友納尚子氏が以前「ザ・プリンセス物語」で
「メキシコ大統領来日の晩餐会で天皇陛下が皇太子の次に自分を紹介
しないで秋篠宮殿下を紹介した事がトラウマとなり、適応障害になった」
との記事について(平成26年11月13日号)
訂正をしました。
http://blog.goo.ne.jp/yonyon4009/d/20141114 参照
1年後に同じ記事にさらに訂正が入りました。
日付は12月1日。
宮内庁は,平成26年11月13日付の当庁ホームページ「週刊文春(平成26年11月13日号)の記事について」と
題する発表文の中で,同記事に記載された事実関係について説明し,
2003年10月のメキシコ大統領を迎えた宮中晩餐の前席で,天皇陛下が,
皇太子妃殿下を賓客に御紹介になることなく,
秋篠宮殿下を御紹介になるというようなことは到底起こり得ないとの見解を示し,
関係者に速やかに記事の訂正を求めたことを公表しました。
この時の当庁の見解に何ら変更はありません。
発表文にある秋篠宮殿下の御発言は,週刊文春がメキシコ大統領宮中晩餐において
「大統領に対する紹介が,皇太子の次に並んでいた雅子妃を飛ばして,
秋篠宮殿下に移ってしまったのだ」との友納氏の記事を掲載したことから,
天皇陛下が国賓に皇族方お一人お一人を御紹介する場において,
記事にあるような奇異な出来事がこれまでにあったのかをお伺いしたことに対し,
殿下が,国賓をお迎えした際の陛下の皇族御紹介で何か手順と異なることを
陛下がなさったという記憶は全くなく,万一にも皇太子妃殿下を飛ばして
自分が紹介されそうになったら,必ずその場で陛下に申し上げたと思うと
述べられたことを記載したものであります。
週刊文春の記事内容をそのままに受け取り,
「雅子妃を飛ばして,秋篠宮殿下に移ってしまったのだ」との同誌の記事から,
「当時皇太子妃殿下の次に控えておられた」と記載したことにより,実際には当日,
秋篠宮殿下は愛知県お成りのため欠席されていましたが,
秋篠宮殿下がメキシコ大統領の宮中晩餐におけるお話をされたような印象を
与えたことは当庁の不手際でありました。
当時の発表文の中で,
「念の為2003年10月にメキシコ大統領を国賓としてお迎えした際の宮中晩餐での御紹介の状況につき,
当時皇太子妃殿下の次に控えておられた秋篠宮殿下に伺ったところ」との記載は,
「念の為宮中晩餐で,出席されたすべての皇族方を天皇陛下が御紹介する場において,
秋篠宮殿下が何か奇異に感じられたことがあったかを伺ったところ」と訂正します。
以上の経過を踏まえた平成26年11月13日号の週刊文春の記事についての事実関係と
宮内庁の見解は下記の通りです。
なお,この点における当庁の事実関係の説明に一部誤解を与える点があったことは,
週刊文春の関係者にも通知しています。
記
同記事は,「十一年前の「衝撃的な出来事」」との小見出しの下に,
2003年10月,メキシコ大統領を迎えた宮中晩餐の前席で,
大統領に対する天皇陛下の皇族御紹介が,「雅子妃を飛ばして,
秋篠宮殿下に移ってしまった」ことから,「雅子妃が妃殿下としての自己の存在について,
決定的に自信を喪失した」との趣旨のことを記しています。
しかしながら,以下に記すように,これまで踏襲されてきた皇族方の国賓に対する御紹介の段取りからして,
「皇太子妃殿下を飛ばして」というようなことは到底起こり得ないことです。
宮中晩餐御出席のために宮殿南車寄に到着された国賓御夫妻をお出迎えになった両陛下は,
国賓とご一緒に松風の間に入られます。
間内では,皇太子同妃両殿下始め皇族方が,御身位の順に列立してお待ちになっておられ,
天皇陛下は皇太子殿下から順番にお一人ずつ国賓御夫妻に御紹介になり,
すぐその後に続き皇后陛下が同様にして国賓夫人に次々と皇族方を御紹介になります。
そして御紹介が完了すると飲み物が供され,国賓御夫妻と皇族方の御懇談が始まります。
このようにして進められる国賓御夫妻と皇族方のお出会いは,通例15分程度で終了し,
次いで両陛下と国賓御夫妻お四方が松風の間を出,
その日の晩餐会の招待者一人一人から挨拶をお受けになるレシービング・ラインに立たれるため,
石橋の間に向かわれます。
この石橋の間での行事の完了後,両陛下は国賓御夫妻とご一緒に,
そして皇族方がその後を進まれ,晩餐が供される豊明殿にお入りになります。
