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韓国史劇風小説「天皇の母」170(鏡のフィクション)

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「適応障害?適応障害ってなんだ?」

それが宮内庁の一般的疑問だった。

今まで聞いた事のない病名。いや、病名といえるのかどうか。

すぐにオーノに聞こうとしても、「仕事が」といって来ない。

宮内庁から呼び出されても平気で断るような男だ。

「自分は宮内庁お抱えの医師ではないし、そうなるつもりもない」という意志表示。

仕方ないので、カナザワ医務主管に尋ねる。

「適応障害とは一体何か」

カナザワは答えに窮した。

精神科が専門ではない自分にとって、初めて聞く病名。

やっとひねり出した答えが

「環境に適応できないという症状で、その環境から抜ければ半年くらいで

治るものかと。アメリカでは適応障害の基準があるようですね。

しかし、皇太子妃の場合、そのどれに値するのかまでは。

そもそもそれが病気と判定できるのかという事自体がわかりません」

ハヤシダもユアサも頭を抱え込む。

他の精神科医に見せようとしても東宮家はがんとして聞かず

相変わらず妃は部屋に閉じこもっているという。

皇太子はそれを注意するでもなく・・・・何事もないように振る舞っていた。

皇太子のこういう・・・どんな事が起きても平常心というのは、ある意味素晴らしい事では

あったが、一方であまりにも危機感がなさすぎるのではないかとの批判も出る。

特に内親王の障碍。

こればかりはどうしようもない。

せめて3歳児健診ではっきりさせ、きちんとした療育を受けさせなくては大変な事になるだろう。

しかし、妃はともかく、肝心の皇太子が

「アイコは普通です。僕も小さい頃はあんなだったとおたたさまが」と言うばかり。

ヒロノミヤ時代の事は知らないユアサとハヤシダも、今になって

あの「ナルちゃん憲法」はそれなりの意味があったのだと感じた。

世継ぎであり、当時の皇后にとって切り札の息子。

当時は発達障害などという言葉もなく、知能も普通であれば、皇后のいら立ちは

相当だったろう。

皇太后は自らの娘達がそうだったので、別に驚くでもなく「ままあること」として

考え、とにかく「しつけ」だけはきちんとしておけばよいとの判断。

が、皇后にとっては、大事な将来の天皇が、先帝の内親王と一緒にされる事に

腹立ちを覚えたし、自分が何とかすると心に決めていたのだろう。

ゆえに、一日のスケジュールから声のかけ方まで研究しつくした

「ナルちゃん憲法」が出来上がった。 

あれをもう一度活用する事は出来ないのだろうか。

今、内親王必要なのは「ナルちゃん憲法」とそして専門家の意見だ。

 

皇太子妃が公の席から姿を消してもう半年近くになる。

当初は「春」までの予定だったのに、もう初夏。ずるずると「静養」は続く。

その間。皇太子妃がどんな生活をしているのか全く明らかにされない。

女性週刊誌などでは「立ち上がる事も困難な程疲れて、一日中横になっている」

だの「東宮職の職員と口をきかず、連絡な内親王が行っている」等々

本当か嘘かわからない記事が飛び出す。

ただ一つ言える事は、それが事実であるかどうかより、週刊誌が印象を残したいもの。

それが「皇太子妃は皇室という環境のせいで病気になった」「悪いのは皇室」

これだけだった。

現に、巷には同情が集まり「マサコさまはお可哀想」のオンパレードになってしまった。

ユアサもハヤシダも事態がこんなにも急激に動くとは予想がつかなかった。

どんな力がこんなに毎日、週刊誌に皇太子妃に同情するような記事を書かせるのか。

「オワダでしょうな」

ハヤシダはぽつりと言った。

「それに外務省。何の為?利害関係の一致ですよ。長い時間をかけて皇室の解体を

もくろんできた闇の勢力が姿を現し始めたという事でしょう。

我々はどうしようもない・・・・・10年前。ああ・・・10年前にこの結婚を阻止出来ていたら」

「阻止出来ていたら。東宮妃が旧皇族の女性であったなら。こんな事には」

「妃殿下がそんなに皇室になじめないというなら出て行けばいいだけです。

皇太子は離婚が出来る」

「内親王はどうする?」

「15歳になったら自ら臣籍を離れればいい。それまでは皇族として」

「そんな事、あのオワダ一派が許すものか。なんといったって皇太子が許さない。ハヤシダさん

あんた、人格否定発言の釈明をしろと皇太子妃に進言したら

「だったら皇太子妃をやめてやる」と暴言吐かれたって本当なのか?」

「はい。電話でしたけど受話器をガチャーーンと。それで皇太子殿下がお怒りになり」

「ああああもうやめよう。無理だ。これはどうしたって。皇太子殿下自らが解決しようと

しない限りこの問題は。そんな事より身の安全を図る方が大事かもしれん」

「外務省に負けるんですか。もっとも日本を守らねばならない省なのに、今やもっとも

反日の組織です。それもこれもあのハンディキャップ論などが」

「そのハンディキャップ論を提唱した男の娘が皇太子妃なんだよ。将来の皇后だ」

反日思想を持つ人間の娘が将来の皇后。

この言葉に二人はぞっとした。

「妃殿下は皇室へのアンチテーゼを投げかけているのだ。だから世の中を見ろ。

猫も杓子も「マサコ様お可哀想」だよ。わしが聞いた巷の噂を話そうか?

