鈴蘭様。ちょっと考えてみますね。
そりゃ登山家さん達にとっては嬉しいかもしれませんし、山を観光地とする
県においても嬉しいかもしれません。
でも単純に「海の日」があるなら「山の日」もってところが納得できないんです。
そもそも「海の日」だって7月に祝日がないから無理やり作ったようなものでしょう?
そんな必要性があり?
子供達にとってはどうせ夏休みの1日にしかすぎないのに。
「山の日」だってお盆と被っているからありがたみなんてそんなにないんですけど
陛下が心配された「天皇の喪」の事ですけど。
何ていうかねーー贅沢な悩みだと思いませんか?
過去の天皇は殯は勿論、即位の大礼だって上げられない人が多々いたんですよ。
10年も即位の礼が出来なかった天皇だっていました。
何でって?お金がないからですよーー
簡素にやりゃあいってもんじゃなくて、儀式には絶対に外せない部分があるでしょう?
殯もその一つ。天皇及び上皇が宮家の方々と同じでいいわけないと思うんですよね。
昭和天皇が倒れた時、最初の報道は「大丈夫」的なかんじだったとおもいます。
癌である事を知らされたのはずっとずっとあとで、最初の報道では
国民が心配しているという言葉に「ありがとう」というお言葉もあったと・・・・
葛湯を飲んでいらして。どんなものなんだろうと想像したり。
それが毎日、体温・血圧などがテロップで流れるようになり、当時「下血」という
聞きなれない言葉が流行語になりそうな感じでした。
何で、毎日発表しなくちゃいけなかったんだろうと思いますが、あれがあったから
私達は「天皇の死」というものに覚悟を持てたのかなあとも思い。
最初は天皇の「ありがとう」という言葉が発表され、また葛湯・重湯になって
次第に食事の話はなくなって
わかる人にはわかってた「死の予感」
年末にかけて「自粛」ムードが勝手に歩き出したんです。
バラエティなど放送すべきかどうか悩んだ・・・・・らしくて。
友人が老舗駄菓子屋の4代目と結婚したのですが、「自粛」により
お色直しが2回、招待客200名にしたとかいう話もあり。
(内容は全然自粛でもなんでもなかったんですけどね)
決して今上がいうような「社会生活を停滞させた」という程のものじゃなかったです。
テレビも各業界も「その日」に向けて、きちんと準備期間を与えられたと思っています。
その証拠に1月7日の午前5時くらいに、テレビで
「皇族方が皇居に入った」というニュースが流れ、出社して暫くして
御前9時前後に会社から「天皇崩御」のニュースを聞きました。
その日が土曜日であった事、早朝だった事から、後々
「実は天皇はもっと前に亡くなっていたけど、庶民の仕事に支障が出ない様に
土曜日の朝にした」という噂が飛び交いました。
あながち嘘でもないと思います。
今にして思えば、今上ならそれくらいの事、やりかねませんよね。
会社を出ると一斉にオフィス街には「大行天皇の崩御を悼みます」の
張り紙が並び、半旗が掲げられました。
八丁堀は元々休みの会社が多かったけれど、それでも張り紙がありました。
記帳しようと思って二重橋へ出たら、あまりの人の多さに断念して
銀座に出て、そしたらどこのショウウウインドウも喪服になっていて。
要するに、みんな「準備」してたんですよね。
号外も早かったし、何もかも予定通り。
それから皇室報道一色
天皇が亡くなったその瞬間から「皇太子殿下」は「今上陛下」になり
「天皇ご一家」の紹介も。
「ただちに践祚」とはこういう事なんだなと。
それを知っているからこそ、少しも早く「廃太子」すべきだと思っていたんですけどね。
その後は、いわゆる「弔問外交」が始まりました。
皇后陛下は真っ黒なロングドレスに長いベールをかぶって、陛下と
一緒に弔問客を迎えます。
世界中から王族や政治家たちがやってくる。水面下ではこの時とばかり
政治の話をする人もいたでしょうし、色々駆け引きがあったと思います。決して
政治と無関係な「喪」ではなかったと思います。
儀式の多さは何となくわかりました。
「斂葬の儀」が2月下旬でした。それだけの準備期間が必要だったのです。
この「殯」を巡って、どこまでが国としての行事で、どこからが私的な事なのかと
政府は頭を悩ませ、「鳥居」をくぐったら皇室の私的行事にしちゃったと思います。
そうはいっても、実際の「斂葬の儀」のなんともいえない雰囲気はテレビの
画面を通しても感じましたよ。
あの日は雪が降って、本当に寒かった。ひどく冷える日。
その中での宮中行事は幻想的で厳粛で、歴史の一ページだなと。
出席した人達も、日本の神道の行事にはいたく感動したと思っています。
太平洋戦争であれこれ言われたけど、昭和天皇のカリスマ性に触れ
泣けてきた事を覚えています。
それらの行事を全部こなしながら、今上は「大変だ」と思っていたんでしょうか?
今になって「残された家族は大変」だなんて・・・・・
大きな溝があった今上と昭和天皇だったけれど、昭和天皇を悼む言葉を
述べる今上からは悲しみが伝わってきましたよ。
私達は、外国人のように大きく身をよじって泣く事は出来ないし、感情を
むきだしにする事も出来ない。
けれど、静かに悲しむ事が出来る。重々しく受け止める事が出来る。
昭和天皇は確かに私達国民にとって「父」であったと思うんですよね。
今上が即位した時、昭和天皇程のカリスマ性を感じる事はなかったですが
時代が変わったんだしと思いましたよ。
そしたら時代・・・価値観まで変わるとは。いやはやです。本当に。
「殯」一つ満足に出来ない天皇なんかいらないでしょ 無論、皇后も。
「弔問」にきた各国の王族が居並ぶ中で、オランダやイギリスの人とは会うけど
他は「体調の波」があって出てこない皇后なんていりませんし、皇太后が
我さきにと出張って来るのも変だし。
「美智子皇太后決意の殯」とかなんとか書かれてもね・・・・・
「雅子様は体調の波を乗り越えて喪の行事に参列・・・皇太后さまをお支え
しようと頑張った云々・・・・皇太后さまは首が痛いのをひたすら耐えて・・・」
面倒です。国民が。
忘れてた・・・・「山の日」でしたね。
皇后になる気満々なのに、10日に行われたレセプションは皇太子一人。
全くもって、この「出る」「出ない」の基準が不明。
好き勝手やりすぎ。
そして
いやーー式典にこの格好。
「山の日」だからいいんだもーん。え?そうなの?
そうはいっても、普段着じゃないの。堕ちたもんです。
メインはこっち。
要は遊びに来て「式典」出て「次世代の皇族アピール」
もう何をしても批判されないっ!!やりたい放題!!