天皇陛下 83歳のお誕生日おめでとうございます
記者会見抜粋 (全文は・・・・)
12月20日。お風邪にも拘わらずありがとうございました。
1年を振り返って
今年1年を振り返ると,まず挙げられるのが,1月末,国交正常化60周年に当たり,皇后と共にフィリピンを訪問したことです。
アキノ大統領の心のこもった接遇を受け,また,訪れた各地でフィリピン国民から温かく迎えられました。私が昭和天皇の名代として,初めてフィリピンを訪問してから,54年近くの歳月が経(た)っていました。この前回の訪問の折には,まだ,対日感情が厳しい状況にあると聞いていましたが,空港に到着した私どもを,タラップの下で当時のマカパガル大統領夫妻が笑顔で迎えてくださったことが,懐かしく思い出されました。
ここでどうも「ご老人特有の症状」を出された陛下でしたね。そこまでしてフィリピンに行く必要があったのか?と思った日々でした。
両国の今日の友好関係は,先の大戦で命を落とした多くのフィリピン人,日本人の犠牲の上に,長い年月を経て築かれてきました。こ
の度の訪問において,こうした戦没者の霊の鎮まるそれぞれの場を訪ね,冥福を祈る機会を得たことは,有り難いことでした。また,戦後長く苦難の日々を送ってきた日系2世の人たちに会う機会を得たことも,私どもにとり非常に感慨深いことでした。
陛下にとっては「先の大戦」が昨日の事のように感じるのはわかる。わかるけれども、当時は子供でいらしたのだから本当の事は「思い込み」で刷り込まれているんじゃないか?と思う今日この頃。
それにどうみても相手国やアメリカ人の犠牲者の方を悼んでいるようにしか見えなかった。これが日本の元首たる天皇の思いなんだなあと。
東日本大震災が発生してから5年を超えました。3月には,福島県,宮城県の被災地,そして9月には岩手県の被災地を訪問し,復興へ向けた努力の歩みとともに未(いま)だ困難な状況が残されている実情を見ました。
その中で岩手県大槌町では,19年前に滞在した宿に泊まりましたが,当時,はまぎくの花を見ながら歩いたすぐ前の海岸が,地震で海面下に沈んで消えてしまっていることを知り,自然の力の大きさ,怖さをしみじみと思いました
「はまぎく」の花のあたりから皇后陛下の文章ではないかと思ってしまい。男性って花に興味はあまりないものでしょう?象徴的な「はまぎく」を持ち出すあたりがなんとも。
8月には,天皇としての自らの歩みを振り返り,この先の在り方,務めについて,ここ数年考えてきたことを内閣とも相談しながら表明しました。多くの人々が耳を傾け,各々の立場で親身に考えてくれていることに,深く感謝しています。
え?内閣と相談?・・・・・絶句。
なのにどうしてこんなにもめているのかって。
10月中旬にタイのプミポン国王陛下が崩御になりました。昭和38年に国賓として訪日された時に初めてお目に掛かり,その翌年に,昭和天皇の名代として,皇后と共にタイを訪問し,国王王妃両陛下に温かく迎えていただき,チェンマイなど,タイの地方にも御案内いただきました。即位60周年のお祝いに参列したことを始め,親しく交流を重ねてきた日々のことが,懐かしく思い出されます。
10月下旬には,三笠宮崇仁親王が薨去(こうきよ)になりました。今年の一般参賀の時には,手を振って人々に応えていらしたことが思い起こされます。戦争を経験された皇族であり,そのお話を伺えたことは意義深いことでした。
三笠宮殿下についてはさらり。タイのプミポン国王についてはじっくり・・・みたいに見えます。プミポン国王が終生「王」であった事に関してはどう思われているのでしょうか。
11月中旬には,私的旅行として長野県阿智村に行き,満蒙開拓平和記念館を訪れました。記念館では,旧満州から引き揚げてきた人たちから話を聞き,満蒙開拓に携わった人々の,厳しい経験への理解を深めることができました。
「私的旅行」って言葉がまかり通る皇室はどうしたものかと思います。
満蒙開拓団には並々ならぬ「心を寄せ」を感じますけれども、樺太の方は?といつも思ってしまいます。戦争の犠牲者になったのは沖縄や満州だけじゃないのに。
また,その際訪れた飯田市では,昭和22年の大火で,市の中心部のほぼ3分の2が焼失しています。その復興に当たり,延焼を防ぐよう区画整理をし,広い防火帯道路を造り,その道路には復興のシンボルとして,当時の中学生がりんごの木を植えた話を聞きました。昭和20年代という戦後間もないその時期に,災害復興を機に,前より更に良いものを作るという,近年で言う「ビルド・バック・ベター」が既に実行されていたことを知りました。
全体的に皇后のお作なのかなあと。
いやーーあの8月の「お気持ち表明」が内閣と相談してやった・・っていうのはびっくり。
でもこれは解釈の仕方の問題でしょうか。
「退位の意志を固めたと言ったら内閣が「じゃあ、テレビで発表して下さい」って言った」みたいな感じ?
まるで内閣の指示でお気持ちを表明したかのようにおっしゃる事が不思議です。
ご家族に全く触れないのも・・・・愛子内親王の事、心配じゃないのかしら。
ご体調が悪いにも関わらず、公務は減らさず「退位」を迫る・・・という矛盾を抱えた天皇陛下です。
イギリスのエリザベス女王夫妻は共に「重い風邪」をひかれ、静養をとりやめました。
その直前に公務を大幅に削減し他の王族に譲ると。
女王がとどまるのは自分が「スポンサー」になっているもののみになるようです。
どうしてこういうスマートな公務の委譲が日本では出来ないのでしょうか。
もし本当に皇太子に譲位したいのなら、さっさとすべてを譲り渡してしまえばいいわけで。
回りが必死に「公務を譲られては」と言っているのに頑固に聞かないでそのくせ
「退位」を要求するというのはやっぱりおかしいですよ。
両陛下の在り方が「民主主義時代の天皇制である」と考えるのが一般的ではありますが、今後の天皇がみな陛下のようにやったら皇室は潰れます。
今こそ真逆をやらないといけない時代なのではないでしょうか?
日本の経済が上向きで見栄を張る時代であれば美智子妃がどんなに贅沢をしても、海外旅行をばんばんしても批判される事はなかった。私的旅行も静養も「華麗な日本の皇族」ですんだけれど、今は格差が激しくなり貧困問題も出ています。
日本人はお人好しで税金の使い道に鈍感ですが、皇族が3憶の内廷費を使って豪遊ばかりしていたら心の底では怒りを覚えるし、それは無視とか無関心という態度で現れます。
天皇・皇后・皇太子夫妻がそうであれば皇室は潰れるしかないと言っているようなもの。宮内庁職員といってもしょせんは公務員でイエスマンばかりですから、将来的に皇室が潰れようがどうでもいいという人ばかりでしょう。
そんな人達に踊らされて政府に要求を突き付ける天皇というのは怖いです。
平成になってから天災続き。そして今年は12月なのにやたら気温が高く南風が吹いて火災を起こしました。
天皇に出来る事は「祈る」事だけです。そして国民はしっかり祈って頂ければもう何ももうしませんって。
どうぞ日本中の神社に「国家安泰」の祈りをご指示下さい。そして国分寺には経典の奉納を。大仏作っても文句は言いません。
結果的に私達が皇室に求める事はそういう事なんだと思います。