今回の郡山宮の弟の葬儀について、みなさん、本当に色々考えて下さって
ありがとうございます。
コメントを一つ一つ返さずにごめんなさい。
皆さまが経験された事に、ただただ驚いたり、納得したり、共感したりです。
まず、郡山宮は何にそんなに悩んでいるのかという事。
それは「供養」をきちんとしてやれなかったという後悔のようです。
郡山宮と叔父殿下の年齢差は13歳。
うちのジュニアとヨンジュナの年齢差です。
叔父殿下が生まれてすぐ父殿下がなくなったので、いわば宮が父のような存在で。
母子家庭で苦労させたという思いがあるようです。
また、叔父殿下は無口で決して自ら「ああしたい」という人ではありませんでした。
彼は退職以来、全部の歯がぼろぼろになっても歯医者に行かず
あまりにみっともないと説得されて行ったのが3年前。
そこで舌癌が発見され、その時、ステージ4。
住んでいたのは岩手県の陸前高田市。
津波が来たけど、ぎりぎりセーフで水をかぶる事はなかったらしいです。
陸前高田では適当な病院がないので仙台のがんセンターに入院と手術。
声を失い、食事は管で。
その後は陸前高田から定期的に通っていたようです。
叔父妃 → 陸前高田が地元で90代両親と同居
長男 → 半ニート 非正規雇用で3年前からは父の看病に専念
次男 → 千葉県で妻と子一人とマンション住まい
長女 → 税理士で都内在住
今年の3月に再発が確認され、仙台ではどうしようもないので
千葉県のがんセンターを紹介され診察を受ける。
上京時、本来は歩くのも困難な程だったのに「娘が住んでいる所に連れて行きたい」
という妃の要望で都内巡りをしてから千葉県に。
電車を乗り継いで行ったので病院では「よく動けましたね」と驚かれてしまう。
すでに手遅れ状態なので、千葉県内ホスピスを紹介される。
ホスピスのベッドがあくまでの間、次男が住むマンションの下に部屋を借りる。
それが3月の3連休頃の話。
陸前高田の家は国が買い取る事になり、4000万程のお金が入るそう。
だからなのか、私達がお見舞いに行った時、叔父妃と次男一家は
私達に「ちょっと見ててください」といって、家具を買いに行ったのです。
家具を買った以上は「次男と同じマンションなら老後が安心ね」と私達は話していました。
陸前高田の90代妃両親はそれぞれ老人福祉施設への入所が決まっていたようなので。
そうはいっても、次男嫁はお茶を一杯出したきりでどこかにひきこもっていたし
叔父宮はリビングに寝かせられていたし・・・しかも本人の目の前で
叔父妃は「もう手遅れだって言われてね。まあ3年も頑張ったからもういいよねって」
なんて言うので、私達は「いくらなんでも病人の目の前で」と驚きつつ、非難も出来ず。
その後、ホスピスが空いたので叔父は入院。
叔父妃と娘は「身辺整理」の為に岩手に帰郷。一旦帰って来てから今度は
次男嫁とその子と一緒に帰郷。こっちは遊びに連れて行ったもよう。
その間1週間以上、付き添いをしていたのが叔父の姉であり郡山宮の妹
田無宮妃。
彼女も後期高齢者でしかも遠方なのにずっと泊まり込みをしていたのです。
で、心配したうちの旦那様が日曜日に様子を見に行ったという次第。
田無宮妃はさすがにお疲れだったそうです。
「洗濯ものをそのままにしていなくなった」と偉くご立腹でした。
しかも、仕事帰りの次男が一日だけ見舞いに来たそうですが、それが夜中の12時で
やっと寝付いた叔父殿下を起こして「子供が陸前高田でこんなに喜んでる」という写真を
見せたんだそうです。
そのままホスピスに入れておけばよいものを、
いよいよ今日か明日という時に、叔父妃が「花見をさせたい」と言って
無理やり退院。
千葉のマンションに戻って来て(っていってもタクシーだったそうですが)
郡山宮夫妻を呼び寄せたけど、マンションに泊めるでもなくホテルを紹介されたとか。
2LDKで部屋は余ってた筈なのに・・・と思いましたし、一時持ち直したら
「もう帰っていいよ」と言われ、郡山宮はさらに傷ついたらしいです。
死ぬ間際の人に「花見が出来てよかったね。ほら好きな酒だよ」とスプーンで
飲ませた時も驚いたとかなんとか。
で、亡くなったのが夜中。
実は叔父妃は葬儀を千葉でやるつもりはなかったようです。
何でも、叔父が定年まで勤めていた会社に連絡をして「社葬」をして
貰おうと考えていたらしいのです。
ところが、会社としては「10年近くも前に辞めた人の葬儀は出しません。
呼んでくれたら行きますけど」とお返事。(当たり前)
それで急きょ、葬儀をあげざるを得なくなり、次男と長女が一生懸命スマホで
葬儀場を探して決めたという次第。
無論「無宗教で」というのは叔父宮の意志ではありませんでした。
葬儀社が決まって、枕元に色々飾るでしょう?
