難しいよ思ったこともあるし辛いこともあります。
いつになったら慣れるのか見当がつきません。
時には八方ふさがりのような気持になることがあります。
(1960年 訪米前の記者会見)
「民間出身の皇太子妃」に最も抵抗を感じたのは、それまで独占的に
皇族妃を送り出していた旧皇族や旧華族といった階級の人々だったといわれる。
側近として東宮時代の両陛下を長く見守った浜尾実氏は著書「皇后美智子さま」
の中で、当時常磐会から美智子さまへの批判の声が上がっていたと記し
さらには美智子さまの国民的人気の高さが、皇室内部の特定の女性達の嫉妬の
対象となったのだろうとも言い切っている。
こうした「美智子さまいじめ」は、例えば冠婚葬祭で衣装の打ち合わせをしない、
というような卑近な形でも現れた。
ある席では、妃殿下方がみな黒真珠のネックレスを着けているのに、美智子さまだけが
していなかった、別の場面では美智子さまのみ場違いな扇子を持って恥ずかしい思いを
された・・・といった生々しい証言も見られる。
(女性セブン1995年1月号)
宮中にこうした空気があったことは入江相政侍従長も日記に残しており、
決して「下衆の勘繰り」という次元のものではなかった。
ご成婚時には「お月さま」と形容された美智子さまのお顔は1年後には相当にやつれ
記者会見でも「最近やせておられますが」との質問が出るほど、ご心労は隠しきれない
ものになっていた。
美智子さまへの「いじめ」がなくなることはなく、長年にわたって続いた。
これらのエピソードは、私達の世代以上の方は嫌という程聞いていて
「旧皇族とか旧華族の人達っていやな人達なんだな」と思った事があります。
昭和50年代あたり、「美智子さまのやつれっぷり」は本当に有名で
「お可哀想」一色でした
でも逆に考えると、皇族方が黒真珠をしているのに美智子妃だけがしていなかった・・・・
っていうのは、常識を知らなかったともいえますよね。
なんせ洋装の法事の中でただ一人着物を着てしまう人ですから、美智子妃には美智子妃の
「こだわり」があったかと思われ。
場違いな扇子・・・というのはどういうものかわかりませんけど、それこそ慣例を知らなかった
からという事で。教わらなかった筈ないと思うんですよ。
牧野女官長が意地悪をした?という事に?
とにかく「美智子さまに対する宮中いじめ」は確立し、57年目の今も国民は騙され
続けているのです。
わたくしの頼りになるのは、殿下一人なのよ。(1963年 友人に)
美智子さまは「結婚後は自分で作った料理を殿下に召しあがって頂きたい」という
希望から、東宮御所に四畳半ほどの専用キッチンを設備された。
しかし「妃殿下が台所に入るとは」
「料理より公務を優先すべき」
「専門の大膳課を軽視している」といった批判に遭い、結局、お弁当や軽食を
作る程度にしか使うことが出来なかった。
(女性自身1996年 「週刊現代」1990年)
常磐会会長の松平信子女史は牧野女官長や保科武子女官長らを
しばしば自宅に招いて美智子さまの一挙手一投足を「評定」していた。
そしてその内容はすぐに常磐会の会員たちに伝わっていた。
(「週刊新潮」1990年)
「常陸宮に聖書を勧めた「聖書事件」といううわさが流れた。
これはのちに、全て作り話だとわかったが「昭和天皇を激怒させた」という
噂は独り歩きして美智子さまを苦しめた。(1993年「女性自身」)
美智子さまが東宮御所のキッチンで、かぼちゃのお菓子を作り、皇后さまに
お届になられた。だが、実は皇后さまはかぼちゃがお嫌いだった。
女官達はみな皇后さまがかぼちゃをお嫌いなことを当然知っていたが、誰も美智子さまに
伝えることがなかった。
(「女性自身」1999年)
浩宮さまを出産され、宮内庁病院を退院するときのこと。
美智子さまは浩宮さまを胸に抱き、カメラの撮影のために車の窓をあけていた。
これに
「冬場に窓を向けてお子様が風邪をひいたらどうするのか」
「生まれて間もないお子さまをマスコミに撮影させるとは何事か」
「皇太子妃が自ら子供を抱くとは」
といった批判が噴出。実際には「カメラがフラッシュをたくと子供の目に悪いから」と
フラッシュを止めさせる代わりに窓をあけて撮らせていたというのが真相だった。
美智子さまはか重なるストレスなどから第二子を流産されている。
退院して間もない美智子さまに宮中内部から
「皇室に新しい血を入れた方がよいというから民間から皇太子妃を迎えることに
賛成したのに
病気とは。お世継ぎは一人でよいの?」といった旨の発言があったという。
キッチンの話はもっともな事で、美智子さんが嫁いだのは皇室であって
一般の家庭ではないという事を自覚していない。
女性にも働く権利を・・・とか思っているのに、どうして「殿下には私が作ったものを
食べて頂きたい」という事になるのかわかりません。
離乳食を作るためだけにキッチンをつくり、エプロンかけて写真撮らせて終わり・・・って
かなり贅沢すぎるのではないでしょうか?
昭和天皇を激怒させたのは今は事実ですよね。
これを「実は・・・」という言い訳を連発するあたり、友納尚子のようで。
かぼちゃのエピソードは意味がわかりません。
美智子妃が皇后陛下の為にかぼちゃのお菓子を届けた。
でも皇后陛下はかぼちゃのお菓子は嫌いだった。
教えてくれなかった女官は意地悪?
でも届ける前に「皇后陛下はかぼちゃがお嫌いです」と言ったらそれはそれで
「嫌いだからと言われて届けてもらえなかった」という意地悪にあたるのでは?
じゃあ、どうする事が正しかったのか?
美智子妃が自分で届に行って「私、かぼちゃは苦手」と言われたら
「申し訳ありません」と言って持ち帰るか、「でも私のはおいしいですわ」と言って
一口だけでも食べて頂くか。
皇后陛下は届いたものに嫌いなどとおっしゃらなかったと思います。
「ありがとう」と受け取って女官に回すとかね。
頼まれてもいないのにお菓子を作って届けて、喜んでもらえなかったと怒っている風。
今思えば、車の窓を開けて写真を撮らせた妃殿下は美智子さまただ一人。
悠仁親王が生まれた時だってそんな事していません。
なぜ、美智子妃はそんなことをしたのか?
「親王を産んだ私」を自慢したかっただけじゃないのか?と思います。
礼宮や紀宮の時はそんな事してないんですから。
フラッシュ云々なんて、窓を開けなければよかったことで・・・友納節ですね。
大事なのは、これらのエピソードが声高に語られ始めたのが1990年代。
つまり平成になってからです。
香淳皇后の存在を真っ向から否定するかのような印象操作が行われた。
週刊誌がそれに全面協力したという事ですね。
その結果、日本国民は今も騙されているわけです。