官試験に合格したオワダマサコさんです。お父様が外交官で」
ヒロノミヤはにっこりと笑った。
そしてじーーっと見つめている。誰を?自分を。
その時はまさか、ヒロノミヤが自分に一目ぼれしたなどとは考えていなかった。
マサコの心の中にはただ「得意」の二文字だけが刻まれていたのだった。