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私が宝塚を見るのは

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 りむりむさんのコメントは果たして「荒らし」か否か?

悩んじゃったんですよね。

批判するのになぜ宝塚を見るのか?

そんな事を考えたことないので

でもお題を提供してくれたので答えます。

っていうか、私の回りでは歌舞伎ファンだって

「最近の歌舞伎はうまい人がいなくなったよねーー」という話から

「でも海老様が・・・」

「海老蔵って上手?今時は吉右衛門さnくらいしか・・・」

「そうはいってもやっぱり海老様はかっこいいし」

みたいな会話を普通にしていますよ。

ヅカファンも同じです。

多分そこには「以前のような面白さを持った宝塚になってほしい」

という願望があるからじゃないですか?

ヅカファンなら誰でも知ってる小林一三。

なぜ彼は宝塚を作ったと思いますか?

江戸時代まで庶民の芸術的娯楽とといえば

「歌舞伎」「能・狂言」「文楽」それくらいしかなかったんです。

そもそも能や狂言だって大衆娯楽だったわけですが、

時代を経て高級なものに変わって行きます。

歌舞伎も大衆演劇の最たるものでした。

ところが明治になって外国から「新劇」が入って来ます。

日本政府は頑張って帝国劇場などを作ってみたけど、

あちらの演劇は難しくて面白くない。

日本の演劇 → 場を楽しむ芝居 感情的

外国の演劇 → ストーリー性重視 理性的

つまり、高級すぎたわけです。

松井須磨子ら新派の方々もそういう事で苦労していたわけですね。

明治も後期になると、歌舞伎も難しく感じるようになります。

そこで小林一三は「大人も子供も楽しめる国民劇を作ろう」と思い立つのです。

 

なぜ宝塚は女の子だけなのか?

その時代に「歌ったり踊ったりする事」自体があまりいいイメージがなかった」から。

「清く正しく」運営するには、ある程度裕福な家庭の教育熱心な親がいる

「少女」が必要。

「芸事を身につけさせていつかお嫁に行く」事が目的だったわけです。

現在の宝塚歌劇団も、裕福な家庭の子が多いのは多分にそういう

「伝統」があるんですよね

あれ?「愛と青春の宝塚」と話が違う?

だってあれはドラマだしなあ・・・・・・

関西圏のしっかりしたご家庭のお嬢さんを一時、小林一三校長先生が

お預かりし、しっかり礼儀作法と芸事を身につけさせて、

どこに出しても恥ずかしくない女性にお育て申し上げる・・・こんな感じです。

 

関西には「芸を見る楽しみ」を許容する文化があります。

芝居に歌に落語に漫才。

それらをごひいきさんが盛り立てるという文化があるのです。

残念ながら関東以北にはそういう文化はありません

東北でジェンヌのスポンサーをやってるのは「萩の月」だけですよね?

今でも多分「娘が宝塚に入ってる」なんて言っても

「それって何の得があるの?」って言われて終わる可能性が

北翔海莉が大々的に故郷に錦を飾ったけれど、実際には

「ヅカのトップになる」という事の重要性をわかっている人がどれだけいるか。

 

話をもどして。

戦前、宝塚の観客の半分は男性でした。

「少女歌劇」を愛する学生さんが沢山いたのです。

一方で「葦原邦子さんだわっ」「私は春日野八千代よっ」という

ミーハーな女学生も多かったわけで。

東京では女学校の先生たちがこぞって

「東京宝塚劇場に制服で行ってはダメっ っていうか見ちゃダメっ

「風紀が乱れる」

と言って、歌劇団に申し入れをしたりしたんですよ。

白井鐡造が開いた「パリのレビュー」から20年も経つと、そういうものが

古臭く見えてきますよね。

そこで外国文学をミュージカル化したもの(例えば「モンテクリスト伯」など)

が増え、芸術性を高めていきます。

この頃は「宝塚は少女歌劇のままでいて欲しい」「いや芸術として花開くべきだ」

との論争が起きます。

今、私が宝塚の感想で書いているような事を、戦前の男子学生や女学生が

語る語る。私以上に辛辣に書いていた時代があるのです。

当時の「脚本集」を読むと、「●●はダンスが下手」

「少しは真面目にやらんかい」

「舞台袖でぺちゃくちゃおしゃべりしているのが聞こえた」

など、本当にすごい事ばかり書いてあります。

まだ下級生だった春日野先生の言葉遣いがどうのこうので

歌劇団に苦情が入ったりしたのも戦前の話。

でも、なんでそこまでみなが批判するのか?

