ネットは祭り状態なんですけど、これで何か変わるのでしょうかねえ・・・
11月13日。
宮内庁は抗議文を出しました。
理由は
友納尚子作「プリンセス・雅子妃物語」の一節に関してです。
2013年。週刊文春。
ところがそんな時、雅子妃のご病気の一因とも言えるある出来事が起こったのだ。
十月十五日、国賓として来日したメキシコのフォックス大統領夫妻を迎えての宮中晩餐会でのことだった。
メキシコ大統領夫妻は皇居・宮殿に到着した。正殿「松の間」で主催の両陛下から
皇族方を順番に紹介されるのが儀礼となっていた。
「フォックス大統領は、まず燕尾服姿の皇太子を紹介されて、次はイブニングドレス姿の雅子妃の番でした。
フォックス大統領が雅子妃に向かって手を差し出したのですが、隣の秋篠宮殿下が紹介されたため、
一瞬大統領の手が宙で迷われ、おかしな雰囲気でした。
雅子妃は明らかに引きつった様なご表情でした。
その後に運ばれてきたジュースにも口をつけておられませんでした」(元東宮職)
この事実は、一部の外務省職員と宮内庁職員も知っていたが、公になることはなかった。
2013年 週刊文春 (2回目)
そして、〇三年のメキシコ大統領夫妻を招いての宮中晩餐会で、
妃殿下としてご紹介を受けなかったことが自己の存在を見失う大きなきっかけになったと言われた。
母親としてのみならず、皇太子妃としても自信を喪失し、絶望的な気持ちになっていったのだった。
2014年 週刊文春
「雅子さま“復活の笑顔”「晩餐会」直前に掛けた一本の電話」
2003年10月,メキシコ大統領を迎えた宮中晩餐の前席で,
大統領に対する天皇陛下の皇族御紹介が,「雅子妃を飛ばして,秋篠宮殿下に移ってしまった」ことから,
「雅子妃が妃殿下としての自己の存在について,決定的に自信を喪失した」
「週刊文春11月13日号」に掲載された「雅子さま“復活の笑顔”「晩餐会」直前に掛けた一本の電話」と
題する友納尚子氏の記事についての事実関係及び宮内庁としての対応は下記の通りです。
記
同記事は,「十一年前の「衝撃的な出来事」」との小見出しの下に,
2003年10月,メキシコ大統領を迎えた宮中晩餐の前席で,大統領に対する天皇陛下の皇族御紹介が,
「雅子妃を飛ばして,秋篠宮殿下に移ってしまった」ことから,
「雅子妃が妃殿下としての自己の存在について,決定的に自信を喪失した」との
趣旨のことを記しています。
しかしながら,以下に記すように,これまで踏襲されてきた皇族方の国賓に対する御紹介の段取りからして,
「皇太子妃殿下を飛ばして」というようなことは到底起こり得ないことです。
宮中晩餐御出席のために宮殿南車寄に到着された国賓御夫妻をお出迎えになった両陛下は,
国賓とご一緒に松風の間に入られます。
間内では,皇太子同妃両殿下始め皇族方が,御身位の順に列立してお待ちになっておられ,
天皇陛下は皇太子殿下から順番にお一人ずつ国賓御夫妻に御紹介になり,
すぐその後に続き皇后陛下が同様にして国賓夫人に次々と皇族方を御紹介になります。
そして御紹介が完了すると飲み物が供され,国賓御夫妻と皇族方の御懇談が始まります。
このようにして進められる国賓御夫妻と皇族方のお出会いは,通例15分程度で終了し,
次いで両陛下と国賓御夫妻お四方が松風の間を出,
その日の晩餐会の招待者一人一人から挨拶をお受けになるレシービング・ラインに立たれるため,
石橋の間に向かわれます。
この石橋の間での行事の完了後,両陛下は国賓御夫妻とご一緒に,
そして皇族方がその後を進まれ,晩餐が供される豊明殿にお入りになります。
以上のように,国賓御夫妻への皇族方の御紹介及びそれに続く行事は,
毎回全く同じ段取りで取り進められており,その第一段階で,秋篠宮殿下以下全員の皇族が見守られる中で,
天皇陛下が,皇太子妃殿下を賓客に御紹介になることなく,
秋篠宮殿下を御紹介になるというようなことは到底起こり得ません。
念の為2003年10月にメキシコ大統領を国賓としてお迎えした際の宮中晩餐での御紹介の状況につき,
当時皇太子妃殿下の次に控えておられた秋篠宮殿下に伺ったところ,
自分(殿下)は,行事などの際に,何か手順通りに進められなかった場合は,
