真の保守派が皇室にNO!を突き付ける日
皇太子夫妻の結婚は偶然ではなく必然
出自・学歴、そのどちらも「事実」として疑問符が付く女性が、なぜ皇太子妃になる事が出来たか。
それを望んだ人がいたからである。
愛子内親王誕生の頃から、ネットの中の「真の保守派」はとげのように突き刺さる
皇太子妃への「違和感」に心を痛め、やがて、その理由を検証し始める。
参考にしたのが、香淳皇后や美智子妃のあり方だった。
私達とは別世界で生きる人達。でもそこには「享楽」などという言葉が入る余地などなく
私達はあこがれつつも、じゃあ、自分が皇族になりたいか?と問われると
「それはちょっと・・・」と思うような存在。
堅苦しくて近寄りがたい。大変な存在という意味だ。
イギリス王室では彗星のごとく現れたダイアナ妃に狂喜するも、数々のスキャンダルが
襲う。イギリスを始め、どこの王室でも1つや二つのスキャンダルはつきもの。
でも日本では無縁の事だと思われてきたのだ。
しかし、愛子内親王誕生あたりから、もしかしたら日本の皇室にも同じスキャンダルの波が
来ているのではないかと思い始めるのだ。
検証・・・・結婚前から「振る舞い」に疑問符が
ついた小和田雅子嬢
あまりにも有名な「指さし恫喝」事件。
1987年12月18日。マスコミの取材に対し「どこの社なの?名刺出しなさい」
と記者を指さして恫喝する事件が発生。
小和田恒氏が後に
「たしか八七年の十二月二十日過ぎだったと思います。
突然わが家の前にカメラマンの方々が二、三十人現れたのです。
雅子は、いつものように外務省に出かけようとして玄関に出たのですが、
びっくりして慌てて家の中に駆け戻ってきました。
「お父様、お父様」と息を切らしているものですから、「どうしたの」と聞きましたら、
何だか分からないけれど、玄関のところにカメラマンの方が沢山いて、
写真をパチパチ撮られたと言うのです。私の方も何が起きたのかまったく分かりません。
どうしたのだろうと思いましたが、娘ももう社会人のはしくれですし、
集まっている人たちに「どうしたんですか」と自分で聞いてみたら、と気軽に申しました。
それで雅子は、勇気を奮ってもう一度出て行って「どこの方ですか」と訊ねたんですね。
それが、後になって「名刺を出しなさい、名前を名乗りなさい」と言い放ったという話になって、
「皇室評論家」と称する人などから、気の強い女性であるといった歪められた話になって
伝えられてしまったのです。 」
ファンタジー小説を読むかのような文章だが、当時の国民の多くは
「あんなにマスコミに追い掛け回られたら怒ってそういう事を言いたくなるよね」
「ぶりっ子の紀子妃より人間らしい」
と同情したものでした。
川嶋紀子さんが登場した時、日本国民はみな「今時、あんなお嬢様が存在するのか」と
驚き、喝采したものでした。
生活ぶりが質素で笑顔を絶やさす、自分の役目に忠実。非の打ちどころのない面にどこか
堅苦しさを覚えていたのかもしれない。けれど、それこそが「皇族」のあるべき姿だった。
私達庶民と同レベルまで落ちては困るのです。けれど、当時はそこに気づかなかったという事。
外務省中央玄関前の駐車場に車を入れているのは小和田雅子さん。
職員は原則として車通勤はしてはいけない。
外務省中央玄関の駐車場は70台。ここの名義は小和田恒氏。
つまり雅子さんは父親のコネを使って一人マイカー通勤していた事になり。
それを知った外務省は、突如「小和田雅子」名義で駐車許可証を発行。
「まあ、公務員だしお父さんのコネがあるししょうがないんじゃないの」
「さすが外交官のお父さんがいる人は違うなあ」
何度も「マスコミは蛆虫みたい」とか「馬鹿野郎」とか。お嬢様にふさわしくない
言葉遣いをしようとも、国民は「今時っぽくていいんじゃないの?」と思ったものです。