宝塚が好きだからですよ。

もっともっと歌が上手になってほしい、ダンスが芝居が上手になってほしい。

面白いものを見せて欲しいという期待からなのです。

 

戦後、宝塚は「ベルサイユのばら」で一世を風靡し、全国規模の

歌劇団に成長。

そもそも小林一三の一存で作った歌劇団は阪急の箱入り娘。

だから予算は使いたい放題。

チケット代も格安。演出家は座付きで好きな作品を作っていました。

1980年代、小池修一郎や正塚晴彦らが新人の頃は、

結構男性客も増え、尚且つ「宝塚を熱く語る」人がいたものでした。

しかし、自分で採算をとらなくてはならなくなった1990年代から

宝塚の芸術性は著しく落ちてきました。

私が宝塚を実際に目にした頃、ちょうど阪神大震災後ですが

10年後にはまともな作家がいなくなるよねーーと言われていたものです。

まさにその通りになりました。

木村信司・植田景子・児玉明子・斎藤吉正・荻田浩一・藤井大介・

中村暁・中村一徳・大野拓史・・・この中で全うに成長したのは藤井大介と

荻田浩一のみ。(荻田は退団。のちに斎藤吉正と大野拓史がめざましく

成長)

こんなに脚本家が沢山いて育たなかった理由は、この頃から徒弟制度が

崩れて「自己流の作品を発表する場」として宝塚を見る演出家が

多かった事がいえるでしょう。

小池修一郎は「エリザベート」では見事な潤色を発揮しましたが

オリジナルでは全然ダメだったし、正塚晴彦も「正塚イズム」が

何となく宝塚らしくないととらえる客が増え失速。

脚本がしっかりしなければ、スターも育ちません。

今の宝塚は1990年代のツケが回ってきたような状態なのです。

 

「そんな昔の事言われてもわかんない。

今のスターさんがかっこよければそれでいいじゃないか」

と思うでしょうか?

宝塚はジャニーズ事務所じゃないのです。

創立100年を超え、日本で唯一の「歌劇」を上演する場所です。

めちゃくちゃな脚本で、かっこよければそれでいい・・・なんてものとは

わけが違うのです。

ファンが叱咤しなければスターは育ちません。

どんなひどい歌でもダンスでも芝居でも、見た目と親の金コネで

出世するのが宝塚・・・なんて事になったら200年はないでしょう。

現実にスターらは小粒になっているし、個性がなくなりつつあるのは

確かです

 

うちの姫なども大昔の宝塚の映像を見ると

「化粧についていけない」とか「何が面白いのかわからない」と

いう事があります。

鳳蘭や榛名由梨、安奈淳や汀夏子の芝居のよさを理解できなくても

「大昔のスターはオーラや気迫が違う」という事だけは

理解してくれています。

そういうものを母は求めているという事はわかるようです。

時代を引き戻す事は出来ません。

衰退していくものを引き留めようとしても無理かもしれない。

「今さえ楽しめばいい」という楽しみ方もあるでしょう。

でも本当の「演劇ファン」「宝塚ファン」というのはそれじゃダメです。

いつの時代にどんな脚本や演出があり、スターの良否を

語れないと本当の「ファン」ではないのです。

 

うちの職場のSUICAをバスで使える事を知らなかった人も

「私も昔、宝塚ファンだったんです」と言った事があります。

「へえ、誰のファン?」

「大地真央さんです」

「あらーじゃあ、「二都物語」みた?」

「え?なんですか?それ?作品名とか全然覚えてないんです。

でもほら、時代劇みたいな作品ですごく綺麗な装束着てたのは

覚えています。「新源氏物語」?そんなタイトルだったかな。

あまりに昔のことで覚えていません。そこまでファンだったわけじゃ

ないし、とにかくかっこよかったからーー」

そんな彼女は今は羽生結弦ファン。

フィギュアスケート界のあれやこれやを話したら

「でも私、そこまでファンじゃないんです。ただ見てて頑張ってるし

綺麗だなって思うから」

その「そこまで云々」を連発されるとちょっといらつくんですけどね。

セブンイレブンでゆづのクリアファイルもらえると知れば頑張って

噛まないガムを買ったりしてましたけど、営業的にはそれで十分

なんでしょうけど、将来のスケート界を考えた時、本当にそんな

ファンばっかりでいいのか?と思います。

 

ブログはね、つまらないなら読まなきゃいいんです。

ふぶきさんがコメントに返事しない事を「私がせっかく返事しろ

って書いてあげてるのにこの恩知らず」ってのと、

「舞台が好きだから批判する」は同列ではありません。

りむりむさん、かっこいいだけではあなたのごひいきさんは

成長しません。また、批判に顔をそむける生徒もまた同様です。

 

 

 

 

 

 


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