一時は寂聴さんに傾倒していた自分が情けない。
青春時代の私は完璧にマインドコントロールされていたのかなあ。
その前に。
先日、ちらっとクローズアップ現代が目に入って。
丁度、社会保険制度についてやってたんです。
A子さんは(夫の扶養に入らず国保) → 社保になる事で収入アップ
B子さんは夫の扶養範囲内で働く第3号被保険者) → 社保になる事で収入減
時間も削減
なのでB子さんは社保に入る事をやめました。という話。
そこで解説者は最終的に「家事も育児も介護も女性に負担させることで働く時間を
えられない社会が悪い」みたいなことを言っていました。
全くその通りではあります。
ありますけれど、私の予想では今後100年経ったって女性の役割はそうそう
変わらないだろうと思います。
理由は、日本における企業の在り方が変わらないからです。
日本人は世界に出てその国の雇用は確保しようとするのに、国内ではそれをやらない。
それは「人件費の削減」がもっとも手っ取り早く利益を追求するやり方だからです。
育児や介護のリスクがある人を雇わない・・極端にいうとそういう考え方です。
それなのに、制度だけ変えて
「夫の扶養に入っているなんて甘えている」というのは違うだろうと。
結婚すると、子供が出来ると、両者の親が老いてくると、誰かが世話をしなくては
ならないし、休むリスクも高いです。
有資格者で公務員という恵まれた人なら「権利」として休みを主張できるかもしれないけど
底辺にいる庶民はただただ時間を削って働いて倹約するしかない。
なのに45歳くらいになって「今、社保と厚生年金に入れば後々自分が手にする
年金が増えるよ。年間で1万1千円。81歳で元がとれる。すごくいいじゃない?」
ってNHKが言うわけで。
まして、厚生省は今後、要介護1とか2の人の世話を委託される人の給料を下げると
言ってます。
今まで受けることができた介護サービスが受けられなくなり、結果的に家族が面倒を見る。
夫婦で休みを折半すればいいと左翼の方はおっしゃるが、そんな都合のいい話を
企業が承知する筈がなく。「だったらどっちか辞めればいいじゃないか」になる。
現実に私の職場でも社保に入っても入らなくても手取りが減り、50代になって
必死に転職先を探す人もいるのです。
でも50代の女性にとっては、子育て中だったり、夫婦の親の介護があったりで
フルタイムは無理だし、体力的にきついし・・・どうしたらいいのかわからないというのが
現実なんですよ。
さらに「配偶者控除」のせいで女性が働きにくくなっているとNHKは言いますが
それは違います。
いわゆる「専業主婦」という立場を評価していない人こそが「配偶者控除」なんかいらないと
いうのでは?
全ての女性が有資格でフルタイムで働くようになったらどうなるんでしょう?
世の中がよくなると思いますか?私は思いませんが。
「私は配偶者控除に守られなくていいからフルタイムで働きたい」というなら
扶養を抜けて国保に入ればいいですよ。
でも、わずかな配偶者控除のお蔭でなんとか、数時間のパートでも家庭が成り立っている
家族が日本中にあるんだという事をわかってほしいです。
どんなに夫と戦っても夫の後ろにいる企業には勝てませんし、今後、
非正規雇用同士の婚姻や出産が増えていくだろう時代、配偶者控除は
奥様の証になるかもしれませんけどね。
というか。
実はまた人が増えまして。
どうも国では「マイナンバー制度」に関して人を雇うのに補助金を出しているんですね。
それで人が増えるのはいいんですが、「15年ぶりの社会復帰」みたいな人ばかりで。
確かに女性のM字型の働き方っていうのは問題だと思います。
15年前とはパソコンの使い方も違うし、要求される事も違う。
自分の記憶力の低下にひたすら驚いて、だからって努力するわけでもなく
「私には合わない」と言えるって事がそもそも変なわけだし。
子持ちの私でも、あまりにも「子供がーー」って言われるとひきますし。
お留守番が心配、塾の送り迎えが、お弁当が、バザーが、授業参観が
テストが、受験勉強が、保護者会が・・・・だったらもう働かない方がいいんじゃない?
心で思っても絶対言えませんが。
2,3年やそこらならまだしも10年以上間をあけるのは確かに。
でも世の中には営業とかシフト制とか子持ちには無理な仕事が多いから。
そこらへんも少し考えてほしいです。
さて。本題の寂聴さん。
死刑制度反対の日弁連が福井市で行ったシンポジウムで
ビデオメッセ―ジを寄せた瀬戸内寂聴さんが
「人間が人間の罪を決めることは難しい。日
本が(死刑制度を)まだ続けていることは恥ずかしい」
「人間が人間を殺すことは一番野蛮なこと。みなさん頑張って
『殺さない』ってことを
大きな声で唱えてください。そして、殺したがるばかどもと戦ってください」
と発言。
これが犯罪被害者の会の人達の心を大きく傷つけてしまいました。
そして日弁連は寂聴さんの代わりに謝罪。
「死刑制度を含む国家の殺人のことであり、犯罪被害者へ向けられたものではないと考えている」
「「『ばかども』という表現は確かに強いと感じたが、瀬戸内さんの思い切りよい持ち味でもあり、使うことになった」
でも私は「ばかども」という言葉が問題ではないと思います。
むしろ「殺したがる」が問題なのでは。
「殺したがるばかども」という言葉はそれこそ犯罪者本人に言うべきセリフですよね。
「人間が人間を殺すことは一番野蛮なこと。みなさん頑張って
『殺さない』ってことを
大きな声で唱えてください。そして、殺したがるばかどもと戦ってください」
加害者に向けるべき言葉を被害者に向けてどうするんでしょうか?
「許す」というのはかっこいいですよ。綺麗だし。殉教者の気分です。
今の世の中、やったもん勝ちで真面目に生きている人がいい目をみないから
せいぜい「加害者に死を与える」事しか出来ないから、ある制度ではないのでしょうか。
殺された人が生き返ったり、起こった事が全部記憶から消えて人生をリセットできるような
世の中になったら死刑制度はいらないでしょうね。