時々、国民は天皇家に40年近くも男子が生まれていないという事実に
不安になる。
本当は100年も前から、その都度不安を持って来た事なのだが、
幸いにして何とか皇統は維持されてきた。
しかし、今回ばかりは本当にダメではないか・・・・と思わざるを得なかった。
マサコは40歳を過ぎ、キコももうすぐ40歳を迎えようとしているからだ。
もっと早く何とかならなかったのか。
マサコが不妊だったのは気の毒としても、アキシノノミヤ家に3人目が
生まれないのはどういうわけなのだろう。
もう子供を持つ意志がないのだろうか。
まさか、その陰で
「色々言われるから産まない方が」と止められていようとは
誰も考えていなかった。
アイコが生まれた時から「いずれ女帝に」という話題は浮かんでは消え
消えては浮かんで来た。
ノリノミヤの婚約がきっかけとなり、「女帝」への布石報道は増えていく。
「女帝」を容認させるには、まず皇太子の次に皇位継承権のあるアキシノノミヤを
貶めなくてはならない。
女性週刊誌には盛んに「両陛下が皇太子家を無視してアキシノノミヤ家だけと
仲良くしている」という記事が載り始め、
やがて「アイコ女帝への道」という文字が踊り始める。
年の始めに立ち上がった「皇室典範改正に関する有識者会議」は
女性学を専門とするイワオスミコを筆頭に、10人のメンバーで構成された。
中には皇后と同じ大学出身で、仲がよいとされるオガタサダコも含まれている。
しかしこの10人の中に一人も「皇室制度」の専門家はいなかった。
そもそも総理大臣自らが「女帝と女系」の違いもわからず
「アイコ様で何が悪いの?」と言う程の人物であったから、そんな総理の意を
組んだメンバーに正当性がある筈もなく。
「皇室制度とは何か」
「なぜ125代男系で繋いできたのか」
というような議論が一つもなく、ただ単に「このままでは皇位継承が危うい」の
一言で片づけてしまう浅はかさ。
「イギリスだって女王がいるのだから日本だって女帝がいても不思議ではない」
と言い出す愚かさ。
専門家がいない専門会議というおかしな風景が繰り出す論理は、どこまでも
「男女平等」「身分制のない国家」を軸とする、天皇という存在に対する矛盾を
誤魔化す内容ばかりだ。
・ 女性天皇および女系天皇を認める
・ 男女を問わず第一子を優先とする
・ 女性天皇および女性皇族の配偶者も皇族にする
・ 永世皇族制を維持する
・ 女性天皇の配偶者への敬称は「陛下」とする
・ 内親王自由意思による皇籍離脱を許さない
皇室2600年の歩みの中で、数々の例外はあったろうが
上記のような内容は一度もなく。
前代未聞の皇室典範改正で、それをいとも簡単に
やってのけようとする事に罪悪感を持つ者すらいない。
これはどこから見ても「アイコ女帝」への布石に他ならなかった。
僅かに残る保守派が
「日本の天皇制を支えてきたものは「血筋」そのものであり、ゆえに
男系である事が第一条件である」
と言っても、「それは古い考え方」「男女平等主義に反する」などと一蹴された。
たまらずミカサノミヤ家のトモヒトが「女系天皇反対」を唱え、旧皇族の復帰を求めたが
「それによってどうという事はない」とこれまた一蹴された。
皇室に関する会議を行っているのに、皇族の意見を無視、そして軽んじる会議だったのだ。
このままあと数か月待てば、この「皇室典範改正」は実現する。
天皇も皇后も政府の決定には意見しない。
貝のように口をつぐみ、「それは政府が決める」との繰り返しだった。
天皇にとって「政府に意見する事」はすなわち「暴君」になってしまうのでは
ないかとの恐れがあった。
かつての戦争に負けたのも・・・いや、その戦争に突入させたのは先帝の詔勅で
あった事を思う時、もしその判断が間違っていたら、自らの首を絞める事になる。
自分で意見しないという事は、つまり「責任もない」という事なのである。
心の中では「あのアイコに将来天皇が務まる筈がない」と思っている。
