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昭和34年2月6日内閣委員会議事録 2

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平井委員 続日本紀でしたかに「武烈天皇は性さがなくましまし、

       悪しきというてなさざるはなし。ゆえにここに皇統絶えにき。」と

       出ておりますが、そこで日本の皇統は絶えております。

       ところが民族の中心がないというので、当時のやまと民族が

       非常に心配をされていろいろ徳の高い人を探した結果、

      河内の国の山奥に非常に崇高なお方がおられた。

      その人をその次の天皇に中心として迎えた。

      これが孝昭天皇でございます。

      そういうふうで非常に徳の高い、民族の中心としてふさわしい方が

      中心となられ、これを親として崇拝をしておったということは

      長官も御承知のことと思います。

      また北畠親房卿は「君は尊くましませど、民を苦しむれば天これを許さず」、

      こううたっております。

      そういうことで常に天皇と国民は一体の姿であられたということも

      長官は御承知の通りと思うのであります。

      そこで孝明天皇は、いよいよ王政復古の声が日本に立ち始めまして、

     当時御承知のごとく日本は徳川幕府によって支配をされておった。

     そのときも孝明天皇は「すましえぬ水にわが身は沈むとも

    にごしはせじなよろづ国民」、

    これは若くして世を去られたとも聞き、あるいは切腹したとも

   私は承わっておる。

    明治天皇は幼少にして非常に苦労をされた。

   その結果明治天皇が王政復古の後に明治大帝とまで崇拝をされておるのであります。

   その後明治天皇は欽定憲法をしかれて、ほんとうに天皇主権のもとに

   天皇と国民は一体である。

   すなわち「罪あらばわれを咎めよ天つ神民はわが身の産みし子なれば」、

   全く一体の姿で来たのであります。

   その点から見まして日本の天皇制は諸外国と違って、

   ほんとうに天皇と国民が親子の姿であり、一体の姿であるところに

   天皇独裁ということでなく、ほんとうに国民と天皇といったような、

   決して天皇はオール・マイテイでないと私は考える。

   すべて民の世論、民の声を聞かれて、これで政治を行なったということが

   日本の天皇制の姿でなければならぬと思います。

   従いまして天皇は国民の親であり、ほんとうの中心である。

   それが戦争がだんだん敗戦の姿をたどって終戦になる。

   国民の中にはあるいは戦犯、あるいは数百万の戦死者を出しておる。

   国民の親であるべき天皇は近代天皇でありますが、

   いかなる親としての行動をされたか、これは私は強く追及をすることも

   いたしませんが、だんだん敗戦後に天皇制に対する観念が

   薄らいできておるということは長官も御承知と思います。

   しかも皇室の尊厳について今日の日本の姿、あるいは日本の青少年の気持、

   これを考えて今後の天皇制、皇室の尊厳がどうあらなければならぬか、

   過去のことでなくこれからの天皇制でよろしゅうございますが、

   皇室の尊厳、今後の天皇制のあり方、これに対してどういう確信を持たれ、

   どういう天皇制のあり方がいいと思われるか、

   この点を一つ長官にお伺いいたしたいと思います。

(「続日本紀に「武烈天皇は非常に暴君であったので皇統が絶えた」と

 あります。そこで徳の高い方を探した結果「孝昭天皇」がたてられました。

このように、徳の高い「民族の中心」としてふさわしい方が天皇になり、

国民はその方を崇拝し、親子のような関係であったわけです。

あるいは北畠親房は「天皇は尊い存在ではあるが、国民が苦しんでいる

なら天はこれを許さない」と言っております。

こうやって天皇と国民は一体となっていた歴史があるのです。

孝明天皇は「汚れた水の中にわが身が落ちようとも私の国民は

少しも濁るこことはない」と歌い、明治天皇は

「国民の罪は私の罪だ」とおっしゃった。

日本の天皇制は諸外国と違い、天皇と国民が一体となっている

親子のような関係であると思っています。

戦前まではそういう意識だったけれど、敗戦後は若者の間でも

「天皇」に対する崇敬の念が薄らいでいる現実を長官は

どのように考えていますか)

