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昭和34年2月6日の内閣委員会議事録 1

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 kiwa様が探し出して下さった

「昭和34年2月6日の内閣委員会議事録」は

本当にすごい資料だと思いました。

今になってこの資料が見つかった事・・・・それはパンドラの箱を開けるに

等しいほどの衝撃かと思います

 

まず、昭和34年2月頃、皇室はどんな雰囲気だったかと言いますと

前年の昭和33年11月27日に皇太子と正田美智子さんの

婚約が決定し「ミッチーブーム」が沸き起こったころです。

 

昭和34年のアサヒグラフの表紙は正田美智子さん。

一言でいうと「表紙だけの為に撮影されたかのような」写真です。

正田家と朝日新聞ってかなり強い絆を持っていたようですね。

しかしながら皇太子の婚約者が雑誌の表紙用に写真を撮影したの

だとしたら・・・・今ならとても大きな問題になっていたのでは?と。

正田美智子さんの数々の写真は、今の皇族方の写真と違って

「雑誌」表紙用が結構あったんじゃないかと

 

それはさておき、このアサヒグラフは正月特大号になっていますので

前年の年末あたりに出た雑誌。

(11月27日が正式に婚約。それからせきを切ったように表紙を飾る美智子さん。

わずか数か月前にはヨーロッパに「傷心旅行」をしておいでだった。

当時の技術でこんなに早くでかでか写真が載るという事は

つまり、最初から決まっていたという事ですよね)

その表紙が正田美智子さんでした。

アサヒグラフだけではなく、週刊文春の表紙やら毎日グラフの表紙も

飾り、いわゆる「社会現象」になっていた時代の2月6日です。

 

そしてこのころ、どうやら吹上御所の建設が検討されていたらしい。

私の印象ですが、戦後、昭和天皇はずーーっと焼け残った「お文庫」

暮らしでいらっしゃった。

先に皇太子結婚に伴う東宮御所を建設し、そしていよいよ御所を建て直す

事になったのですが、国民的には

「お文庫に陛下が住んでいらっしゃってお可哀そう」だったと思うんですよ。

新しい御所を建設する事は決して反対ではなかったと。

しかしながら、この議事録を読む限り、保守派は必ずしも賛成ではなかった事、

そしてその当時の「皇室」の在り方に疑問を抱いていたことがわかります。

特に皇太子への不信感は大きく、それが誰のせいなのか?

という部分を追求したがっているような印象。

一方、社会党系の議員はこの時代から「皇族に人権を」と言っている。

大昔の私ならしっかり共感していそうな感じです。

このころ、三笠宮殿下が「天長節は皇室の私事にすぎない」と発言したらしい。

要するに「天皇誕生日を祝日にする必要はないじゃないか」とおっしゃっているようです。

しかも噂では「皇籍離脱したい」とおっしゃっていたとか。

 

登場人物は

 宇佐美毅宮内庁長官・・・・1903年ー1991年。

                   東大卒。二代目の宮内庁長官。

 平井義一・・・自由議員。衆議院議員を5期務める。横綱審議委員なども。

 受田新吉・・・民社党・社会党。

 林修三・・・法制長官

等。

 

正田美智子嬢入内に奔走したのは

 小泉信三宮内庁参与

 鈴木菊男東宮大夫

 黒木従達東宮侍従長

 田島道治前宮内庁長官

 

これからゆっくりこの資料を掲載し、要約していきますが

皆さまには、原文の持つニュアンスを感じ取って頂きたいという事。

そこには、私たちが想像もしなかった空気が流れています。

そしていま思えば、この時の予言が全て当たってしまったという事実が

浮かび上がってくるのです。

○内海委員長 これより会議を開きます。

          総理府設置法の一部を改正する法律案を議題とし、

          これより質疑に入ります。

          質疑の通告がありますので、順次これを許します。平井義一君。

○平井委員 皇居造営審議会を設置する件につきまして、

        宇佐美宮内庁長官にお尋ねをいたします。

        皇居を造営するかしないかという問題に関しまして、

        まず長官に天皇制のあり方について所感を

        承わりたいと思いますが、

        天皇制といえば神武以来の天皇制でございますので、

        非常に長期にわたりますので、

        これを三つに区切って所感を承わりたい。

        神武天皇から孝明天皇まで、明治天皇から終戦までの天皇制、

        終戦になって新憲法のもとに作られた天皇制、

        この三段階に分けて、

        天皇制のあり方について長官の所感を承わりたいと思います。

(皇居造営審議会を設置するにあたって宇佐美宮内庁長官に質問します。

まず長官が考える「天皇制の在り方」を3つに区切って伺いたい。

1・・神武天皇から孝明天皇まで

2・・・明治天皇から終戦まで

3・・・新憲法になってからの天皇制について)

