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美智子さま81年の歩み  3

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 大震災とその後の日々が次第に過去として遠ざかっていく中

どこまでも被災した地域の人々に寄り添う気持ちを

持ち続け7なければと思っています。

 国民に寄り添う皇室のイメージは、天皇陛下と美智子さまが積極的に

  取り組まれてきたことが大きい。

 特に自然災害における両陛下の行幸啓は昭和時代にはなかったこと。

 被災地の訪問では、救援活動を最優先にすることを重視し、活動の妨げに

  ならないよう、車列を短くするため随行の人数を減らし、スタッフと同じマイクロバスで

  移動、食事もスタッフと同じ質素なものを召し上がる。

 避難所ではスリッパを脱ぎ、ひざをついて被災者に顔を寄せて言葉をかける姿は

「平成風」として多くの人々を励ました。

 高齢になられた現在でも自然災害などが発生すると両陛下の行啓が行われ、人々の話に

  耳を傾け、悲しみを共有している。

 確かに昭和天皇は平成のように全国を歩き回る事はしなかったと思います。

  戦後の「全国巡幸」だけですよね。

  でも、三宅島が噴火した時でしたっけ?ヘリコプターから視察されていましたよね。

  私達国民は、昭和天皇が被災地に行かないからといって、国民に寄り添っていないと

  考えた事は一度もありません。

  たとえその時、昭和天皇が那須で静養中であったとしても。

  何ででしょ。年齢的な事もあったと思うし(陛下は結構よぼよぼしてたから)

  でも園遊会などで「そう?あそう」っておっしゃるだけで「わかってくれた」みたいな

  気がしてたんです。それがカリスマってもんでしょうか。

 昭和天皇が皇居ででんとしていて下さったからこそ、皇太子夫妻があっちこっち

  行けたわけですよ。役割分担が出来たんですよね。

 両陛下が被災地に「少しも早く」行くようになったのは、奥尻島の地震と津波の時

  静養中だったんですよ。それで批判され、その後の阪神淡路大震災では

  とにかく「早く」被災地に行かなくちゃ・・・みたいなスタイルが出来上がったと思います。

  以前も書きましたが、両陛下はあまり北の方は関心がおありにならない。

  北海道の奥尻なんてどこ?って感じだったと思うし。

 両陛下が即位したとたんに「静養が軽井沢なんておかしい」と批判が出たし

  災害があったのに静養なんて・・・という批判も出た。

  何でなんでしょうね。

 

 今、平和の恩恵に与っている私達皆が絶えず平和を志向し

  国内外を問わず、

争いや苦しみの芽となるものを摘み続ける努力を

  積み重ねていくことが大切ではないかと考えています。

  (平成26年 80歳の誕生日)

 皇后陛下 「陛下の外国訪問の目的は、政治を超越したお立場から

        親善にお努めになる事ですので、この目的が少しでもよく果たされる

        ことを願いつつ、お供をさせていただきたいと思います」

 美智子さまは外国訪問時に、現地日系人への配慮から和服を着る事が

  多く、また相手国の国旗の色をベースとした洋服を着るなど相手を第一に

  考えて訪問される。

 とても政治色が強いご発言ですよね。

   平和を希求するのはよい事ですけど、だったら一人でそっと祈ればいいわけで。

   特に皇室において究極の平和希求は「祭祀」ですので。

 「和服を着る」という日本人としてあたりまえのプロトコルですら「理由づけ」しちゃうんだなと。

 

 国際親善はわたくしの必要とされる分野で

  つとめていきたいと思います。

(平成2年)

 昭和34年、ご成婚の直前、アメリカの有名誌「タイム」では

  12ページにわたる美智子さまの特集が組まれた。

  ここでは戦前のネガティブななイメージを皇室に抱いているアメリカ人読者に

 皇室が大きく変わったことを強く印象づけた。

 翌年には初の外国訪問としてアメリカが選ばれた。

  接待役

 「両殿下はレセプションなどで表面的な挨拶ではなく本物の会話をなさっていました」

 「ワシントンのホスピスで、妃殿下が老人の一人ひとりに示されたやさしさに

  心を打たれまし。た実は、在任中に、この時だけは、仕事中に涙が出て

  止めるのに苦労しました」

 平成5年のイタリア

 「はるか遠い東洋の国からきたこの二人はまるで旅行中の新婚カップルのようだ」

「(美智子さまの帽子を)エリザベス女王がかぶるとただの悪趣味だが

 彼女がかぶっていると非常に品がある」

「(着物姿は)日本の奥深い伝統をさりげなくアピールしている」

 平成12年のオランダ。

オランダではかつて太平洋戦争で敵国だったため、訪問への抗議活動が

 起こったが、この時の訪問でオランダの国民感情が変わったといわれる。

 美智子さまに接した外国人関係者はその後、好意的な記録を残している。

  帽子の事はやっぱり変だと思われていたのかな・・・と。

 全て「美智子さまのお手柄」なんだなあ。

 人は自分と周囲との間に一つ一つ橋をかけ、人とも物とも

  つながりを深め、それを自分の世界として生きています。

  ときとして、箸をかける意志を失ったとき、人は孤立し平和を失います。

 (平成10年)

 海外メディアの報道の特徴として、訪問前には、過去の戦争責任や日本における

 女性の地位の低さ、皇室の閉鎖性などを紹介する論調のものが多い。

 しかし、訪問後にはこれらの概念、マイナスイメージを払しょくする形で

  両陛下の訪問の成果が語られる。

 これも外国の記者に真摯に向き合う両陛下の皇室外交の成果といえるだろう。

 へえ、皇室ってマイナスイメージなのかあ・・・そんな風に語られているけど

  両陛下のおかげで「開かれた皇室」となるわけね。

 

 

 


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