何でも陛下が妃殿下に生理のスケジュールを聞いたとか。それだけじゃない。

潔斎の時、女官に体の隅々を触られる・・・何と気持ち悪い事かーーだと」

「それなら私も聞きました。陛下が「月のものはあるか」と妃にお聞きになったと。

唖然としてもう何も申せませんな。世継ぎ誕生の為に海外訪問を抑制したとか」

「抑制じゃない。本当に依頼が来なかったんだよ。誰だってあの二人に会ったら

もう二度と会いたくないだろうな」

「長官」

東宮大夫はそっと唇に指をあてた。

「英語が得意なのに喋らせてくれなかった。外交したかったのにやらせて貰えなかった。

日本の皇室は男女不平等の巣窟で、キャリアウーマンを潰したと。

情けない。こんな事を堂々と雑誌に書かれる世の中とか。

歴代の妃殿下に対して失礼な話じゃないか。かの皇太后さまは養蚕に

生きがいを見出された。その次の皇太后さまは灯台守を慰問するのが生きがいだった。

先帝の皇后様はひたすらお世継ぎを産む為に頑張られ、絵もよくされた。

誰も政治に関わりたいなどという妃はいなかった」

「やはり育ちなんでしょうな。それより今後、どうすればいいのか」

「命の危険がある」

ユアサははっきりと言った。

「これ以上、東宮に関わると危ないかもしれない。そもそも両陛下としてどうされたいか

まだ見えぬ。今は静かにしているしかあるまいよ」

「東宮家に第二子、アキシノノミヤ家に第三子を」と言っただけで歪曲して切り取られ

散々バッシングされた東宮大夫は大きくうなずくしかなかった。

 

内親王の「療育」に対する東宮家の答えは、新しい養育係のフクを採用することだった。

どこから紹介されたのかはわからないが、デンフタを出てセイシンを出た・・・

「出仕」の身分だった。

このフクがこの先、内親王の養育を一手に握り、さらに東宮妃の信頼を勝ち得る。

6月18日。かねてから出ていた「内親王自閉症説」に東宮大夫は

「事実無根で不本意」と発表。

6月29日。天皇の腫瘍マーカーの数値が上がっている事が発表された。

元々、その数値は上がったり下がったりするもので、そのたびに治療を続けていたのだが

今回はわざわざ大きく取り上げ、御所から出てくる所まで撮影された。

これで何日稼げるか・・・と長官は思った。

7月に入ると珍しく東宮夫妻が職員らとテニスに興じたと報じられた。

 

「人格否定発言」の余波はとどまる所を知らず、どんどん広がって

皇室のイメージは地に落ちるばかりだった。

宮内庁長官も東宮大夫も焦りに焦ったが、天皇も皇后も具体的に動こうとしない。

それでは困ると、半ば強制的に東宮御所を訪問して貰った。

宮内庁としては、ここらで皇太子妃が将来の皇后としてやっていく気があるのか

ないのかはっきりさせて欲しかったし、これ以上のイメージダウンは避けたかった。

しかし。

東宮御所を訪問した天皇と皇后はわずかな時間で皇居に戻ってきた。

その中で何を話したのかわからない。

ただ、皇居に戻ってきた時の天皇は顔色が悪く、ひどく疲れているようだった。

皇后は少し苛立っているような感じで、あまり口をきかなかった。

 

7月下旬。

皇太子は毎年接見している沖縄の豆記者達の前に娘を同行した。

誰もがそれが内親王だと疑わなかった。

皇太子が連れて歩いているのである。

まさかそれが替え玉であるとは。しかし、それが「東宮」の答えだった。

東宮家はあくまで内親王の真実を隠す道を選んだ。

という事は東宮御所での「家族の話し合い」が何だったかおのずと想像できる。

天皇と皇后は東宮夫妻に負けたのだ。

理論的に公平に物事を判断し、適切に言葉にしてきた天皇と皇后にとって

初めて「理」が全く通じない相手だった。

「体の調子はどうか」と聞けば「よく見えるのですか」と答えられ

「一日も早く回復するように」と慰めれば「誰のせいでこうなったと」と責められる。

「トシノミヤの事は、やはりきちんと発表して専門家に任せるべきでは」と提案すると

「陛下が私達だったらそうしますか」と逆に質問される。

わずかに口ごもった皇后に、勝ち誇った妃は「他人事だから言えるんですね」と

あざ笑う。

そして最後は「生まれたのが女の子だからそんな風に言うんでしょう?

日本は世界の中で最もひどい男尊女卑の国なんですよ。

そういう事を当たり前に受け入れていいんですか」と反論されてしまう。

「男尊女卑」にまつわる色々な思いは皇后の胸にぐさりと響き、何も言えない。

皇室という環境における伝統やしきたりと、21世紀の思想は相容れないのだ。

そして「男女平等」も「障害者も健常者も普通に平等に」と願ってきたのは他ならない

天皇と皇后だった。

無論、東宮妃の考え方が大いに偏っている事は二人にもわかった。

しかし、わかっても、修正の仕様がないのだ。

「私は生まれた時から学校でそう習ってきたのだ」と言われたら、反論の余地はない。

自分達だって幼いころに受けた教育と戦後の矛盾に悩んだではないか。

それは皇太子もアキシノノミヤもノリノミヤも同じだ。

 

結論は出なかった。

そうこうしている間に影武者を仕立てられ、まさかそこまでやるとは・・・と

絶句した。

絶句したけれど、今さら「あれは偽物でした」と言うわけにはいかなかった。

皇室の名誉が汚される・・・そんな事態にしてはいけない。

天皇は貝のように黙り込み、宮内庁もまた一斉に目と口を閉じたのだった。

 


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