「いい子ぶりっこよりいいわ」
金箔箪笥事件
小和田雅子嬢の男性遍歴に関しても様々なうわさがありました。
30近くまで何もないっていう方がおかしいと誰もが考えてはいたけど
例えばデビッド・カオなどという人が雅子さんの写真を持っている・・・と
噂がたてば、その彼が不審な死を遂げるというありさまで。
それらの写真が焼き捨てられたのか、噂にすぎないのか真実なのか
今もって謎のままです。
でもこの「金箔箪笥」事件はちょっとしたスキャンダルになりました。
金沢にある「辰巳屋」という老舗の箪笥屋さんが、小和田家の注文で作った
桐に金箔を張り付けた箪笥3竿(3千万)が突き返された。
箪笥を東宮御所に納入しようとしたら宮内庁から「NO」を突き付けられた格好。
社長は行方をくらまし、その後「自分達が独断で作らせて頂きました。またその箪笥は
巷で言われれているような高級品ではない」と文書で発表。
小和田側も「辰巳屋が独断でやったこと」と釈明。
辰巳屋を小和田家に紹介したのは金沢の大物代議士であるという話が。
宮内庁のアドバイスを聞かず、独自に注文先を決めたが為に、「桐たんすに金箔をはる」
という素人のようなミスを犯した・・・
このニュースに、多分、一部の人は「成金ってこうなのか。突き返されて当たり前」と思ったと
思います。私もそう思った側です。
しかしながら、あっという間に「小和田家の知らない所で箪笥会社が勝手に金箔箪笥を
作ってしまった」という話になり、「被害者は小和田家」となってしまったわけです。
老舗の箪笥屋が素人のようなミスを犯すでしょうか?
頼まれもしないのに、一竿1000万もする箪笥を作りますか?
普通に考えれば、「箪笥屋のせいか?」と疑問に思う所、祝福ムードにすっかり辰巳屋は
悪者になってしまったのでありました。
このように、結婚前から小和田雅子さん、あるいは小和田家の振る舞いは「皇室」のそれとは
正反対で、いちいち国民は無理に自分を納得させなくてはならなかったのでした。
日教組の教育を受け、「日本は悪い国」「日の丸・君が代は気持ち悪い」
「皇室を語ると怖い」を植え付けられた国民は、すっかり無関心に。
それをいいことに、マスコミは「祝賀ムード」だけ盛り上げ、都合の悪い事は
全て隠してしまった。
しかも、ダイアナブームで、すっかり「王族=セレブ」というイメージがついてしまい
小和田家の成金趣味や成金的振る舞いも、「どうでもいいや」と目をつぶる人が
多かったのでしょう。
森元総理が「日本は天皇が治める神の国」と言っただけで辞任か!という程
皇室に関する言葉はタブーになってしまいました。
「あるべき姿の天皇と皇族」を存続させつつ、自分達の税金が使われているという
部分で厳しい目を向けるべきだったのに、「天皇及び皇族には触らない」かあるいは
「天皇制反対」のどちらかにしか人がいなくなってしまった事が、なお一層小和田雅子さんには
好都合だったんでしょう。
そして小和田雅子さん自体が「皇族=セレブ&権力者」ととらえていた事は確かでしょう。
人から見ればうらやむような学歴・職歴ではあるけれど
本人としては、一人だけ修士をとれなかったり、外務省でも多くの挫折経験を抱えて
「恨」を募らせていった事でしょう。
そんな彼女にとって「皇太子妃になる」という事は、「恨」を晴らす事に外なりません。
誰よりも高い地位につけば、回りを見返してやれる・・・そんな思いがあった筈だと
私は思っています。
お妃教育の過程で、彼女が何も学ばず、かえって要望だけを突き付けた事
(「神道」に関するテキストは英語でとか、科目が減らされたことなど)
は、予行演習だったのかもしれません。
そうとも知らず(?)
国家を上げて「ご優秀な皇太子妃」という幻影に酔ったのでした。