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金婚式と銀婚式

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 パンパカパーン パンパカパーン 

 常陸宮両殿下 結婚記念日おめでとうございます 

そして  金婚式  おめでとうございます

 

50年前の今日は東京五輪を控え、東海道新幹線が開通・・・一方で東京では渇水に。

高度経済成長著しい上向きの時代に両殿下はご結婚されたのです。

常陸宮殿下 「(手が不自由になってきて)華子が側にいてくれるので、つい頼ってしまうところがあります」

        「二人揃って金婚式を迎えることが出来て嬉しく思います」

華子妃殿下 「長くもあり短くもあり無我夢中の日々を過ごして参りました」

       「記念日をお元気な宮様と共に揃って迎えられます事を深く感謝いたします」

新婚の頃、「「『昨日は寝言で御所に上がった時のご挨拶を言っていたよ』」と常陸宮殿下が

おっしゃったとか。

次男の嫁でも皇室の生活は大変に決まっています。華子さまはそもそも華族のご出身。

今時の週刊誌なら「次男の嫁で気楽。まして旧華族なら皇室のしきたりに適応するのも簡単」と

書かれたでしょうね。

昭和の大スター、美智子妃の隣にいるのはさぞや苦痛だったでしょうと・・・お察しします。

でもどんな時でも、ポーカーフェイスで粛々と公務を続け、決して東宮家に近寄らずの姿勢は

一貫しているなあと。

真意を全くはかりしることが出来ない・・・・そこが旧華族の方々なのだと思います。

私達国民はこの50年間、華やかな東宮家と今上ご一家に目を奪われて

常陸宮家から目が離れていたかもしれません

でも、常陸宮殿下はがんの御研究をされているし、華子妃殿下はいつもどんな時でも

若々しくプロトコルに則った装いをされる、美しい方。

お二人の50年、様々な苦しい事があったでしょう。

これからは穏やかなご夫婦生活を送られる事をお祈りします。

そして。25年前の今日、私達は結婚式を挙げました。

私は常陸宮殿下のご結婚の歳に生まれ、偶然結婚記念日が同じで、ちょうど25年という事に。

ご縁を感じてしまいますけど(勝手に)

よそ様の結婚記念日には「おめでとうございます」と言えるし「穏やかな・・・」ともいえる。

でも、これが自分の事となると話は別です

 

あの日、空は曇っていました。

私は母に起こされて八木山の実家から仙台プラザホテルへ。

旦那の両親は、こっちがせっかく手配した鹿落旅館が気に入らなくてその場でキャンセルし

別な場所にお泊りだったとか。

美容室で化粧をされているとき、旦那のいとこ姫が真っ白のドレスでやってきました。

まだ7・8歳の可愛い盛り。

披露宴で花をプレゼントする役目。

でも一瞬「何で真っ白のドレス?この人たちは常識がないのか」と思ってしまった自分。

そこに郡山宮妃がその子に「可愛いねえ。綺麗だね。花嫁さんより綺麗なんじゃありませんか」といい

凍りついた私と美容師さん。

美容師さんは慌てて「あ・・じゃあ、こちらも頑張らないといけませんね」と言いました。

ギ・ラ・ロッシュのドレスに身を包みつつ、私の気持ちは大幅にダウンして行きました。

何も知らない旦那は能天気。

私のドレス姿を見ても親の手前「綺麗」とは言いませんでした。

ロンドンタクシーで母校の尚絅女学院の礼拝堂へ。中等部の礼拝堂は真新しくなってました。

お客に配る式次第をワープロで手作りし、大変な思いをしました。(1枚ずつしかプリント出来ないし)

それでも自分の結婚式と披露宴を演出するのは楽しかったです

 

式では指輪を間違えるハプニングがあり、ちょっとにこにこ。

それに外に出た時、こっそりお姫様だっこをしてもらって。何でこっそりなのよーーって。

披露宴では娘役的お辞儀をしようと頑張りました

仲人をたてず、互いの紹介をしあうという事で、原稿を書き練習して臨み・・・バックに流れる

BGMも全部手作り。

ウエディングケーキは駄菓子屋石橋屋4代目に嫁いだお友達に作って貰いました。

ASKAがあんなことになったけど、お色直し後のフラワーサービス(キャンドサービスじゃなくて

出席者一人ひとりに花を渡すの)に選んだ「LOVE SONG」はぴったりの曲でした

友人達が泣いていたのを思い出します。

何でも手作り。

当時はバブルの時代で、こういう事にいかにお金を使うか、親がいかに子供にやってあげるかを

競った時代。

でも私達には新婚の家具もなければ、新幹線のグリーン車にすら乗る事無く。

ささやかな手作りの結婚式と披露宴でした。

1年目の結婚記念日に銀座のレストランで二人きりで甘い夕食を共にし、花を買って貰って。

それが最初で最後のロマンチックな記念日。

その後、すぐにジュニアを妊娠し、それからはもう記念日どころの騒ぎじゃなくて。

だから私としては「25年目。銀婚式には思い切りロマンチックな記念日を過ごしたい。

25年目には子供達も独立して二人きりの筈。高級なフランス料理のお店に盛装して入って

夜景が見える席でお食事して、渡されるのはダイヤモンド。

「25年間、僕の妻でいてくれてありがとう」なんて言われながら、極上の時間をすごそう・・・・って

心に決めて生きて来たのですが

実際の25年目。

あれ・・・・まだ子育て終わってないよ。

しかも家計にまるっきりゆとりがなく、フランス料理どころじゃない。ダイヤもない。

ロマンチックの「ろ」の字もない。

こんなはずじゃなかったーーー

と姫や友人に愚痴ったら

「だってしょうがないじゃない。50年目に期待すればいいよ」っていともあっさり。

「50年目に生きてるかどうかわかる?50年目にフランス料理のお店に行ったからなんなの。

食事する元気もないわっ

その時にダイヤ貰ってどうするの。姫の形見になるだけよ。

25年目を生きがいに辛くても何しても頑張ってきたのにーーひどい夫

結婚するんじゃなかったーーー」と叫びまくり

あ・・・やだ。書いてて涙が出て来ちゃった。

このところ、この話題になるとすぐに泣けてきちゃって。

みんなにはどうでもいい事かもしれない。

健康で3人の子供に恵まれた25年は幸せだというでしょう。

でも、私には違うの。

妙に冷めてる家族を見る度悲しくなる。

だから「蘭陵王」なんだわ・・・・ あそこまでしろとは言わないけど。

 

25年目(っていうか付き合って30年)がこんなんじゃ、とてもこの先50年目まで

頑張ろうと言う気がおきません。

どんなに頑張っても報われない事はある。何をどうしても腹ばかり立つ事がある。

まさに25年目というのはそういう節目なのかもしれませんね。

「お点ではなく感謝状を」なんて言ってみたかったわ。

今の自分はそんな優しく思いやりのある言葉一つも浮かびません。

 

 


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