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皇室のお宝

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 皆さまのワンクリックが日本を救う 

http://quasi-stellar.appspot.com/kanteiForm.html

 

女性週刊誌読みましたよ。

皇太子家が悠仁親王と眞子さま達を呼ぶという計画があるらしい。

それは「オランダ訪問の時に愛子内親王がお世話になったので

そのお礼」だそうで、単なる憶測記事です。

そんな事より気になったのは、愛子内親王のボーリング。

品川プリンスホテルの2階を貸し切ってお友達と、あるいは一人で楽しんでいるとか。

警備の都合上仕方ないとか言ってるけど、それって単なるブルジョワだよね?

いつから東宮家はそんなにお金持ちになったのか。

それに最近の愛子内親王の急成長の原因がジャニーズにはまった事で

皇后陛下もお喜びって・・・・佳子様には「目立つな。学園祭も出るな」なのに?

ジャニオタでいいわけ?

ヤフーオークション事件が時効を迎え、結果的に国民には何も知らされないまま

終わってしまったような気がします。

容疑者(って東宮?)が外国にいる間はその分差し引かれるとはいえ

マスコミは沈黙しているし、新年祝賀の儀や晩餐会における宝飾品のあれやこれやは

今までと変わらず。

戦前の皇室の方がずっとオープンでした。

宮内省がきちんと機能していたので(それでもいう事を聞かない皇族は多かったけど)

少なくとも認識としてはまっとうな皇室だったと思います。

しかし、今はどうでしょうか?

内廷皇族(天皇・皇后・皇太子一家)がどのように予算を使っているか

国民は知る事が出来ません

今まで、さして問題にならなかったのは、「信頼」というか「あの方たちに限って変な事はすまい」

と国民が思っていたからです。

 皇后のティアラとネックレスはどこに?なんで皇后はティアラをしないの?

 皇太子妃のティアラはどこへ?

 皇太子の壺切りの剣が紛失したとか?それて本当?

そんな疑問がふつふつと。

現実に皇后はティアラをつけず、ネックレスは一連。皇太子妃は第二ティアラしかせず

それも偽物っぽく見える。

皇室の宝飾品がどこに保管されているのか、国民は知りません。

総理大臣も知らないだろうし関心もないんじゃ?

イギリスみたいに「ロンドン塔に飾ってあります」と言えない現実。

世界のティアラ展が何度か開かれているにも関わらず、日本からの出品はなし。

写真のみだったりします

そもそも、ティアラは王族のもので天皇家だけが「特別で見せるわけにはいかない」と

いうものではない筈。

「私物」扱いの紀宮ティアラですら出てこないのが現実ですね。

「まーたふぶきは同じことを何度もしつこい!」と言われそうですが、もうちょっと

お付き合い下さいませ。

ここで言いたいのは

 終戦当時の宝飾品の数と、現在使われてる(国民の目に触れた事があるもの)と

比較する。

 降嫁した内親王の宝飾品はどこにあるのか。

 誰が受け継ぐ権利を有するのか。

という事です。

私達は単純に「第一ティアラがない。ネックレスが1連だ」といいますが、そもそもいくつあったの?

それがどう形を変えたかという事を知らないとどうにもならない。

(とはいえ、宮内庁職員でもないし文化庁の人間でもない素人には調べると言っても

限界があり、むなしい努力に他ならないんですけどね)

でもその上で、なぜ国民の皆さまがこんなに疑問に思っているのかわかる筈。

また、「秩父宮妃のティアラは紀子様が受け継ぐはず」と思っている人も多いですが

本当にそうなのかどうか。

もしかしたら日本には日本独特のしきたりがあるかもしれないし。

(皇后が格下宮妃のティアラを使う権利を有する)

皆さまの想像力をかきたてる事が出来ればいいし、宝飾品に関わる方が

真実を掴みたいと思って頂けたら猶更です。

  基本的な事

まーたしつこいですけど。

そもそも日本の皇室においては「髪飾り文化」は発展しませんでした。

日本における「かんざし」のルーツは神事に神を束ねる物から来ています。

またネックレスもひすいの勾玉・・・これも神事で使うものから来ています。

だけど、日本はきらびやかな宝石をやりとりするという文化がなく、金か石を使うのが

普通だったようですね。

奈良時代・・・中国の文化を大々的に取り入れた皇室は、天皇の諡号を漢風に改め

当然、冠も使用。当時の天皇の冠は中国風ですよね。

しかし、平安時代になるとそれらは一斉に姿を消して明治に至ります。

庶民文化では、かんざし文化は主に大奥や吉原で大発展を遂げましたけど

素材はあくまでべっ甲や真鍮、たまにさんごなど。ちりめんや紙なども使われたようですね。

中国や朝鮮における「冠」「ネックレス」「腕輪」「耳飾り」は権力の象徴であり

女性の地位を示すものでした。

 民族によってデザインが違う

 格によってつける宝飾品の数や素材に大きな違いがある

 女性のかつらや髪飾りはどんどん大きくなっていく

こんな風に発展を遂げた背景には、常に「戦争」により民族が滅びるかもしれない

命の危険性をはらんでいる生活の中で、すぐにお金になるものを身に着けておく風習から

始まっているものと思います。

言葉が通じない、文化が違う異民族に通用する賄賂は「宝飾品」しかなかったという事。

 