 武烈天皇の後に即位したのは継体天皇です。

  武烈天皇は非常に残酷で異常な性格であったと書かれているのですが

  現在ではそれは「継体天皇即位」の理由づけではないかとみられています。

   継体天皇は非常に武烈の血筋から遠かったので。

 戦後、たった10年やそこらで天皇への尊敬の念が薄らぐとは。

   日本って本当に・・・と思いますね。


○宇佐美説明員 ただいま平井委員がるるお述べになりました点につきましては、

           私どもきわめて同感いたすところでございます。

           常に皇室が国民とともにあられるということ、

            昔から皇室の念願とされ、その実現に心を砕かれたのであろうと

           考えるわけでございます。

          いろいろ機構上の変化があるといたしましても、

          皇室と国民との関係というものは、常に皇室は全国民のために

          行動せられるということであろうと思うのでございます。

          明治憲法時代の憲法上の地位に基く諸制度と変りました

          今日におきましては、やはりそこに新しい憲法に基く皇室の

         あり方というものが立っていかなければならないと考えております。

         もとより先ほど申しましたような基本的な問題は変らないと思いますが、

         この現われというものは常にその方向に向って進むべきもので

         あると思います。

        天皇の御位地は、今は政治あるいは文化それぞれの長という意味では

       もちろんございません。

       国民の統合の中心ということにあられるわけでありまして、

       そういうような立場から国民の進歩とともに

      皇室もまた歩かなければなりませんけれども、

      常に国民の大多数とともにおられるということが必要であると

      思うのでございます。いろいろ一口に天皇制の民主化ということが

      いわれるのでございますが、

     そういう意味における民主化ということでございまして、

     やはり一般市民と全部同じになるという形式的な問題ではないと思います。

     やはり国民の象徴としてのお立場というものははっきり

     お持ちにならなければならないと考えますし、国民もまた、

     そういうわが国民、民族の象徴であるということに対する尊敬も

     あるのが当然であろうと私どもは思うのでございます。

     皇族と国民が相親しみ、その間におのずからな尊敬があって、

     ともに日本国の発展のために尽されるというお姿が将来の考え方の

     基本であろう、かように考えております。

(おっしゃる通りだと思いますが、常に皇室は国民と一体である

ともにあるという考えです。

皇室は常に全国民の為に行動すべきと考えているのです。

現在は新憲法の下にそれを考えていかなければならないと思います。

基本的には戦前と変わらない姿勢ではあるけど、新憲法下にふさわしい

あり方を模索しなくてはならないのです。

とはいっても、天皇や皇室が一般人と同じになればいいというものでは

ありません。

そこは「象徴」という立場にふさわしい立場を守らなくてはなりません。

皇族と国民が一体となり、自然に尊敬される・・・というようなもので

なければならないと思います)

 宇佐美長官は非常に答えに苦慮しています。

  明治憲法下と新憲法下の天皇制の在り方について、悩んでいるのです。

  民主主義になった以上、長官から「天皇を中心として」なんて言いようもない。

  そんなことを言ったら「まだ戦前の(独裁的な)考え方を持っているのか」と

  責められるからです。

 線引きが難しい・・・・と言っているのですね。


○平井委員 昔は先帝陛下がおなくなりになりますれば、

        皇位をお継ぎになる皇太子は、少くとも一年ないし

        三年の高座の行事をやられて、これならば民族の中心になり得ると

        いう確信がなかったならば、即位をしなかったということを

       読んでおりますが、

       その昔の日本の天皇制に比べて、敗戦とはいえ、

       今日天皇制を維持するとするならば大きな差があると思いますが、

       この点長官はどう考えられますか。

       戦争が負けたからどうでもいいのだというふうに考えておりますか。

 (その昔、天皇が亡くなられますと、跡を継ぐ方は少なくとも1年ないし3年は

 修養を積み、これなら民族の中心になりえるという確信なくば即位しなかったと

 いう事を読んでおりますが、現在とは大きく違いますね。

  皇太子の在り方、次世代の天皇について

 長官は日本が敗戦国で(天皇は象徴にすぎぬのだから)どうでもいいと

お考えですか)

 いささか過激ですが、新憲法によって、新皇室典範によって

  皇太子が(人格の有無に関わらず)天皇になるという制度は

  果たして正しいのか?と言っているのです。

  当時の皇太子殿下というものに対して、ある程度の不信感をもって

  いるような印象です。

 


