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韓国史劇風小説「天皇の母」180(節目のフィクション)

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その年の夏、東宮家はタガが外れたような遊びっぷりだった。

7月にいやいや万博に日帰りで行き、その愛想のなさで

顰蹙を買ったマサコだったが、それでも本人的には「達成感」にあふれ

それゆえに「これくらいなら許される筈」とばかりに「静養」につぐ

「静養」にあけくれたのだ。

まず、8月6日。その日は広島に原爆が落とされた日で、

皇居始め、各宮家では「お慎み」と呼ばれる・・・いわば外出をしない日だった。

にも関わらず、マサコはセイロカ病院の夏祭りに行ったのだった。

「原爆の日にそのような外出をされるのはいかがなものかと」

東宮大夫は厳しく言ったが、マサコは

「8月6日に夏祭りをやるって言ってるのは私じゃなくて病院なのよ。

私が合わせているんじゃない」と言い放った。

別に来てくれと頼まれたわけではないが、この病院で行われる

アニマルセラピーには何度か顔を出しているし、

夏祭りとやらは何やら楽しそうだし。

それに自分が顔をだせばみなどれ程喜ぶだろうか。

マサコはすっかりその気になって、回りが止めるのも聞かず

ハイテンションのまま、夏祭りに登場した。

病院側は突然の訪問告知に驚き、しかし、大急ぎで迎える支度を整えた。

入院中の子供達がヨーヨー釣りをしたり、割りばしピストルを作ったり

ちょっとおいしいものを食べたりする程度の祭りではあったのだが、

そういう経験のないマサコにとっては何もかもが新鮮で楽しかった。

特に割りばしのピストルはとても魅力的に見える。

こんなものを買ってもらった事はないし、ましてや自分で作った事もない。

面白そうだし、きっと皇太子も同じに違いないと思って

「一つ頂戴」とせがんでみた。

子供達の割りばしピストルは一人一個を作って遊んでいるのだが、

誰かのものをマサコに献上するしかなかった。

これで女性週刊誌は「ママが泣いた 夏祭りの宵 子育て 生きる事を語り合って・・・」

と書いてくれる筈。

そうすればそれが原爆記念日だろうが誰も文句言わないだろう。

マサコは非常に上機嫌だった。

 

その上機嫌のまま、8月10日に那須の駅についた一家は、出迎えた人々に笑顔で

手を振った。

その頃にはもう、「婦人部」と呼ばれるお抱えの「声かけ部隊」が控えていて

一家が登場すると「マサコさまーーアイコさまー」と声をかける決まりになっていた。

そんな風に呼ばれれば本人は「自分は国民に受け入れられている」と

錯覚する。

そしてテレビしかみない人々もまた、「マサコさまとアイコ様は人気者だ」と解釈し

「将来は女帝になるかもしれないアイコ様」に注目するというわけだ。

ある意味、涙ぐましい「カリスマ性」の演出だったが、今の所、みな騙されている。

 

いつも通り、駅で「マサコさまー」と呼ばれるたびにマサコは嬉しくなって一生懸命に

手を振る。

思えば「手を振って声援に応える」という所でしか「皇太子妃」である事を

アピール出来ない。

この一瞬の為だけに「皇太子妃」をやっているようなものだ。

駅前でわざとらしく、アイコの顔の前にかがみこみ「面倒を見ている」風を

装う。アイコは無表情のままだったが、マサコ的には

「母としての慈愛」演出は成功だった。

金色のバンに最初に乗り込むのは皇太子。

駅前で主役なのは皇太子ではなくマサコだったから、皇太子は

後ろの席に追いやられ、次にアイコが乗り込み奥に入る。

そして一番手前、つまり観客から見える場所にマサコが座るのだ。

窓をあけて、華麗に手を振る。

「わーー」という声が沢山聞こえる。テレビ取材のクルーも沢山いる。

「皇太子妃マサコ様は静養の為に那須にお入りになった」という報道が

マサコにとって喜びの頂点。

「病気療養中のマサコ様もお元気な顔を見せ・・・」

そして週刊誌は、追いかけてきて「セレブそのままの生活をするマサコ様。

でも籠の鳥のように自由がない。本当は那須だけじゃなく世界中を

旅して歩きたいのに、皇太子妃であるばっかりにそれが出来ない。

マサコ様は国民の為に犠牲になって皇室に入られたのだ」と書いてくれる。

要するに

「皇太子妃になってやったのだし、アイコを産んでやったのだから、静養くらいなんだ。

レストランくらいなんだ。遊園地くらいなんだ」という考え方である。

この時は、マサコのそういう考え方が如実に現れた年だったといえるだろう。

 

