暑い・・・・誰?エルニーニョ現象で冷夏になるって言ったの。
確かに大雨が降って異常気象気味ではあるけど。
さて。
かねてから「一度は見てね 戦争映画」をやろうと思っていたので、この機会に。
一口に戦争映画といっても毎年結構な数が作られているし、作った側の思想もあるし
千差万別なんですけど、今回は「ふぶきが見た映画」という事でご紹介をします。
TSUTAYAさんで借りてみるもよし、アマゾンでDVD買っちゃうもよし。
連合艦隊
1981年(昭和56年) 東宝
出演・・・永島敏行
金田賢一
古手川祐子
森繁久彌・丹波哲郎・小林桂樹・高橋幸治・鶴田浩二・・・・・
あらすじ
昭和15年から昭和20年の戦艦大和撃沈までのお話。
海軍中尉の本郷英一(永島)は真珠湾攻撃に出撃、その後ミッドウェー海戦で
弟の真二と共に海に沈み、生き残った真二は戦艦大和に乗り込む。
小田切武市(財津一郎)は船大工だったが海軍に呼ばれ、大和の機関室に。息子、正人(中井貴一)
は海軍兵学校を主席で卒業し、やがて特攻隊として大和見送る。
早瀬陽子(古手川)は英一の婚約者だったが、その死と共に、弟から「兄の代わり」にと
求婚される。
当時、高校生だった私がなぜ、この映画を見ようと思ったかというと
金田賢一のファンだったからです(きりっ)
戦争体験者の父に相談したら「見ておくべきだろう」という事で、一人で映画館へ。
結果、号泣して帰宅したのでした。
今、考えると、一人で戦争映画を見に行く女子高生ってイタイよね
印象に残っているシーンは
レイテ海戦 → 結果を知りながら見ていると「何であの時、ああしなかったのさ」
という思いが強く湧き上がってきます。
あれが節目と言われたら、まさにあの時「負け」が決まっていたのかと。
この時、英一が弟にライフジャケットを残してくれたおかげで真二は
生き残り、自分達の葬式の日に帰って来たんですよね。
戦艦大和 → 出撃前夜、しくしく泣く青年を慰める鶴田浩二に泣けたというか・・・・
それから、新人特攻隊がドスンドスンと躓きながらも出撃していくシーン。
爆撃を受ける大和 → 特撮が円谷プロだったので、空から大和が雨あられのように
爆撃を受けるシーンが壮絶で。それでもなかなか沈まなかった
って・・・あまりにすごい戦艦だったんだろうなと。
真二が船の中で死んで行くシーン。そして飛行機から見送る
正人にまた泣けて。
全編、NHKのナレーション入りなので戦争映画というより、ドキュメンタリーのように
見えます。出演者も大御所ばかりでしかも実際に戦争を体験した人ばかりですから
セリフの一つ一つの重みが違います。
いわゆる「戦争映画」というのは、この時代で終わっているなと思うのは、作り手も演じ手も
経験に裏打ちされた思想や感情があり、とてもリアル。今の戦争映画はどこかふわふわ感が
ぬぐえません。
無論、永島敏行も金田賢一も中井貴一も戦争を体験したわけではありません。
けれど、彼らの世代までは回りからの経験談を聞くチャンスが多々あり、記憶の断絶が
ありません。そこはとても評価しますね。
いわゆるトップの人達の目線ではなく、若者から見た、若者が経験した「戦争」を
描いているのですが、わかりやすくて感情移入しやすく、またナレーションによって
いかに日本が敗戦の道を辿って行くかという事がよくわかる映画です。
主題歌が谷村新司の「群青」・・この曲と大和が撃沈していくシーンが非常に泣けました。
のちに宝塚作品「黎明の風」でこの曲を聞いた時、胸が一杯になった記憶が。
ひめゆりの塔
1982年 東宝
出演者・・・・栗原小巻
古手川祐子
大場久美子
斉藤とも子
田中好子
主題歌・・・・「しあわせについて」さだまさし
「ひめゆり学徒隊」は沖縄女子師範学校と沖縄県立第一高等女学校の先生と生徒で
編成されたいわゆる「看護助手」部隊。
彼女達は1945年3月に南風原陸軍病院に看護要員として派遣されるも、
6月18日に突如、解散命令が下り、23日の沖縄戦終結の日まで多くの犠牲者を出した。
陸軍病院が砲撃されて、あっちこっちの壕を回り、その間に砲撃されて誰かが死ぬ・・・
という繰り返しですね。軍医さんが手足を切断するのに立ち会ったり、兵隊さんの傷口に
蛆がわいて、それを取り除いたり・・・今、考えても何の訓練もしていない女子高生に
ここまでの事をさせたのかと
このストーリーが言いたい事というのは、突如解散命令を出した日本の軍隊への
アンチテーゼなんですよね。
でも民間人がほとんどの島で火炎放射したアメリカはどうなる?と思うんですけど。
ポスターで田中好子が持ってるのは金だらいです。
映画の冒頭、先生がこのたらいを生徒達に渡してみんな大喜びのシーンがあるのです。
顔を水で洗う・・・というのもなかなか難しい時代であったと思います。
今思えば「ひめゆり」の面々はエリート女学生だったんですよね。
お勉強できる、将来有望なお嬢さん方がこのような目にあった事を忘れてはいけませんよね。
この映画は1953年に一度映画化され、1982年版はそのリメイクです。
栗原小巻の美しさもさることながら、今は亡き田中好子などが生き生きと演技しています。
主題歌の「しあわせについて」はラスト、壕にガス弾が流れ込むシーンと連動しているので
涙が止まりませんでした。
とはいえ、この映画、今見直したら何が見えてくるのかしら?
この子を残して
1983年 松竹
出演者・・・加藤剛
十朱幸代
大竹しのぶ
神崎愛
1948年に永井隆博士が書いた「この子を残して」の映画化。
木下恵介がメガホンをとったという事で、当時、結構話題になりました。
私がこの映画を見ようと思ったのは、小学生の時に長崎へ行った事があるからです。
母の女学校時代の同窓会に私と父もついて行き、平和公園の像の前で写真を撮ったり
グラバー邸へ行ったり。
その一つに原爆資料館があったのです。当時、「永井博士の研究所」と呼ばれていた
のがそこなのか、永井記念館なのかわかりませんが、記憶としてはあまり立派な建物では
なく、でも、中に入ると被爆者の写真や資料が沢山展示してあったと。そして母が途中で
見ていられなくなり外に出た事は強烈に覚えています。
その後、原爆に興味を持って、色々本を読んだりしたんですけど。
記憶にある永井隆という名前を頼りに映画を見たようなものです。
とてもたんたんとした映画です。時計のカチコチという音が原爆投下までを刻み、
その時間までの庶民の生活が普通に描かれます。
永井博士は研究所勤め、妻は自宅。子供達は疎開していました。
原爆が落ちて、やっとの事で自宅に帰った博士が目にしたのは、死体すら残っていない
自宅のありさまでした。
この映画のみどころは何と言ってもラストシーンでしょう。
原爆投下後の街の様子をどこまでもリアルに描いた事。いやいや、本当にこのシーンだけ
見る分にはいい映画なんですけどね。
木下監督は戦前に「陸軍」という映画を撮っています。
これ、私は2度程衛星劇場で見ましたけど、いまだに前半は意味不明で。
でも、やっぱりラスト、国旗を持って出征していく息子を追いかける母をずーっと
追って行くのですが、このシーンだけは素晴らしかったです。
あまり、戦争映画には向かない監督だったのかしら。