 

○宇佐美説明員 天皇制のことにつきまして御質問があり、

           歴史的に大へんに古いところからの考え方を

          述べろということでございますが、

          私どもは日本の歴史を振り返って、

          わが国において天皇を中心にした一つの日本民族の

          国家が発展してきたものと

          考えております。

          これを明治以降におきまして一つの近代国家として

         新しい憲法制度のもとに、はっきりと国法的にも規定的に定められて

         参った特徴があると思うのであります。

         しかし明治制の憲法というのは、

         今さら申し上げるまでもなく天皇主権という立場において

         制定せられたものでございますが、

         新憲法によりまして国の象徴としてのお立場であり、

         主権は国民にあるという建前に立って、

         いわゆる民主主義国家の建設を行われたと考えるのであります。

         私どもは現憲法の趣旨に基いて今後発展して

         いくべきものと考えておるわけであります。

(我が国は天皇を中心とした一つの民族国家として発展してきたと

私達は考えています。

明治憲法下においてはその事がはっきり明示されていました。

しかし、明治憲法においては「天皇主権」でした。

現在の憲法では「主権在民」であるので、天皇は象徴という立場に

なりました。

天皇制は憲法制度に従って発展していくべきと考えます)

 平井氏の質問に宇佐美長官は明確には答えていませんよね。

   ここで「今の憲法、皇室典範では色々不都合があるので、天皇制に

   おいては明治憲法下の制度をそのまま通したい」などとは口が裂けても

  言えなかった。

  でも、もしかしたら平井氏は「天皇制」の在り方は日本古来のものに

  則っていくべきと考えて、その答えを引き出そうとしたのかもしれません。

 

 

○平井委員 日本の天皇制が始まりまして、

        天皇または王様――あるいは外国の王様のごときは戦争をして、

        勝って王様になるというのが通例でございますが、

        日本の天皇制の場合、やまと民族の中心として天皇がおわしますと

        いうような観念であったのでありますが、

        長官は皇統連綿と続いて、たとい徳があろうとなかろうと

        天皇は皇統連綿として続いているのだ、

        あるいは非常に人格が高くてやまと民族の中心としてふさわしいお方が

        日本の中心になられておった、このいずれをおとりになりますか、

        お聞きしたい。

(日本の天皇制というのは外国の王制と違い、兵力によって支配するもの

ではなく、やまと民族の中心に「天皇」がいらっしゃる・・という観念だったと

思いますが、

長官は皇統というのは

 徳があろうとなかろうと(たとえ暴君であっても)皇統である限り続くものだ

 天皇というのは人格として尊敬され、全ての人に敬われるべき人がなる

そのどちらだと思いますか?)


○宇佐美説明員 わが国の天皇制は世襲の制度でございまして、

            しかもその天皇の位につかれる方が

            やはり国民の崇敬の中になるような

            りっぱな方であってほしいというのが国民の念願で

            あろうと思います。

(天皇制は世襲制ですから(人格に関係なく即位するものですが)

国民の願いとしては「天皇」というからには、国民の尊敬を集めるような

りっぱな方であって欲しいのでは)

 要するに「徳仁親王」は世襲制度によって即位するわけですが

  たとえ年に数回しか公務をせず、静養ばかりしていても、即位出来るのか

  あるいは、きちんとやるべきことをやらなければ天皇になれないものなのか

  どっちですか・・・と聞いているのです

 21世紀の現在、同様な議論がありますよね。

  私達保守派が散々「皇太子妃に引きずられ、遊んでばかりでしかも

  左翼思想にまみれている徳仁親王では天皇は務まらない。

  ゆえに、弟の秋篠宮が天皇になるべきである」と考える一方

  「そのような先例を作る事は皇位継承争いの火種になるからやる

   べきではない」という。

 平井議員はどちらの答えがほしかったのでしょうか。

   どちらにせよ宇佐美長官の答えはいかにも官僚的で

   「実質的には皇位継承権が高い順から即位していくんだけど

  できれば立派な人の方がいい・・・と国民は思っているのでは?」と

  答えています。

  自分の意見という形ではないのですね。


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