しかし、異民族から侵略を受けた経験がない日本において、特に皇室は万系一世という

ゆるぎない地位を保っていましたので、日本にいる限り、後継がいる限り滅びる心配は

ありませんでした。

それは徳川も同じでしょう。

さらに派手を嫌う仏教文化とわびさび文化の影響で、日本において華美な装飾は

かえって「下品」とみなされ、上位になればなるほどシンプルであったともいえます。

天皇の后は一人でも側室は多々おり、それぞれ地位に違いはあっても

それをパッと見わかる必要はありません。

清涼殿に一番近い部屋を与えられた女性が「皇后」であり、遠くなればなるほど

地位が下がる・・・というだけ。

女性は御簾の中にいるだけですから、顔を広く知られなくてもいいわけです。

お上だけが知っていれば。

さらに、江戸時代までの皇室は大変貧しかったので、華美にしたくでも出来なかった

というのが本音かもしれませんね。

 

その代わり、衣装の生地や意匠に大きな意味を持たせたのです。

十二単の袴の色、袿の模様、配色にまで格付けがあり、それはそれは厳しく

きっちりと伝統が守られてきたわけです。

それは江戸時代における着物文化も同様ですよね。

季節によって、年齢によって、行事によって、立場によって生地や色や模様が

こと細かく指定されていく。

本当に着物や十二単は奥が深い。

悠仁殿下の着袴の儀の衣装も、内親王方の御地赤も、生地から模様から色使いまで

全てにおいて「意味」があり、それを破る事は出来なかったのです。

 

皇室のこれらの装束は全て国家財産です。無論、ティアラやネックレスもそう。

「君臨すれども統治せず」理想的な「開かれた王室」であるとされている

イギリスではロンドン塔に保管され、見る事が出来る。

が、日本では公開される写真でのみ知るしかない。

生まれた時に作られた羽二重やボンボニエール、着袴の儀の装束に扇

御地赤、成年式の衣冠束帯、ローブ・デコルテ、ティアラ、ネックレス、指輪等々

歴代の即位の大礼の装束の数々、大葬の礼のローブ・モンタント等々

本来は、全て公開されるべきものであると考えます。

無論、嫁入り道具の数々も全てをつまびらかにする。

それが「開かれた皇室」の意義なのではないかと思います。

私達、皇室に関心があるものからすれば、眞子内親王のドレスがどれほど高級だったか

ティアラのデザインがどんなに個性的であったか、日本文化の技術の結晶が

そこにあると思いますけど、一般国民は知るチャンスすらありません。

皇室が「伝統文化」の継承者であるなら、その成果をきちんと国民に見せるべきです。

その為の宮内庁であり文化庁ではありませんか?

そんなわけで日本の皇室においては、髪飾り文化はあまり発展せず

明治に入りました。

突如、鹿鳴館が出来て「洋装」しなさいと言われ、もっとも戸惑ったのは

皇后以下女性達ではなかったでしょうか。

袿とローブでは下着からして違うんですもの。

昭憲皇太后はけなげにも袿にハイヒール、パラソルさして華族女学校の

門をくぐったけど、こけそうになった・・・なんてエピソードがあるほど。

ティアラに指輪にネックレスにブレスレット、扇にハンドバッグ。

一体これは何の為に身に着けるの?って思ったんじゃないかと・・・・・

 

まあ、それはいいとして。

ドレスは海外からカタログを取り寄せて製作。

代表的なものがマント・ド・クール。

マント・ド・クールは「大礼服」と言われていますが、袖が短く後ろのマントが長い

ナポレオンの戴冠式の服が大元になったもの。

女性の地位が高いほどマントも長いというもの。

二枚の写真、とてつもなく「和」ですよね。織り込んであるのは菊だったりしますし。

とはいえ、見事な和洋折衷だなと。

でも、どんなドレスを参考にしたのかしら?

ドイツ王室とかイギリス王室のデザインを参考にしたのではと思いますが。

 

これはヴィクトリア女王のドレス。イメージ的にはこんな感じ。

ほぼ同世代のドレスといえば

 ヴィクトリア女王の結婚式ドレス。

マント・ド・クールをやめて純白ドレスを広めた元祖。

ヘッセン大公女エリザヴェータ。

ジクマリンゲン侯爵令嬢マリア。

胸が大きく開いていて後ろのマントが長く、袖が短い。

明治の洋装令では、新年祝賀の儀にはマント・ド・クール着用となっているようです。

晩餐会にはローブ・デコルテ。そのほかにはローブ・モンタント。

 昭憲皇太后とほぼ同世代かちょい下の伏見宮妃利子

お花を一杯ドレスにつけた超豪華。

こちらは有栖川威仁親王妃慰子

 

慣れない洋装を一生懸命追いかけた時代がありました。

当時はプロトコルは西洋にのっとっていましたね。

その後、日本ではドレス着用に関して独自のしきたりが出来ていく。

 

現在。イギリスのエリザベス女王在位60年の正式写真

年齢に似合った形のドレス。でもご本人的には地味?

王冠は即位当時のもの。ここで「ああ、ちゃんとあるんだな」と認識できます。

 

日本。

皇后のドレスは独特の色とデザイン。

肩を怒らせたケープ。両腕を覆う手袋。

各妃や内親王方もそれに続きます。

皇后のみティアラなし。これが認められるのはたぶん日本だけでしょうね。

意匠をこらしたドレスではなく、まるで「制服」のようなローブ・デコルテ。

 

 随分違うなあ・・・・・と。

 

 

 

 

 

 


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