ご日程
両陛下
12月26日・・・天皇陛下 → 国会開会式
通常業務
両陛下 → 皇族・元皇族・親戚方と昼食
侍従長らから挨拶をうける
長官参与らと夕食
12月29日・・・天皇陛下 → 佳子内親王に勲章親授
両陛下 → 佳子内親王から挨拶をうける
12月31日・・・天皇陛下 → 節折の儀
1月1日・・・天皇陛下 → 四方拝
晴のご膳
両陛下 → 新年祝賀の儀
1月2日・・・両陛下 → 一般参賀
皇太子夫妻・秋篠宮夫妻・眞子内親王・佳子内親王と昼食
眞子内親王から挨拶を受ける
1月3日・・・天皇陛下 → 元始祭の儀
1月4日・・・天皇陛下 → 奏事始の儀
1月5日・・・両陛下 → 侍従長らから仕事始めのあいさつをうける
勤労奉仕団に会釈
警視庁警衛課長等から新年祝賀
1月6日・・・天皇陛下 → 通常業務
1月7日・・・両陛下 → 昭和天皇祭皇霊殿の儀
離任大使夫妻に会う
天皇陛下 → 昭和天皇祭御神楽の儀(皇霊殿)
1月8日・・・両陛下 → 勤労奉仕団に会釈
皇太子同妃両殿下
12月26日・・・両殿下 → 御所で昼食会
1月1日・・・皇太子殿下 → 歳旦祭の儀(宮中)
新年祝賀の儀
妃殿下 → 皇族方への挨拶のみ
愛子内親王 → 新年のあいさつ
1月2日・・・両殿下 → 一般参賀
1月3日・・・皇太子殿下 → 元始祭の儀(宮中三殿)
1月7日・・・皇太子殿下 → 昭和天皇祭皇霊殿の儀
昭和天皇祭御神楽の儀
秋篠宮家
12月26日・・・両殿下・眞子内親王 → 御所で昼食会
12月29日・・・佳子内親王 → 宮中三殿参拝
天皇陛下より勲章親授
両陛下へ挨拶
宮内庁から祝賀を受ける
12月31日・・・眞子内親王 → 大祓の儀
1月1日・・・両殿下 → 新年祝賀の儀
悠仁親王 → 新年のあいさつ
1月2日・・・両殿下・眞子内親王・佳子内親王 → 一般参賀
眞子内親王殿下 → 渡英の挨拶
1月3日・・・両殿下・眞子内親王・佳子内親王 → 元始祭の儀参列
1月5日・・・秋篠宮殿下 → 山階鳥類研究所仕事始め
1月6日・・・眞子内親王 → 渡英の為賢所参拝
1月7日・・・両殿下 → 昭和天皇祭奉幣の儀参列(武蔵野陵)
佳子内親王 → 昭和天皇皇霊殿の儀参列(皇霊殿)
1月8日・・・眞子内親王 → イギリスに出発
秋篠宮殿下 → 日本動物園水族館協会会長他に会う
愛子内親王は1月4-7日まで奥志賀でスキーだそうです。
昭和天皇例祭なんか関係ないーーひ孫だしーーって感じですね。
女帝をめざすならまず祭祀の筈なんですが。
しかも、8日は始業式。一応、行ったようですけど、タフですねーー
1月9日、皇族方を招いての夕食会が皇居で開かれ、黒田夫妻もいらっしゃったそうです。
無論、皇太子夫妻も。
雅子妃は講書始めの儀は休んでも夕食会には出席するんですね。
皇太子夫妻からしたら、佳子内親王なんかこわくないって話かな。
4月に大学に入学すれば学業優先で公務も減るし、もしかしたら留学しちゃうかも
しれないし?
だからまだまだ「皇室の主役は私達」と思っていそうな雰囲気
愛子内親王、3学期こそちゃんと通おうね。
週刊誌で「皇族としてのこだわり→朝、起きない」と擁護されているようですが
そんな恥ずかしい話はないんですから
そして学習院は今年こそ、愛子内親王に対して、東宮家に対して毅然とした態度を
とらないと、学習院という私立学校が潰れてしまう事になりますよ。
学習院といってもしょせんは私立学校、営業活動しないと生徒は集まらないのですから。
天皇陛下のお言葉
「本年は終戦から70年という節目の年に当たります。
多くの人々が亡くなった戦争でした。各戦場で亡くなった人々,
広島,長崎の原爆,東京を始めとする各都市の爆撃などにより亡くなった人々の数は
誠に多いものでした。
この機会に,満州事変に始まるこの戦争の歴史を十分に学び,
今後の日本のあり方を考えていくことが,今,極めて大切なことだと思っています」
(2015年年頭にあたって)
「先の戦争では300万を超す多くの人が亡くなりました。
その人々の死を無にすることがないよう,常により良い日本をつくる努力を続けることが,
残された私どもに課された義務であり,後に来る時代への責任であると思います。そして,
これからの日本のつつがない発展を求めていくときに,日本が世界の中で安定した平和で健全な国として,
近隣諸国はもとより,できるだけ多くの世界の国々と共に支え合って歩んでいけるよう,切に願っています」
(2014年誕生日)
「戦後,連合国軍の占領下にあった日本は,平和と民主主義を,守るべき大切なものとして,
日本国憲法を作り,様々な改革を行って,今日の日本を築きました。戦争で荒廃した国土を立て直し,かつ,
改善していくために当時の我が国の人々の払った努力に対し,
深い感謝の気持ちを抱いています。また,
当時の知日派の米国人の協力も忘れてはならないことと思います」
「天皇という立場にあることは,孤独とも思えるものですが,
私は結婚により,私が大切にしたいと思うものを共に大切に思ってくれる伴侶を得ました。
皇后が常に私の立場を尊重しつつ寄り添ってくれたことに安らぎを覚え,
これまで天皇の役割を果たそうと努力できたことを幸せだったと思っています」
「日本国憲法では,「天皇は,日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」と規定されています。
私は,この20年,長い天皇の歴史に思いを致し,国民の上を思い,
象徴として望ましい天皇の在り方を求めつつ,今日まで過ごしてきました。
質問にあるような平成の象徴像というものを特に考えたことはありません
私がむしろ心配なのは,次第に過去の歴史が忘れられていくのではないかということです。
昭和の時代は,非常に厳しい状況の下で始まりました。
昭和3年,1928年昭和天皇の即位の礼が行われる前に起こったのが,張作霖爆殺事件でしたし,
3年後には満州事変が起こり,先の大戦に至るまでの道のりが始まりました。
第1次世界大戦のベルダンの古戦場を訪れ,戦場の悲惨な光景に接して平和の大切さを肝に
銘じられた昭和天皇にとって誠に不本意な歴史であったのではないかと察しております。
昭和の60有余年は私どもに様々な教訓を与えてくれます。過去の歴史的事実を
十分に知って未来に備えることが大切と思います」(即位20年)
皇后陛下
「私は,今も終戦後のある日,ラジオを通し,A級戦犯に対する判決の言い渡しを聞いた時の
強い恐怖を忘れることが出来ません。
まだ中学生で,戦争から敗戦に至る事情や経緯につき知るところは少なく,
従ってその時の感情は,戦犯個人個人への憎しみ等であろう筈はなく,
恐らくは国と国民という,個人を越えた所のものに責任を負う立場があるということに対する,
身の震うような怖れであったのだと思います」 (2014年誕生日)