○宇佐美説明員 昔のいわゆる皇太子のお地位というものは、

           立太子の儀式によってその方に皇太子というものが

           きまったのでございます。

           必ずしも現在のような長子相続という形ばかりでは

           なかったのでございます。

           その意味におきまして立太子ということは非常に重要な意味が

           あったわけでございます。

           現在におきましては、法制上当然長子相続ということが

           定められておるわけでございまして、

           昔の立太子とただいま行われます立太子の意味は

           非常に違っておると思うのでございます。

           昔のような行き方につきましても一つの方法でございますが、

           同時に、そこに政治的なあるいはいろいろな紛淆も

           起り得るのであります。

           私どもは、そういうことが皇室に行われませずに、

           現在のようなはっきりとした皇室典範に基いてそれが行われることが

           明確であり、紛淆を来たさずにいけるものであると

           考えておるわけであります。

(その昔「皇太子」というのは立太子の儀式を持って正式に決まったのです。

必ずしも長子が皇太子になると限らなかった。

しかし、現在の皇室典範では長子が皇太子と決まっているので、

昔の「立太子」とは重要性が違います。

しかし、昔の意味においては政治的な思惑が絡むこともあり

私達はそういう思惑のないところに皇室をおかなければならないと

考えています。

ゆえに今の皇室典範に基づいていくのが一番いいと思います)

 確かに蘇我氏の時代も藤原氏の時代も、政治的な思惑によって

  「東宮」が変わる事はしばしばでした。

  現在は政治が絡まない分「東宮」の人格に関係なく、先に生まれたから

  皇太子です。

  歯止めがないんですよね。


○平井委員 終戦後に、御承知の通り日本は、国民として非常によりどころがない。

        せめて天皇制は維持されたのでありますから、これが一つの希望であり、

        よりどころであったと思うのであります。

        新憲法のもと国民の象徴となられたのでありますが、

        象徴ということの解釈は非常にむずかしいと思うのでありますが、

        象徴といえば、

        少くとも全国民の崇拝されるべき皇太子でなければならぬ。

        しかも立太子の式を終了された。しからば宮内庁長官として、

        あるいはおそばについておる人としては、民族の象徴にふさわしい教育、

        ふさわしい姿にさせることが職責ではなかろうか。そうならなければ、

       民族のより場もない。将来の日本を考えたときに、一体どうなるか、

       これは人ごとでない、日本民族の問題でありますから、

       特に宮内庁長官はこの点をほんとうに真剣に考えなければ、

       これが一角がくずれていった場合には、宮内庁はもちろん要りません。

       宮城開放の問題も近く起ることは当然の話でありますが、

       現在のあり方が新憲法にふさわしい、あるいは日本民族が非常に尊崇して、

       喜んで天皇制を護持されると思われておるかどうか、

       この点を長官にお尋ねいたします。

(戦争に負けて、せめて皇室が残った事で国民は心の拠り所を残された。

新憲法下における「象徴」の解釈は難しいのですが、

「皇太子」である以上、全国民に崇拝される存在でなくてはなりません。

立太子もすませた現在は、猶更(将来の天皇として)民族の象徴となるような

教育を施す必要がある。

そばに仕える人はそんな重要な職責を担っているのです。

そうでなければ、心の拠り所をなくした民族がどうなってしまうか。

なんでもかんでも開放すればいいというものではないでしょう。

宮内庁長官は、現在の皇室の在り方が、国民が喜んで天皇制を守りたいと

思うと考えていらっしゃいますか)

 すごい一文でしょう?

  「今の皇室」というのは昭和34年の皇室です。

  その当時から、保守派の中には「今の東宮様はどうにも」と思うような

   空気があったのかもしれませんね。

  私達の世代から見ると、今上は皇太子時代から昭和天皇の名代を務め

  非常に「公」を大事にしているようなイメージがあるんですけど、

  そういう事ではなく、「思想」に問題があったのでしょうかね?


○宇佐美説明員 私どももただいまお述べになりましたようなことを

           深く考えておるつもりでございます。

           今のような新しい憲法のもとにおける皇室におきましては、

           皇室の方々の御行動というものが非常に大事であると考えております。

           そういうような意味におきまして、皇太子殿下の御教育と申しますか、

          御研さんを願うことは、われわれとしても非常に強いわけであります。

          人を作るということは容易なわざではございませんけれども、

          われわれといたしましては、大きな一つの職責と考えておる次第であります。

(新憲法下においては、皇族自身が自ら思想や行動に気をつける必要が

あります)

 しきたりや伝統を守ってさえいればいい・・・・というような旧家ではなく

  時代から取り残されないように変わりつつも守るべきものは守る。

  そういうバランス感覚が必要というわけですよね。

 


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