通常、皇族の御用邸における過ごし方といえば

先帝においては那須で植物の研究、皇太后は天皇の手伝いをするかたわら

日本画を描く・・散策する・・・くらいだった。

民主主義時代の皇太子一家の夏はいつも軽井沢のホテルで

テニスか登山くらい。

現天皇においては那須でも葉山でも近くの農家を尋ねたり・・・

どこまでが公務でどこまでが静養かわからないようなものになりつつある。

一方、各宮家は別荘を持っていたり、あるいは常宿が決まっていて

アキシノノミヤはいつも長野だった。

基本的に内廷外皇族は御用邸を使用できない決まりなので仕方なかった。

しかし、ホテルに泊まるとはいっても、ほぼ一般人と同じような扱いで

あまり外で遊びまくる・・・・という事はなかった。

せいぜい博物館や美術館程度だろうか。

しかし、東宮家の那須静養は、まずは「外食」から始まる。

 

マサコはいつも「この時」を待っている。

東宮御所でどんなごちそうを食べる事が出来てもそれは彼女の

「幸せ」ではない。

大膳が作る料理は栄養を考えバランスを考え、薄味仕立てで上品な

ものだったが、それが全くマサコにとっては嬉しくもなんともないのだ。

高級な三ツ星あるいは4つ星レストランを貸し切って、夜遅くまでワインを

飲みながら好きなだけ食べる・・・これこそが至福。

皇太子も、そういう楽しみ方をマサコに習い、今やすっかり「濃い味」党だ。

そして、マサコにしてみれば「子育て」をしている風を装いつつ

アイコを無視できる絶好のチャンスだった。

レストランの食事はアイコも大好きである。

最近やっとスプーンの使い方を覚えた。フォークはまだダメなので

しまいには手づかみでもまあいいかという事になる。

とにかく食べさせておけば静かだし、眠くなればテーブルい突っ伏して眠る。

でも個室だから誰にも見つからないというわけだ。

店から見れば、夕方6時過ぎに現れて、だらだらと夜中の11時くらいまで

居座る東宮家は迷惑千万に違いなかったが、金払いがいいので断れない。

 

那須入りした興奮からか、マサコはなかなか寝付けずに夜中まで

テレビを見たり、携帯をいじったりしていた。

やっと眠ったのは明け方で目が覚めたのは午後になってからだった。

皇太子は一応、朝はちゃんと起きて、アイコと一緒に朝食を食べ

それから一緒に遊んでやっているようだった。

12日の夕方5時。

思い立って一家はステンドグラス美術館に顔を見せた。

周囲は驚いて道を開ける。それがまたたまらない快感だった。

アイコが珍しく棚のものに興味を示したので籠を持たせてみたら

ぽいぽいおもちゃなどを入れ始める。

タオルにカップにマペット・・・・必要あるかどうかなど考えていない。

欲しいと思ったから籠に入れているだけだ。

「買い物する時はお金を出すのよ」マサコはいい、側近から5千円札を

貰い、アイコに渡した。

「ほら、これで払いなさい」

アイコは何をしているかよくわからないみたいだったが、とにかくこれで

買い物完了。

マサコは、欲望にまかせて自由に籠にものを入れられるアイコに

心から笑った。

「私の娘に生まれたからこそ、何でも買える身分なのよ」と。

そういう身分を娘に与えてやっている自分が愛しいのだった。

「アイちゃん、買い物出来たね。偉いね」と皇太子も目を細めて笑った。

ついこの間まで赤ちゃんだった我が子が一人で買い物が出来るようになったのかと

感慨深い思いだった・・・・しかし、その「お金」が全部税金である事を

皇太子はまるで考えていなかった。

 

娘をダシにして遊園地で遊べるのも静養のメリットだった。

マサコは小さい頃から遊園地で遊んだ事がなかった。

そもそも家族で一緒に楽しむという経験すらなかったのだが、

殊更「子供時代」の経験に乏しく、ゆえに、遊園地を見ると

妙にトラウマがぶり返す。

「自分は親と遊んだこともない可哀想な人間である」という事を。

そこで、遊園地や牧場に出かけた時は、あいこが望もうが望むまいが

メリーゴーランドに乗ったり、動物にエサをやったりと夢中になる。

たかがメリーゴーランド。されどメリーゴーランドである。

木馬に乗ってぐるぐる回るだけなのに、どうしてこんなに楽しいのか

マサコにもよくわからない。

アイコはといえば、全く興味がないようで、そんな娘の顔を見ると

ちょっと不愉快になる。

 