以上のように,国賓御夫妻への皇族方の御紹介及びそれに続く行事は,
毎回全く同じ段取りで取り進められており,その第一段階で,
秋篠宮殿下以下全員の皇族が見守られる中で,天皇陛下が,皇
太子妃殿下を賓客に御紹介になることなく,秋篠宮殿下を御紹介になるというようなことは到底起こり得ません。
念の為宮中晩餐で,出席されたすべての皇族方を天皇陛下が御紹介する場において
,秋篠宮殿下が何か奇異に感じられたことがあったかを伺ったところ,
自分(殿下)は,行事などの際に,何か手順通りに進められなかった場合は,
直ちに気が付く方だし,また,再発を防ぐためにもかなりの長きにわたりそれを記憶しているつもりだが,
これまで国賓をお迎えした際の陛下の皇族御紹介で何か手順と異なることを陛下がなさったという記憶は全くなく,
皇太子妃殿下を飛ばして自分が紹介されたということは決してないと思う。
また,万一にも自分が先に紹介されそうになったら,自分は必ずその場で陛下に申し上げ,
皇太子妃殿下の紹介が先になるように取り計らったと思うとの御返事を頂きました。
国賓を迎えるという晴れの席で,天皇陛下がそのようなことをなさるという事実に反することが
手記として掲載されたことは,陛下に対する礼を失する誠に遺憾なことであります。
思い出しました。
当時、なんで皇太子に聞かず秋篠宮に聞いたのか・・・とネットでは疑問符が。
そうかーー当日、秋篠宮殿下は晩餐会を欠席していたんですね。
それで「もし、陛下が皇太子妃をすっとばして殿下を紹介するような奇異な事が
起こりうるものでしょうか」と聞いたのです。
そしたら殿下は「ありえない。もしそんな事が実際にあったら自分はすぐに気づいて
ご注意申し上げるだろう」とおっしゃっているのです。
友納はこの件に関してはだんまりで、翌年になってもまだ「メキシコ大統領来日時に
陛下に無視された」と書いております。
友納が「2003年のメキシコ大統領来日の際の晩餐会において、皇太子妃の次に控えて
いた秋篠宮殿下を先に紹介した」と書いた為に、宮内庁が鵜呑みにしたという事ですね。
実際には、秋篠宮殿下は愛知に行ってて不在であった。
という事は、はなから「皇太子妃をすっとばして秋篠宮に」行くはずがない
友納の文章は「事実無根」であると言っているのです。
友納は「宮中晩さん会に秋篠宮が欠席する筈がない」と思ってねつ造したんでしょうか?
それとも雅子妃の思い込みによるものだったのでしょうか?
何で1年後にこんな・・・・と思いますけど、前回の訂正記事はとりようによっては
「秋篠宮殿下の見解にすぎない」と思えなくもなく、そういう部分を友納及び東宮派によって
「やっぱり宮内庁は雅子妃に冷たい」とか「天皇陛下に意地悪をされた事は事実なのに
秋篠宮を使って言い訳をしている」と言われかねなかった。
いや、言われたのかもしれません。
「だってそれは秋篠宮殿下がおっしゃった事でしょう?彼が自分に不利な証言をする筈ないじゃない。
息子は父を庇うものじゃないの?」と。
だけど、実際には(何度も書きますが)晩餐会にはいなかった
いない人に飛ばすも何もないわけで
ここで明らかになった事実を述べます
2003年メキシコ大統領来日時の宮中晩さん会に
秋篠宮殿下はいなかった。
天皇陛下が皇族方を紹介するとき、
雅子妃をすっとばして秋篠宮を紹介した・・・というのは事実無根であった。
ゆえに「雅子妃が妃殿下としての自己の存在について,決定的に自信を喪失した」
原因になりえない。
ない事実を理由に「適応障害」を発症し、その事がトラウマとなって宮中晩さん会に
出席できないという事は言えない。
↓
じゃあ、なぜ皇太子妃は
宮中晩さん会に出られなくなったんですか?
理由その①・・・・元々他人とコミュニケーションが苦手というより「出来ない」ので
晩さん会に出てもただ食べるだけで「社交」にならず、それを指摘されて
プライドが傷ついた。
理由その②・・・・知らない人と会話できない。
自分の事は語れるが他人の話は聞けない。
理由その③・・・・格下の妃たちが軽々とやってのけていることにプライドが傷ついた。
あたりじゃないの?
まあ、友納なら「陛下が雅子妃をすっとばして秋篠宮を紹介したと書いたが
実はそうではない。すっとばして紹介をしたのは紀子様だった」とでも言いそうな・・・・・
でも無視するだろうなあ。
だけど、しつこく訂正の訂正が入った事で、何等かのペナルティはあるんじゃないかと想像。