マサコにとってこの旅は今まで生きて来た中で最も嬉しいものになった。
とにかくどこへ行っても笑いが止まらなかった。
得意で得意でたまらなかった。
外務省の奴ら見てる? 私は皇太子妃なのよ。
私の実力を思い知ったか・・・・・といわんばかりの態度だった。
通常、皇族が海外へ行く場合は先帝の陵と宮殿賢所に参拝するしきたりだったが
マサコはあっさりそれを無視した。
「祭祀は体に悪い」という理由で。
神道に携わるものなら誰もが怒りで震えそうな理由だったが、
「理屈が通らないものは信じられない」という屁理屈こそが「マサコさまの思い」として
表に出て、またそれを賛美するような報道が目立った。
要するに「幽霊を信じない」程度の話なのだった。
皇太子がせっせと公務に励む中で、マサコは「医師と相談した結果、
まだ早いとの診断」「静養は治療の一環」との医師団発表で
公務に同行する事もなく、夏をオワダ家家族と満喫し、外食に励み
ひたすら「元気になるため」に勝手気ままな生活を送っていた。
その流れの先にあるのがオランダ静養だったのだ。
費用が一億?だから何?
東宮大夫は「私的な金から出す」と言い切ったが、そもそも今の東宮家に
私的財産などあるわけがない。
マサコが着ている服の糸の一本まで税金なのである。
しかし、マサコにとっては「知ったこっちゃない」だった。
公務員の給料だって税金だ。
悔しかったら試験に受かったらいいのよーーくらいの感覚だ。
外務省という組織の中で「オワダの娘だからって」というひそやかな
陰口に傷ついた自分。
もっと有能である筈なのに、雑用しかさせてもらえなかった自分。
あのまま外務省にいたら早期退職を迫られそうだった。たとえ父がいても。
だから皇太子妃になったのに、出来ない事ばかりでまるで宇宙にいるようだった。
「皇太子」という地位以外は何の取りえもない夫と、変な娘。
マサコは自分の部屋で、日々、外務省の同僚たちがどんな風に自分を馬鹿に
している事かと考えずにはいられなかった。
それが苦しくて苦しくて。
それが今はどう?
とうとう「祭祀はやらなくていい」「公務しなくていい」「海外行ける」を
勝ち取ったのだ。
「いかがなものか」などという批判は全くに耳に届いていない。
勝った者だけが味わえる至福を自分が味わって何が悪い。
今や日本中のマスコミは自分の味方。
誰が批判したって、せいぜい「いかがなものか」程度だもの。
オランダへ旅立つ日。
マサコはあからさまにウキウキした表情を見せた。
とにかく嬉しくて嬉しくてたまらなかったのだ。
飛行機は民間機だったものの、こっちが頼みもしないのに
ファーストクラスだ。医師に侍従に美容師に・・・総勢20名程の
旅団だ。天皇と皇后以外、そんな事出来ないだろうに。
という事は天皇と皇后を超えたという事になるのだろうか?
皇太子は、妻のわくわくした姿に心底ほっとしている風だった。
アイコは自分がどこにいるのか、何をさせられているのかさっぱりわからず
何とかお辞儀をさせようと頑張ったが無理だった。
無理で結構。
あっちへ行けば何とかなるし。
飛行機の中では、久しぶりの機内食に舌鼓を打ち、ワインに酔いしれた。
ファーストクラスって最高!
東宮御所ではこんなに丁寧に扱って貰ってないと思った。
みな、跪く程に自分に尽くすのだ。
母親が機嫌がいいのがわかるのか、アイコもはしゃいであっちこっち
走っては転び、ワンピースの裾をひっくり返しては指をしゃぶっている。
それを異様とも思わずに微笑んでみている皇太子。
特上のマカロンを気に入ったのか、際限なく食べているが
その時はおとなしい。
マサコはしばし、娘の事を忘れ、夫の存在も忘れ、ひたすら「自由」を得た
事に満足しているのだった。
そして、腫れてオランダの地を踏んだ時、あまりに嬉しくて
マサコは大口をあけて笑った。
日本中から、いや、世界中からマスコミが押し寄せているのではないか
というほどのカメラ。
王室の馬車庫には女王と王太子一家が待っていた。
「よく来てくれたわ。2週間を楽しんで下さいね」と女王はにっこり笑い、
王太子妃は「お疲れにならなかった?」と優しく聞いて来る。
こんなに優しくされたのは初めてかも・・・・・と思った。
日本では何をやっても「いかがなものか」と言われるのに。
マサコはまず、その事に感動した。
アイコと同い年の王太子の娘は大層可愛らしかった。
それが多少憎らしくはあったが、その子につられたのかアイコが
にこにこ笑いだしたので、マスコミがあっと驚いた。
なんてタイミングのいい子だろう!
「はじける笑顔」のマサコとアイコはこうやって出来上がった。
ヘッド・アウデ・ローの城はおとぎの国のお城のように美しく
皇居や東宮御所などぼろに見える程だった。
この城を貸切る「権力」を持ったのだ。
今まで日本の皇族が手にした事のない「権力」を。
皇太子もまた、それにうっとりと抱かれているのだった。