「本当にお美しいですわ」
支度の間に飾られた純白のローブ・モンタントを見て女官やデザイナーは
ため息をついた。
生地は皇居で育てられている小石丸が吐きだした、日本最高の絹である。
純白であるが、その艶は光を浴びて時々銀色に輝いた。
「本当にこれでいいの?」
皇后は別のため息をついて目を伏せる。
たった一人の娘が嫁ぐ。その時はどんな支度をしてやろうかと色々自分なりに
考えて来た。
かつて自分は母の手によって、ディオールのドレスに身を包み
十二単を着て、華やかなティアラをつけたものだった。
馬車に乗って成婚のパレードをする時は、「現代のシンデレラだ」と言われた。
婚約が決まってから成婚の儀に至るまでの日々は
夢のようだった。
「ローマの休日」のオードリー・ヘップバーンのように、裾広がりのドレスを選び、
あるいはレースのベールをかぶり、あるいは外国製のローブ・デコルテを作る。
記者会見の日、手袋の長さが足りないと旧皇族や華族にののしられた事を忘れはしない。
だからこそ、母は誰よりも立派な支度をするのだと誓い、出来うる限りの事をしてくれた。
入内するにあたっての白生地や足袋、調度品なども全て誂えだ。
「ショウダ家家の名誉にかけて」と。
同じ事を娘にしてやりたいと願っていた。
ノリノミヤは生まれながらの内親王だ。
しかし、生まれた時からいつか「降嫁」するという事が決まっていた娘でもある。
そう思って教育して来た結果なのか、ノリノミヤは小さい頃から「物欲」がなかった。
おしゃれも、メイクもアクセサリーも。
そして「結婚」においても。
あと数か月で結婚式だ。
ヨシキと住む予定のマンションは決して広いわけではない。
だから荷物は最小限にすると言い張り、全てを置いて行こうとする。
「新しい箪笥を作りましょう」
「おたあさま、マンションにはクローゼットがあるからいらないのよ」
「そんな事言ったって着物にドレスに帽子もしまうところがないと」
「ヨシキさんのお母様が使っていらっしゃるのを一つ頂く事になっているの。
それにドレスも帽子も必要ないでしょう?」
「じゃあ、テーブル・・・」
「二人で住むんですもの。今あるので十分よ」
何もかもいらないと言い張る娘の気持ちが全く理解できなかった。
そして今回のドレスである。
どこからみても「基本型ドレス」にしか見えない。袖が大きく膨らんでいるわけでもないし
襟にレースがついているわけでもない。
ただただシンプルなだけ。
「いいの。私、このドレスを着るのが夢だったの」という。
そして披露宴を食事会ではなく茶会にすると言い出し、あげくの果ては
「おたあさまの振袖を着せて下さらない?」という始末。
「おたあさまの着物はどれも素晴らしいものばかり。私、憧れていたのよ」
確かに、自分が持っている着物はどれも最高のものばかりだ。
生地も柄もそのコーディネートも考えに考えて誂えて来た。
皇太子妃とアキシノノミヤ妃が納采の儀で身に着けていたあの帯も
自分が授けたものだ。
あえて二人の妃に帯を新調させなかったのは姑としての気遣いだ。
「皇后からの賜りもの」というステイタスを与える為だ。
「かつて皇后様が納采の儀でお召になった帯を妃殿下方が受け継がれ・・・」と
週刊誌の見出しを飾った時は、本当に嬉しかったものだ。
しかし、これが娘の事となると話は別である。
着物は時代を超えて受け継がれていくものではあるが、それはそれとして
娘には振袖を新調してやりたかった。
朝見の儀に着る十二単は「即位式で誂えたからいらない」と言うし。
何もかも「お古」でいいなんて。
「そうね。好きなものをお選びなさい」
一緒に新婚の家具を選ぶ楽しみも、衣装を批評する喜びもアクセサリーを
誂える楽しみも与えてくれない娘なのだった。
一方、東宮御所では、東宮大夫からの要請にマサコがヒステリックな声を
あげていた。
「絶対に行かない。万博なんて大嫌い」
中部地方で行われている万国博覧会は、皇太子が名誉総裁である。
始まった頃から皇族方が訪れて花を添えている。
4月にはオランダの王太子夫妻が来日し、アキシノノミヤ達が接待していた。
博覧会もオリンピックも世界に「国力」を示すよい機会であるし、
それに伴って政治家や王族が訪れる事も多く、皇族の仕事が増えるのである。
皇族が万博を訪れる事によって、より国民の興味をそそる。
最大の宣伝力なのだ。
なのに、マサコは絶対に行かないと言う。
「皇太子殿下はもう何度も行ってらっしゃいますが、妃殿下が一度も現地を
視察なさらないのは」
「私は病気なの」
