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韓国史劇風小説「天皇の母」33(フィクション!!)

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「開かれた皇室」という言葉は、皇太子夫妻のキャッチフレーズだった。

戦前の「大元帥陛下」のイメージを持つ天皇と対照的に、好意的に受け取られた。

なぜなら世の中は、戦前の全てを否定しようという動きに染まっていたから。

子供は音楽の授業で「君が代」を習うが、堂々と「国歌」と言ってはいけないムードが

そこにあり、日の丸も天皇という言葉も何となくタブーだった。

左による右の圧迫が強かったのである。

例えば「日の丸が好き」なんぞと言ってしまうと「右翼なの?」と言われるように・・・・・

そうした「戦争をイメージさせる君が代、日の丸、天皇廃絶運動」の中で

「開かれた皇室」「ミチコ妃殿下」という言葉だけは明るいイメージと共に容認された。

この二つの言葉がなかったら「皇室」はもっともっと国民からかけ離れた存在に

なってしまったかもしれない。

開かれた皇室とは何なのか。

・ 皇族のプライバシーを公開する

・ 皇室の活動を公開する

・ 庶民と変わりない皇族の生活を公開する

という事に他ならない。

国民はヒロノミヤが庶民と同じようにアニメを見て喜べば「ああ、同じなのね」と

安心し、ミチコ妃の華麗なファッションに胸をときめかせ、夏の軽井沢のテニスコート

の一家静養風景が一種の憧れとなった。

 

無論、皇太子夫妻はそれだけが「開かれた皇室」とは思っていなかった。

天皇が全国を行脚したように、自分達もまた全国を行脚し施設を回り、老人や

障害者に心を寄せ、この事によって日の当たらない人々に関心が向くようにと

しむけた。

また、天皇以上に祭祀を重要視する事で「皇室のあり方」を体現しようとした。

皇太子夫妻の「公務」は生真面目すぎる程に生真面目で、まるで自転車操業

する工場のように仕事が増え続けていく。

また、外国の王室との付き合いも重要な仕事の一つで、訪問する、される立場に

よって何もかも完璧な「思いやり」を自分達に課す。

例えば、妃が身につける服の色や柄やブローチ一つにも相手国への気遣いを

感じさせる何かを入れるとか・・言葉一つとっても慎重に考え抜かれたもので

なければいけないとか。

天皇・皇后がゆったりと自然体でそこに存在しているのに、皇太子夫妻はそうでは

なかった。

立ち居振る舞いの一つ一つに意味があり、会話の一つ一つに形がある。

「あ、そう」が天皇の口癖で「今日は・・・よく来てくれて」が園遊会での定番台詞。

でも皇太子夫妻にかかれば「よく来て下さいましたね。ありがとう」というしゃちこばった

響きになった。

天皇が柔道の選手に「骨がおれるだろうね」と発言し、相手が「はい、骨折しました」と

答えて大笑いしたような出来事は皇太子夫妻には起こらない。

むしろ「このお二人は、こんな自分の事をどこまでもよくご存知でいらっしゃる」という

驚きの方が先に立つ。

「〇年前のどこそこに訪問した時、〇した事を全部覚えていて下さって」

が大方の感想になる。それは外国でも同じで、たとえそれが10年前の出来事だろうと

20年前の出来事であろうと、皇太子夫妻は絶対に覚えていて、会話の中に

織り込むので、相手方も絶対に気が抜けない。

そのような「完璧」な皇太子夫妻に疑問を挟む人など一人もいなかった。

 

皇太子妃は年に1度、ノリノミヤを連れて私的な旅行にでかけたが、それすら

「母と娘の楽しい旅行」では終わらせない。

「いつか庶民になる娘が困らないように世間の常識を教え込む」

「皇族としてどう振舞うべきか教え込む」という意義がそこにあった。

素直に育った娘は、母以上に「自己犠牲」が強く育ってしまい、年頃になっても

服装は地味でおしゃれの一つもせず、唯一の趣味が時代劇とアニメオタクで

贅沢が学友とこっそり行ったディズニーランド・・・という、いわゆる遠慮を地で行く

生活を送っていた。

そんな妹宮を可愛がったのは兄のアヤノミヤで、忙しい両親に代わって妹の

運動会で「頑張れ」と声援を送り、ちょこちょこちょっかいを出しては怒ったり

笑ったり・・・いつしか妹の理想は兄になり、兄は常に頭の片隅に妹の行く末を

見ていた。

 