しかし、そう言ってしまったら「女子だから差別するのか」と言われてしまう。
両親の皇太子夫妻が娘の障碍を認めず公にしない以上、いくら祖父母といえども
それは出来なかった。
また、事ここに至っては女帝はダメだ、女系はもっとダメだ・・などと狭い事を言っている
場合ではないとの判断も。
障碍はいずれ必ずばれる。そしたらアキシノノミヤ家のマコが女帝になればいい。
皇統の維持に心を痛めすぎた天皇と皇后は、そこまで追い詰められていたのである。
では他の皇族はどうであったかと言えば、真正面から抗議したのはトモヒトだけで、
あとは全てにおいて「静観」の構えだった。
なぜなら、そんな事は「今さら」な事だったからだ。
民間から妃が出るのであれば、3代前が不詳で黒いうわさだらけの外交官一家から
皇太子妃が出ても不思議はないし、その娘が発達障害であろうとも
女帝にしたければすればいい。
その頃、自分達はみな墓の下だから・・・・というような感じだろうか。
あの日。オワダマサコの皇太子妃決定ニュースがロイターで駆け巡った時、
皇族方は全員、驚きのあまり言葉が出なかった。
事前に何の連絡もなく、いきなり皇太子妃決定。
何かを決める時にもっとも重要な「根回し」が一切なかった事に
皇族方は怒り心頭になった。
それでも謝罪するわけでもなく、ニュースは事実になり、さらに勝手に
食事会など開かれたのでみな欠席した。
それが皇族方の「抗議」の仕方だった。
それでも・・・・それでも天皇と皇后からは釈明の一つも出なかった。
あれから10年。
「人格否定」発言によって皇太子は皇室の権威を決定的に傷つけてしまった。
「病気」になったのは天皇が悪い、皇后が悪い、皇室が悪いと言い張る皇太子妃と
それを擁護し加担する「世間」というものに、みな絶望して口を閉ざす。
そんなわけで「有識者会議」にとって怖いものは何一つなかった。
オランダの遠い空からヒサシも、一日千秋の思いで皇室典範の改正を待っている。
そしてマサコは「病気」を理由に公の仕事はほぼ全欠席のまま
那須に3週間の後は奥志賀へ静養に出かけ、やりたい放題を満喫している。
それでも、自分達がいない間にアキシノノミヤ邸に天皇・皇后とノリノミヤが
集まって夕食会を開いたなどという話を聞けば、面白くない。
自分がやりたい放題やればやる程、それを羨ましそうに見ている人間がいる
事がストレス解消なのに、まるで、意に介さず夕食会など。
しかもアキシノノミヤ家は、本来内廷皇族しか利用できない那須御用邸に
まで滞在の許しを得ているではないか。
すかさず週刊誌に
「マサコ様を無視して両陛下とノリノミヤ様とアキシノノミヤ家で夕食会をするなんて
配慮が足りない。これ以上、マサコ様の病状が重くなったらどうするのか」
「マサコ様が病気だというのに、アキシノノミヤ家の那須御用邸滞在のなぜ」と書かせる。
無論、マサコが書かせたわけではなく、裏で動いていたのはヒサシだったのだが。
何をやっても庇って貰える事にマサコは大いに満足し、子供のように笑い、
子供のようにふてくされた。
「そんなに傷ついたのかしら」
皇后はおろおろと新聞の見出しに言葉を振るわせた。
アキシノノミヤに御用邸の使用を許可した事、そして例の夕食会に関して
「マサコ様が傷ついた」と雑誌などが報道しているのだ。
「だって、サーヤの結婚の為だったのだし。あの人達はどうせ来なかったろうし」
8月下旬、天皇・皇后・ノリノミヤは八ヶ岳を訪問。
公務を兼てのものだったが、降嫁前の最後の「水入らず」であった。
しかし、その時、目と鼻の先にいた東宮家とは会わなかった。
「おたあさま、いつもの事じゃなくて」
そう言いながらノリノミヤはうんざりしていた。
週刊誌の見出しに一喜一憂する母の姿。
本当にこんな母を残して嫁いで大丈夫なのだろうかと。
あと数か月なのに。
幸せな筈の今を今一つ乗り切れないノリノミヤだった。