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文春・新潮編集室様へ  3

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 最初のNO!は雅子妃へ

今一度、ネット上における「保守派」の分類をしてみる。

① 皇室を敬愛。男系支持派。皇太子夫妻の廃嫡希望。

  秋篠宮殿下の即位を希望

   両陛下への不信感あり。

② 皇室を敬愛。女性・女系天皇支持。皇太子一家と両陛下は

   無問題と思っている。

③ 政治的には保守派。皇室には触るべきではないと思っている。

 ②にあたるのが小林よしのりや、先日月刊「WILL」に

 「皇室報道を貶める「宮内庁関係者」

を寄稿した高森明勅など。彼らはネット上で皇太子一家を批判する

保守派のブロガー達を「間違った愛国心を持つ人たち」を否定している。   

 

所功や橋本明(以前は①だった)もこれにあたる。

③にあたるのが皇室ジャーナリストの方々。そして竹田恒泰。

そして①にあたるのがハーバー・ナス子や私達。

プラス、左翼思想を持ちつつも皇太子一家を異常に愛するブロガーも

存在する。

②、③からすれば私達①は「敵」である。「朝敵」と思われているかもしれない。

一言でいうと「不敬」な輩なのだ。ゆえに「皇太子一家を批判するのは間違った

愛国心だ」などと書かれるのである。

私達の皇太子一家への「批判」は「間違った愛国心」なのか。それとも

ただの「舅姑根性」なのか「雅子さま大好き」を引用しつつ検証してみたい。

 

雅子妃への表立った批判が始まったのは、2006年3月の

「千葉県行啓」からと思う。

2001年の内親王出産以後、適応障害、皇太子の人格否定発言を経て

ネットの中は「雅子さまおかわいそう派」と「雅子妃は間違っている派」

に分かれて毎日が言い争いの状況だった。

「おかわいそう派」の意見の大半は

 心の病の人に対して厳しい意見を言うのは冷たい

だった。

おりしも社会現象として、「心の病」と称して長期間会社を休み

そんな社員の肩代わりを押し付けられた他の社員や上司が二次うつに

なってしまうという状況が出て来た。

「心の病」を理由に解雇出来ない為、病気になった方が得と考える社員が

出てきたのだろう。彼らがどんなに会社を休もうとも、仕事で失敗しようとも

「叱ってはいけない」「責めてはいけない」「解雇してはいけない」という事で

上司も会社も困り果てるという状態。

皇室の中では雅子妃が「心の病」を理由に公務は休み、同日に乗馬をしたり

鑑賞したり遊びに行ったりという事が頻繁に起きており、「何かおかしい」という

意見が出るのは当然の事だった。

現在では簡単に精神科医が「診断書」を出さないように・・・という動きもみられるが

「雅子妃の主治医・大野裕」は、表には出ないが常に「お墨付き」を

与える人間として存在してる。

そして「検証」が始まる。

昨今、ショーンKとか言う人の学歴詐称が問題になり、彼は番組を

降板した・・という事件が起こった。

宮内庁HPに示されている雅子妃の学歴は

 昭和60年 米国:ハーバード大学経済学部ご卒

 業昭和62年 東京大学ご中退

 昭和62年 外務省ご入省

 昭和63年~平成2年 英国:オックスフォード大学ベーリオールコレッジご留学

 平成5年 外務省ご退職

これを持ってマスコミは

「ハーバード大出の帰国子女で外務官僚の娘で、外務省の試験を一発合格し

オックスフォードにも留学された外交官」

と持ち上げた。

しかし実際は

 昭和60年 米国;ハーバードカレッジ教養学部卒 (父親がハーバード大教授だった為に

                                   子弟枠で入学)

→ 卒論は糠沢和夫氏らに手伝わせたもの

 昭和62年 東京大学学士入学しておきながら中退

 昭和63年ー平成2年;英国オックスフォードべーりオールコレjッジご留学

                 ただし、外務省からの国費留学で同級生の中でただ一人

                 修士をとれずに帰国

 平成5年 外務省ご退職

である。

 ハーバード大学とカレッジは違う・・・という認識を一般の人が持つのは難しい。

要はそれを巧みに利用した印象操作だった事がわかる。

また「帰国子女」というのも間違いで、小さい頃に外国で暮らした経験はあるが

高校までは日本で過ごしている。

外務省に勤めていたという事、英語が得意であると喧伝。

記者会見における不自由な日本語ぶりにより、小和田雅子さんはいつの間にか

「日本語より英語が得意な人。お妃教育も英語は省かれた程。神道に関する本も

英語で書いてあるのが欲しいと希望」と書き、結婚式当日には

アナウンサーが

「雅子さんは英語・ロシア語・韓国語が得意・・・」とまで言った。

実はこのような印象操作は意図的なものであった事が後の「検証」でわかる。

 

 1986年10月、外交官試験に合格 

 倍率は約40倍で合格者は28人、うち3人が女性

 「外交官」という言葉により一般人は「雅子さんは外交官」と勘違いする

 倍率の高さと実際の女性の少なさに「雅子さんは類まれなる優秀な人材」と

  勘違いする。

 実は当時の外務省には「外交官の子弟枠」なるものがあり、小和田恒氏の娘で

  ある雅子さんが落ちるわけなかったのだ。

 にも拘わらず、マスコミはすぐに動き始める。

「FOCUS]1986年10月掲載。

同じく「FOCUS」

ここからすでに「小和田雅子入内計画」は始まっていたのだ。

では誰によって何の為に?

俗に、皇太子と小和田雅子さんの出会いは1986年10月18日の

「エレナ王女歓迎パーティ」と言われている。

物証はないものの、その時の名簿に「小和田雅子」は最初は載っていず、

後から手書きでくわえられた事が判明。

こんな事が出来るのは限られた人である。

忘れてならないのは、このような手口でお膳立てをする人たちは

決して

「正しい愛国心」の持ち主ではない事。

 

多分、竹田恒泰ら②③の人達からみたら

「ハーバード大」も「ハーバードカレッジ」も同じもので、詐称ではないし

大した問題ではないというだろう。

修士をとれなかったことも「優秀」伝説になんら傷をつけるものではないというだろう。

真の保守派によって暴かれた入内前の事実をマスコミにつきつけたとしても

「ハーバード大出でオックスフォード留学経験があり優秀な外交官だった雅子様」の

イメージは一切変わらないし、今後、即位した時にも同じフレーズが使われる。

「雅子様大好き」2014年10月26日

「素敵だった雅子様が失ったもの」では

 ハーバードを出た外交官、まさにキャリアウーマン雅子さま。これが本来の雅子さま。

皇室に入ることになって、とつぜん路線変更せざるを得なくなった。ほら、この、無理をなさってい

るようす

男勝りで仕事をしていたのに、とつぜんお妃らしくしなさいと言われ…

無理をなさっている

 無理をなさっている

 掛け軸を前に蘭を置くのは、掛け軸は読まないから。
ユキナの家は、掛け軸の間に物を置いたらいけなかった。というかこういった写真は写真館で撮るものだった。
雅子様のご実家は自由。

 本来はコウなのにねえ??
これが本当の雅子様なのに。


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