マサコはつんとして言った。横にいる皇太子もうんうんと頷く。
「しかし、静養には行かれるわけですし。このまま那須などに行けば
必ず批判が起きます」
東宮大夫にはわかっていた。
マサコはいわゆる「適応障害」と言われて半年以上、ほとんど公の場に
姿を現すことがなくなっていた。
毎日、夜中まで起きているかと思うと昼過ぎまでねる始末。
それに対し、オーノは一切何も言わず
「今は好きな事を好きな時にやる事が治療」などといい、全てにお墨付きを
与えている。
「生真面目なご性格だから出来ない事をあれこれ悩まれるのです。
いっそ、生真面目をおやめになられれば楽になりますよ」
そんな甘い言葉を真に受けて、マサコは苦手な早起きをやめ
気がむいた時だけアイコに接する・・・出かけたい時にでかける
食べたい時に食べるというような生活を始めていた。
そんな風にだらだらした生活をしていると、「公」が怖くなる。
1時間なり2時間なり緊張感を持って背筋を伸ばして座っている
という事そのものが面倒で嫌な仕事になってしまうのだ。
知らない人間に見られる事、相手に気を遣うこと、愛想笑いをすること
全てが面倒でけだるくて・・・そう思ってしまうともうだめだ。
何もかもやる気が失せてしまう。
やる気がないのにやれやれと責められるのはもっとも腹が立つ事だ。
「妃殿下」
東宮大夫の訴えるような目にもマサコは何の関心も示さなかった。
「万博ぐらい行ってやれ」
オランダからの電話に嬉々として受話器をとったマサコは
父の思いがけない言葉に絶句した。
「そもそも私がこうなったのは誰のせいなの?お父様のでしょ?
私は嫌だって言ったのに無理やり皇太子と結婚しろって。
私、ずっと外務省にいたかったもの。外交官になって世界を飛び回るのが
夢だったのよ。それなのにお父様のせいで・・・・」
「またそれか。いい加減にせんか」
「いくらだって言ってやる。一生言ってやるから。お父様のせいで
私の人生はめちゃめちゃよ」
受話器を持つ手が震え、マサコは大粒の涙を流した。
しゃくりあげる声が遠く離れたオランダの邸内に響き渡る程だった。
「だからお前の好きなようにさせているじゃないか。医者をつけて
病気認定してやったし、今や誰もお前に逆らえまい。有識者会議が
始まってアイコに皇位継承権が出来れば本当の意味で怖いものなしだ」
まるでニンジンをぶら下げられた馬のように、マサコは大きく
目を見開いた。
「本当にアイコに皇位継承権が?」
「ああ。コイズミ内閣ではもう既定路線だ。すぐに決まるさ。
ウヨクが何と言ってもな。日本国憲法では男女平等が高らかに
歌い上げられている。天皇の次は皇太子。そしてその次は
皇太子の直系の子供が継ぐのが当然なのだ。たとえそれが
女でも。そしてアイコが女帝になったら、しかるべき皇配をつけて
アイコの子供が次の天皇になるのだ。オワダの血が皇統を
牛耳る」
「そんなに簡単に行くかしら。あのアイコが結婚するなんて考えられないけど」
「女帝の夫になれるなら話は別だろう。今の総理大臣は
女帝と女系の違いもわからない奴だ。
素直に世界的に長子相続が普通といえば納得する。非常に合理的だ」
「そんな先の話はいいわよ。私は今の事を言ってるの。外務省にいれば
自由に外国にいけたのに、今はどうよ。強制されてあっちへ行けだの
こっちへ行けだのって」
「だから」
電話の向こうでイラつている。
「そのうち、外国にも行かせてやるから万博ぐらい行ってやれ」
「本当に?」
夫の言う事は無視で来ても父の言葉は無視できないマサコだった。
そして盛夏。夏真っ盛りの猛暑日。
日帰りで行く事で何とか納得したマサコだったが、終始不機嫌さは
隠せなかった。
それでも、一応、宮内庁からは
「マサコ様はこの訪問を強く希望された。体調が万全でない中
皇太子殿下が名誉総裁を務めているので、必ず訪れたいと希望。
さらに9月にはアイコ様を伴って行きたいとおっしゃった」と発表された。
そんな風に言われたら、回りはみな期待する。
しかし。当日のマサコは、とても「公式訪問」とは思えない程の
よれよれのスーツに身をつつみ、髪もよくとかしていないのでは
ないかと思われる格好で登場。
万博関係者らを戸惑わせた。
華やかな皇太子妃の登場に、さぞや場が明るくなるのでは
ないかと期待していたのに、新幹線を降りて登場した皇太子夫妻は
全てを拒否しているような冷たい雰囲気を漂わせていた。
マサコの表情は硬く、それが「病気」のせいだと言われたらそれまでだが
熱がある様子もないし、天気もいいし、一体何がそんなに気にいらないのか