その時に線香を焚こうとしたら
「マンションを返す時に文句を言われるからやめて」と言われた事が
とにかく郡山宮としてはぐさぐさ来てました。
実は亡くなるまで岩手から転出したけど、千葉に転入していなかった事が発覚。
危うく葬儀どころじゃないハメに。
しかも、家具まで買ってそろえた2LDKマンションは3か月後には返して
叔父妃は「2・3か月ぶらぶらしたら陸前高田に帰るわーー」とおっしゃった。
じゃあ、いっそ、遺体を次男の部屋に移して祭壇を設ければいいじゃないの?と
私などは考えましたが、そういうのは次男夫婦が嫌いだったんでしょう。
理由はたぶん「うちは子供がいるからーー」だと思います。
ろうそく一つ、線香一つ上げられず無念の思いをひきずって我が家に来た
郡山宮夫妻は延々と愚痴っていましたけどね。
そしたら今度は「葬儀には何人で来るかはっきりと教えてくれないと料理が用意できない」
と連絡が来てさらに神経を逆なでしたわけです。
葬儀は10時半からの予定でしたが、私達は8時過ぎには着いていました。
そしたら9時を過ぎた頃から、叔父宮が勤めていた会社の役員さんが
いらして。しかも仙台からわざわざ。
それなのに、叔父妃も誰もいないわけで。
いくら「葬儀社との約束は10時」とはいっても、子供達の誰かは来て
準備すべきではなかったかと思います。
誰より遅くタクシー2台で乗り付けて来た叔父妃達に親戚たちは
呆然とするばかり。
しかも叔父妃はパンツスーツで・・・・一応、喪主だし田舎の人なら着物ぐらい・・・・
「子一同」の花がなかった。
「焼香」だけでろうそくも線香もお経もなし。
いわゆる「無宗教」の葬儀がどんなものかわかりませんが、黙とうして焼香して終わる。
泣く暇もない程早く終わったという印象。
その後、叔父妃から郡山宮家には一切の連絡がなく、49日や1周忌をどうするのか
という話がないので、猶更不安なようです。
考えて見れば「無宗教」なんだから49日も一周忌もないですよね。
となると、老人の常。
「何でわざわざ千葉まで連れて来たかな」というところまで話が戻ってしまうのです。
3月に来て1か月もしないうちに亡くなるなら、せめて故郷で死なせてやるべきでは
なかったかと思うらしいのです。
「まるで死ぬ為だけに住民票を異動したみたい」と宮妃は言っておりました。
再発以来、ゆったりした事がなかったみたいです。
なんせ、やれがんセンター→マンション→ホスピス→マンション
全て仮住まいのまま、落ち着かないまま亡くなったという事です。
「あの人達(叔父妃)は病人の負担を全く考えずに、自分達の思いだけで動かして
それが「好意」だと勘違いしている」
とか。
3人も子供がいたのに、長男は葬儀が終わると一人だけさっさと仙台に帰り
次男夫婦は一人っ子につきっきり。
長女だけは泣いてばかりで気が利かず。
今度のGWには今度は旦那の兄の13回忌があるので郡山へ行きます。
無論、うちの子供達も休みをとっていきます。
その時も多分、愚痴をこぼされるだろうと思います。
息子が亡くなった時ですら前向きだった郡山宮が不眠症になるというのは
結構大事だと思うんです。
私個人としては
「だから、その場で言えばよかったじゃないかーー」ですよ。
この私ですら苑まで頭に来たっていうのに、散々「いいんだ」って言ってたのは
宮でしょうがっ(怒)
無知の涙の弟一家に言うべき事をいうのは家長の務めですよ・・・言ってあげる
事がやさしさだと私は思うんですが。
まあ、逆恨みされそうですけどね。いいんです。次世代は付き合わないから。