ヒロノミヤにとって大学生活と留学は、人生の中で最も華やかで幸せな時代と

なった。

世間は大学生になった途端に「お妃候補」と騒ぎ始め、成年式を迎える頃には

さらに盛り上がり、数々の令嬢の名前が挙がっては消えていく・・・

自分も結構モテるんじゃないかと思ったのも事実。

18の頃に覚えた酒の味は格別で、弟に「ザルです」と発言されてもかまわなかった。

ヒロノミヤは世間では

「成績がよくしっかり者の長男で、誰に対しても平等な態度を取る帝王学を

身に着けた王子で、その癖、柏原芳恵のファンで留学先の部屋には

ブルック・シールズのポスターを貼る・・ごく一般的な青年像を持っている」

一方、アヤノミヤは「やんちゃな次男坊」で定着していた。

兄に比べると落ち着きがなく、学校の成績も悪く言葉遣いもあまりに普通。

変におしゃれでブレスレットをしたりサングラスをかけたりと「皇族らしくない」少年。

弟は何の引き立て役でしかないと誰もが信じていた。

ヒロノミヤはそういう世間のイメージが、誰によって操作されたものか全くわかって

いなかった。ただ、自分が結構国民に愛されていること。普通の感覚を持っている

事が好意的に受け取られていること。そして誰が自分の妻になるか興味深々で

見守っている事に優越感と喜びを感じていた。

 

実際、彼ほど恵まれた青年はいなかったろう。

祖父は偉大なる天皇。祖母も皇族出身。母は日本一美しく上品な憧れの女性。

常に侍従にかしずかれ弟や妹とは別格の待遇が約束されている。

イギリスへ留学すれば女王みずからがお茶を入れて迎えてくれる。

それもこれも自分が「皇位継承者第2位」の立場にいるからだ。

いずれ天皇になれば堅苦しい生活を送らねばならないと同情もされ、大方の

事は大目に見てくれる。

学友とどんちゃん騒ぎをやろうとも、ロンドンのパブにドレスコードを無視して

入ろうとした事も、寮の洗濯機から泡が吹き出ようとも、全ては「愛すべきヒロノミヤ」

ですまされた。

彼には学問として追求する事がなかった。

一応、留学もするし学位もとるから「テムズの流れと共に」という本を書いたけど

心からテムズ川を研究しようと思ったわけではないし、弟のように動物に夢中に

なったり妹のようにアニメに夢中になったり・・・というものがない。

趣味と言えば「登山」で、それも高い山を極めようというのではなく、景色のいい

山をただ歩く事が好きなだけだ。

テニスも一応得意だったけれど、弟のように代表になるわけじゃないし、ビオラの

演奏は続けていたけど、特別好きだったわけではない。ただ何となく・・・

そうヒロノミヤのキーワードは「なんとなく」なのだ。

それは学者である祖父や父には絶対に理解されないだろうし、そもそも理系の

祖父や父とは完璧に話が合わない。

植物やハゼの分類の何が楽しいのだろう?アヤノミヤはしょっちゅう天皇の下に通って

手伝いをしているし、自らもそっちの方向に進みたいと思っているようだ。

でも、自分jは小さい頃から生物、動物は触るのも嫌だし・・・仕方ないから

「自分は文系」と位置づけて、「音楽に親しみ歴史が好きな」というイメージを

作ってきただけなのだ。

 

その違和感は誰も知らないうちに彼の心の中に大きな「影」を作っていた。

家族の中で自分一人が「何にも秀でるものがない」というのは、結構なコンプレックス

だ。和歌に秀で、文学に通じる母でもなく、成績がよく何にでも一定の理解を示す妹でも

なく、動物オタクの弟でもない。

「平等な性格」と言われているが、本当は誰とも深い付き合いをする事が出来ない

だけだった。本当は話す事が苦手で気の効いた会話が出来ない。

専門的な話になると途端に腰がひけていまうし、そうかといって、学友達のように

世間に通じているわけでもないし。

イギリスに留学し、修士論文を書いていたころは何となく、それでも生きていけたが

帰国して一層「お妃」の話をされるようになると、その事が重ったるくて仕方なかった。

一体、周りは自分に何を求めているのだろうか。

母以上の妃を持たないといけない?

祖父と父以上の学問をおさめろと?

チャールズやアンドリューのようにしゃれっ気がありユーモアにとんで、女性とも

ラフな付き合いをするような生活をすればいいのだろうか?

でも、ここは日本でイギリスのような自由な世界ではない。どこへ行くにも侍従が

ついてくるし、ロンドンのパブのように気軽に酒場に入るわけにもいかない。

女性との付き合いに至っては、そんな社交場はないんだもの。

ああ、なんて日本の皇室は旧弊で不自由なんだろう。青春を送る自分に自由に

出歩ける場所すら確保してくれないのだから。

「日本の警備は厳しすぎると思います」

帰国後、これを言ったら大きくマスコミに取り上げられて大好評だった。

そう、自分の考えは間違っていない。もっと自由にならなくちゃ。

もう少し遊んでもいい筈だし、外を歩いてもいい筈だ。

調子に乗って「お妃の理想は?」と聞かれて

「自分と価値観の会う人。ティファニーであれやこれや買う人では困る」と言ったら

母に「固有名詞を出したら失礼でしょう?」と叱られ、そのフォローに母は

わざわざティファニーで宝石を買った。

でも何が失礼だったのか、自分にはわからなかった・・・・

 

そいて「お妃選び」が進展しない事も理解できなかったのだった。


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