直ちに気が付く方だし,また,再発を防ぐためにもかなりの長きにわたりそれを
記憶しているつもりだが,
これまで国賓をお迎えした際の陛下の皇族御紹介で何か手順と異なることを
陛下がなさったという記憶は全くなく,皇太子妃殿下を飛ばして
自分が紹介されたということは決してないと思う。
また,万一にも自分が先に紹介されそうになったら,自分は必ずその場で陛下に申し上げ,
皇太子妃殿下の紹介が先になるように取り計らったと思うとの御返事を頂きました。
国賓を迎えるという晴れの席で,天皇陛下がそのようなことをなさるという事実に反することが
手記として掲載されたことは,陛下に対する礼を失する誠に遺憾なことであり,
本日付で週刊文春編集長及び友納尚子氏に速やかに訂正することを要求しました。
前回の宮内庁の抗議文と比べると、明らかに違う。
こちらの方が具体的で理路整然として、感情が入っていません。
という事は前回の抗議文は千代田ではなく、「東宮職」=皇太子妃 が書いた、書かせたもので
ある事がわかりますよね。
雅子妃の適応障害の原因は、「お世継ぎのプレッシャー」だった筈。
世継ぎを産む為に海外旅行を制限された事が原因
↓
メキシコ大統領晩さん会時に天皇陛下に紹介をすっとばされた事が原因
理由が大きく変化したのは、悠仁殿下が生まれて「世継ぎのプレッシャー」が使えなくなった
からではないかと
紹介をすっ飛ばされたからって11年も「自信喪失」して晩さん会に出ないっていう「抗議」の仕方が
憎々しいですね。
じゃあ、今回の前に過去2回、同じ事が記事として書かれているわけですが、なぜ「今」の抗議に
なったのか。
それは多分、雅子妃が晩さん会に出たからではないかと
11年も「傷ついて自信喪失」してた女性が、オランダ国王夫妻の晩さん会だけは例外的に
出てきた事。その時の報道の在り方等々、目に余るものがあったのだろうと推察されます。
晩さん会に出たと言っても「後席」は欠席するわ、髪はくしゃくしゃだわ、乾杯は忘れるわ
しまいにティアラが偽物疑惑まで飛び出して
きちんと事前におさらいをしないでいきなり素人のように晩さん会に出てきた事自体が
皇室の権威を傷つけ、皇后他の女性皇族たちのプライドを大きく傷つけたのではないかと。
しかしながら、だったら手順として、まず皇太子夫妻に事情聴収をするべきではなかったかと。
それをいきなり秋篠宮殿下にふっている。これはなぜか。
友納尚子の後ろにいるのが皇太子妃である事がわかっている
皇太子妃に直接聞いたら大騒ぎになる
という事を考慮してだとしたら、殿下もとんだとぱっちりです。
しかし、皇太子妃に「本当に2003年にそのような事があったのですか。それがきっかけで
適応障害になったのですか」と聞かなかった事が、さすが「雅子妃の藩屏」である宮内庁だと。
風岡長官はあくまで雅子妃を庇うんだなと思いました。
秋篠宮殿下のご意見は理路整然としており、誰よりも信用がある・・・というのはわかります。
でも、やっぱりその前に皇太子妃の夫である皇太子に「そんな事があったと記憶しているか」と
聞くべきじゃないかと思います。
皇太子 → 皇太子妃 → 秋篠宮 の順で聞くべきですよね。
それをダイレクトに秋篠宮へ・・・・・・という所がなんとも。
ネットでは「やっぱり秋篠宮殿下が一番信用されている」と祭りですが、私はそう思いません。
皇太子夫妻を矢面に立たせない配慮とも見えます。
ともあれ、友納尚子は今後どうするでしょうか。
「宮内庁は皇太子殿下ではなく、秋篠宮に聞いたという事実。皇太子殿下は信用されていないと
大いに傷つかれた。そして雅子妃の肩を抱いて「私が守りますよ」と改めて誓った。
世継ぎである皇太子殿下を信用しない宮内庁は組織としてどうなのか。両陛下と皇太子夫妻の
仲を裂こうとする策略であった」
くらいは書くかなあ。
「全部、小和田家からお金を貰って書いただけです。私は悪くありません」と公表したら「神」なんだけど。
しかし、この抗議文について週刊誌などが後追いしなければ無駄だろうと思われます。
テレビは報じないでしょうし。
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