みなはかりかねる。
それだけではない。
マスコミの取材設定の場所を厳しく決められ、立ち位置、皇太子夫妻からの
距離まで測られ、さらに質問するな、カメラのシャッター音を鳴らすな
フラッシュはやめろと、うるさい事ばかり。
案内する万博関係者も「よけいなことを話しかけるな」と厳しく通達されていた。
それでも、少しでも和ませようと、モロゾーとキッコロが出迎え、一生懸命に
愛想を振りまいたが、マサコは一瞥しただけで通り過ぎた。
モリゾーとキッコロは炎天下の中、30分も立ち続けて待っていたのに
見事に無視されてしまった。
これにはさすがのマスコミも驚き「病気が重いのか」と・・・・あとから考えれば
ちんぷんかんぷな事を考えたりした。
マサコはそこにモリゾーとキッコロというキャラクターがいた事すら覚えていなかった。
暑いし面倒だし、今は帰る事だけを考え、早く終わりたい一身だったのだ。
皇太子夫妻が訪れるパビリオンは限定され、しかも事前にそこへ行く事を
告知していず、突然、規制線がはられ入場者を足止めしてしまったので
一般人からのクレームが相次ぐ。
「何で最初に言わないんだよ。予定が決まっているなら言ってくれよ。
そしたら来ないのに」
「予約してたのに入れないって?一体誰の為の万博なのか」
国民の怒りは至極もっともだったが、関係者も宮内庁も無視した。
とにかく、マサコに機嫌よく帰って貰わなくてはならなかったから。
最初のイギリス館で皇太子は案内役とにこやかに握手をしたがマサコはしなかった。
ただ後々「英語で会話をした」事だけが取り上げられる。
大地の塔では
芸能人が待ち受けていて
「あの万華鏡を見ながら手をつなぐと幸せになれるんですよ」と言うと
コウタイシがにこやかに手を繋ごうとしたが、マサコは硬い表情のまま
ほんの少し手に触れただけだった。
(手をつなぐなんて気持ち悪い)とマサコは心の底から思った。
冷凍マンモスを見て皇太子は
「これは何の役に立つのですか」と聞き
マサコは「足の裏は普通のゾウと同じですか」
「マンモスの毛の長さはどれくらいですか」と聞いた。
そのちぐはぐさに、何と答えてよいやらわからない程。
どこにいてもカメラが待ち受けている事にマサコは苛立った。
カメラの前に立たなくなって随分になる。
見られる事が嫌いではないのだ。
ただ、自分の許可なくそこにいるという事が気にいらない。
馬鹿にされているというか、軽く見られているような気がして
本当に頭に来る。
マサコはわざと笑顔を作らなかった。
それがマスコミと無理やりここにこさせた宮内庁への「仕返し」だと思った。
そう思えば少しは気が楽になる。
結果的に皇太子夫妻の万博訪問は大失敗だったのであるが
宮内庁は何とかそれを「成功体験」にしようとやっきになった。
そこで東宮大夫は記者会見で
「予定通りのスケジュールをこなせてよかったと思う」と言った。
「妃殿下は暑さの為、体調が少し悪かったのですが、それでも
頑張っておられた。パンツスーツだったのはこれが公務ではなく
あくまでも「足慣らし」私的な訪問と受け取って頂きたい」
さらにマサコからの言葉として
「途中ではその後の行事が難しいと思うことが何度もありました」
「それでも期待に応えたかった」
「会場で「お大事に」と言われて励みになりました」
ち紹介。
全て嘘ばかりだったけれど、それにあらがう力のあるものは
もう誰もいなかった。
まるで目に見えないものがあるかのような「病気」報道に
国民はどう受け止めたらいいのかわからなかった。
いわゆる「心の病気は自分が悪いのではない。頑張ってと言ってはいけない。
おいつめてはいけない」などのキャンペーンがなされるような時代であったので
マサコの「適応障害」という病気も、同じように接すればいつか
それが半年後か数か月後になるかわからないけど、普通に戻るのだと
まだこの時点では信じていたのである。
その後、マサコが万博を訪れる事は二度となかった。
一緒に連れて行く予定だったアイコもまた行かなかった。
アキシノノミヤ家は家族であるいは夫婦で何度も足を運び
熱心に見学したし、天皇と皇后も何度も行った。
特に皇后は頸椎を痛めている為、ネックカラーをしてまでも
訪れ、関係者をねぎらった。
しかし、名誉総裁の妻は日帰りで一度だけだったのだ。
さらに、皇太子が単独で万博を訪問する陰で自分は
ハーバード大学関係の講演会に出席すると言う
意味不明の事までやってのけた。
マサコの行動はすべて「治療の一環」で片づけられ
もはや怖いものなど何一つない状態だった。