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韓国史劇風小説「天皇の母」56 (フィクションだってさ)

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1990年6月。

マサコはオックスフォードから帰って来た。

留学生の中でただ一人修士論文を提出できないままだった。

「マスコミが私を追い回したから」という言い訳をヒサシはむなしく聞いた。

これは妃候補として大きな汚点になるのではないかと心配だったのだ。

当の本人は別に気にする風でもなく、外務省に戻るなりちらほらと男性の噂すら

聞こえてきた。

 

そんな6月29日。たいそう寒い日ではあったがこの日、アヤノミヤとカワシマキコ嬢の

結婚の儀が盛大に行われた。

かねてからの「キコちゃんブーム」に沸く日本では、マスコミがキコ嬢に密着し、

マサコなら多分癇癪を起こしていそうなくらいしつこく質問したり、追い掛け回したり

していたが、キコ嬢は常に笑顔で常に物腰が柔らかだった。

朝の5時にピンクのワンピースに同色の帽子を被り、家を出る。

「ありがとう存じました」という言葉が響き、母は涙ぐみ、父は笑顔で握手した。

赤坂御所ではアヤノミヤが笑顔一杯に車に乗り込んでいる。

天皇も皇后も皇太子もノリノミヤも満面の微笑み。

車の中から振り返って手を振るアヤノミヤは幸せ一杯の顔だった。

 

かつてショウダミチコが入内する時にはお古だった唐衣・裳や束帯が今回は

二人に合わせて新調された。

アヤノミヤは次男なので黒の束帯。

そしてキコ嬢は「萌黄」色の唐衣を身に着けた。

夏装束の萌黄は大層彼女に似合って、まるで平安時代から抜け出たように

輝いている。

背が高いアヤノミヤの束帯姿は現代版「光源氏」そのもので、そうならとりわけ

キコ嬢は「紫の上」という所か。

あまりにも十二単を普通に着こなしている姿をテレビで見たヒサシは心にざわめく

ものを感じずにはいられなかった。

あの衣装は本当に重い。

それなのに気負う風でもなくよろけるでもなく、絵巻のように歩く・・・・・

 

通常、皇族の結婚の儀には外国からの参列者はいない。

しかし、この日は特別にタイからシリントン王女が参列していた。

タイ王室と皇室は古くから仲がよかったが、とりわけアヤノミヤは生物の研究で

タイを訪れる事が多く、プミポン国王からは息子同様に扱われ、タイの国民もまた

アヤノミヤを皇太子と勘違いする程に親しんでいた。

シリントン王女は国王の次女で秀才で慈悲深い王女としてタイでは抜群の

人気を誇っている。

その王女が慣例を破って特別に

アヤノミヤの結婚の儀に参列した事の意義は大きかった。

しかし後にアヤノミヤの「親タイ」ぶりが陰謀に巻き込まれるとは

この時はまだ気づいていない。

 

短い「結婚の儀」が終わり、賢所から出てきたアヤノミヤに

与えられた宮号は「アキシノノミヤ」

秋篠寺から取ったという話。天皇・皇后のネーミングのうまさは

群を抜いている。発音といい漢字といい、あまりにも上品で筆頭宮家にふさわしい。

皇太子が「春宮(とうぐう)」と呼ばれていたなら、弟は「秋」なのだ。

つまり天皇の次男への期待度はかなり大きいと考えざるを得ない。

アキシノノミヤフミヒト親王殿下・キコ妃殿下がここに誕生した。

弱冠25歳と24歳の初々しくも鮮やかな宮家の誕生だった。

やがて二人は「朝見の儀」に向かう。

美しいローブ・デコルテに着替えたキコ妃は、そのスタイルのよさといい

センスといい申し分がなかった。

立ち居振る舞いも緊張の中に堂々としたものがあり、立派な妃殿下ぶり。

「アキシノノミヤ家の御栄えを祈ります」

天皇・皇后の瞳も輝いていた。

 

夕方には気温はぐっと冷えて、もうすぐ7月だというのに寒いくらいだった。

梅雨時の寒さなのか、後に宮家が直面する数々の困難を予感してなのか

この風の冷たさは異様だった。

デコルテにケープ状のコートを着てティアラを身に着けたキコ妃は

輝くばかりの美しさだった。

車は黒塗りで窓の中からのお手振りだったが、沿道には多くの人がつめかけ

「キコさまーー」という声をかけた。

微笑みつつ手を振る姿も立派な妃殿下ぶりだった。

その様子を見るヒサシはますます危機感を募らせた。

(たかが学習院の教授の娘と侮っていたら・・・これはとんだ食わせ者だ。

賢しいというか口元に広がる気の強さが気に入らない)

ヒサシとて自分の娘は可愛い。

しかし、その娘が学歴以外の点ではかなり欠点が多い事に気づいていた。

元々の性格なのか、他人とうまく会話が出来ず、人に誤解を与えてしまう。

勉強は出来ても決して賢いとはいえない。

マサコではなくレイコやセツコだったらもう少しうまく立ちまわれるだろうが

皇室にとって双子は忌むべきものだろう。

ゆえにここは、何が何でもマサコでないといけないのだ。

 

ロンドンで記者達に「私は関係ありません!」と暴言を吐いた事で、マサコの

マスコミ受けは相当悪くなっている。

金で片付けるしかないだろう。

それから友人も一人もいないらしい・・・それも田園調布フタバでの同級生に

声をかけねばなるまい。

今までは外国暮らしが長かったし、エガシラの両親とのおりあいの点もあって

都内の自宅に手を入れてはいなかったが、この際は新築しよう。

それから墓を作って、マサコにいい服を着せて「恵まれた家のキャリアウーマン」

を印象つける。さらに料理と育児が好きな「家庭的な娘」を作り出さなくては。

キコ妃に負けてはならぬ。

貧乏な大学教授の娘とオワダの娘は格が違うのだから。

夜、テレビに映った新居でのアキシノノミヤ夫妻を見てヒサシはちょっと安心した。

二人が入った新居はとても「宮邸」などというものではない平屋建ての古い建物。

何でも宮内庁の職員用宿舎なんだとか。

宮家だから使用人も少ないし、学生結婚だしという事で

甘やかさぬ為にこのような家になったといわれている。

そう・・どんなに若くて人気があってもしょせん次男は次男。

正真正銘の皇太子とは違う。

 

宮内庁には外務省から流れているのが数名いる。

まずそれを懐柔する。

その手始めが・・・・・・

 

数日後、雑誌に「宮内庁からクレーム」という記事が載った。

それは朝見の儀に臨む直前、宮の前髪を直す初々しいキコ妃の写真について

宮内庁が新聞社に対し「不敬」であると差し止めを命じたというのだ。

かつて先帝のネクタイを直す皇太后の写真もあった事だし、普通は問題になる

筈のない事だった。

周りがうらやむ程の仲良しぶりの写真に、見た人の多くは微笑ましさで

一杯になったろう。

しかし、「恐れ多くも宮様の髪に触る妃殿下」というのはあまりにもまずい・・・と

宮内庁は新聞社にクレームを出したのだった。

釈然としないマスコミ。

そしてそのクレームの矛先は「宮の髪を直す生意気な妃」という方向に向いた。

その「不敬な妃」を演出したのが同じ宮内庁の中の人間だったという事に

マスコミはまだ気づいていなかった。

いや、世間がまだ気づいていなかった。

しかし、陰謀はちゃくちゃくと進んでいた。

 

 


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