その年は8月15日に花火大会が行われると言うので、昼間は

テニスに明け暮れ、夜からはりんどう湖畔のホテルでフルコースの

ディナーを楽しみながら特等席で花火を見た。

花火のバーンという音をアイコは怖がって怯え、泣きそうになっていたが

そんな事はおかまいなしだった。

むしろ「私の娘に生まれたお陰で、こんな特等席で花火を見る事が

出来るのよ」とこんこんと言い聞かせたいくらいだった。

東宮大夫は

「終戦記念日にテニスや花火はよろしくありません」と言ったので

マサコは皇太子にわざと伺いをたてた。

「じゃあ、花火大会を延期させる?」と。

皇太子は少し考え、それからおもむろに言った。

「両陛下だって終戦記念日にテニスをしていたし。

あれからもう50年以上たっているんだから、そこまでしなくても

いいんじゃない」

皇太子のものいいに東宮大夫は顔色を変えた。

「両陛下は忘れてはならない4つの日というのを定めでおいでです。

終戦記念日、二つの原爆の日、それから沖縄戦が終わった日です。

戦争を経験されている両陛下にとってこの4つの日は粛々と過去を振り返る

日なのです」

「それとこれとは別だと思う」

皇太子は思わず言ったのだが、この「それとこれとは違う』フレーズは

随分と便利に使えそうだ。

船を貸し切って遊び、有名なパン屋に買い物に出かける。

17日には皇太子が公務の為に一人で帰京したが、マサコとアコは残った。

絵に描いたようなセレブ感に浸りながらマサコは夫のいない休日を

満喫していたのだった。

 

しかし。

一家が那須に行ってから3日後、アキシノノミヤ邸では

天皇・皇后・ノリノミヤを招いて小さな夕食会が開かれていた。

8月の下旬にノリノミヤは両親と軽井沢へ行く。

その他にも公務があるし、宮もキコも忙しい身であった。

それdめお嫁ぐ妹の為に一度は、「宮邸で晩餐」と思っていたが

偶然にも予定が合ったのだ。

皇太子夫妻とアイコは那須へ行っているし、呼んでもどうせ来ないだろう・・・

せっかくの夕食会に場違いな人間を呼びたくはなかったし、

この所、延々と皇太子夫妻には嫌な思いをさせられているので

こんな時くらい・・・と思った。

 

宮邸の木々に宿るミンミン蝉がうるさい程に鳴いている。

真っ赤な夕焼けがあたりを包み、宮家のリビングに日差しを向ける。

キコは侍女たちと一緒に食事作りに奔走し、ノリノミヤの好きなものばかり

用意する。

マコもカコもこの日はお手伝いで、おめかしして客間を整える。

夕方にプライベートな車でやってきた天皇・皇后・ノリノミヤに

マコ達は歓声を上げ

「いらっしゃい。おじいちゃま。おばあちゃま。ねえね」と迎える。

「ごきげんよう。マコちゃん、また背が伸びたかしら?カコちゃんは

お勉強を頑張っていますか?」

皇后の尋ねにマコは「そう。もう大きいわ」といい、カコはもじもじして

「宿題がね・・・・」と言う。

その夜の夕食会は、久しぶりの「団らん」だった。

ノリノミヤは自分の好物を揃えてくれたキコに感謝し

「私もお料理を頑張るわね。ヨシキさんの好きなものを沢山作ります。

妻としての在り方は全部おねえさまを見本にするわ」と言った。

「キコみたいに頑固になってはダメだよ」と宮が言うと

「あら、頑固でよろしいのよ。これからの女性はね」と言い返される。

「ねえね、お嫁に行くの?」

不思議そうな顔してカコが尋ねる。

「ええ。そうよ」

「もういらっしゃらないの?」

「今度はヨシキさんと一緒に来るわ」

「ねえねと赤い糸ね」とマコが生意気な口をきく。

「まあ、マコ」と紀子がたしなめるが天皇は穏やかに

「マコもいつかそんな赤い糸がね・・・」と寂しそうに言った。

「私、お嫁になんかいかないわ。ずっとお父様達と一緒にいるもの」

「私も」

伸びやかな姉妹の言葉に天皇も宮も複雑な笑みを浮かべた。

 

ノリノミヤは溢れそうになる涙を隠そうと顔をそらした。

幾度、この宮邸で昼を夜を過ごしただろうか。

兄たちが公務で地方へ行っている時は、時々来ては

一緒に夕食をとったり、時には店に連れ出す事もあった。

鳥の研究の時はいつもここに泊まった。

キコはお弁当を作ってくれた。実の姉以上の存在だった。

そして、小さい頃から・・・本当に小さい頃からいつも自分を気にかけて

可愛がってくれた兄。

その兄のおかげでヨシキと新しい人生を始めるのだ。

忘れまい。この宮邸で経験した全てを。

皇族でなくなっても、私は妹として、そして内親王達の叔母として

見守り続けていくだろう。

そしてヨシキにとってよりよい妻となろう。

それが自分に出来る精一杯の恩返しなのだから。

 

 


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