「お疲れ様ね」
女王は侍従長と女官長をプライベートルームに招くと、自ら進んで椅子をすすめた。
怖れおおい事に侍従長も女官長も遠慮しつつ、静かに席に着く。
すぐに熱い紅茶とお菓子が出て来た。
「ところで、本当に帰ったの?あの一家は」
突如、笑いながらずけずけと女王が言い出す。
「間違いございません。王室警護の警察官が見送りましたので、確かにお帰りになりました」
侍従長が速やかに答える。
女王はわざとらしくあたりを見回し、それから紅茶のカップを手にさらにほっとした様子で
「本当にご苦労様」と言った。
日本の皇太子一家が2週間近くもヘッド・アウデ・ローの城を占拠し(まさにこう言うのが一番正しいと女王は考えていた)あらんかぎりの好き放題をやり、皇太子一家づきの女官や侍従達が胃を壊す程だったという話はすでに耳に入っていた。
女王は本当に申し訳ないという風に頭を下げる。
「私はね、あそこまでひどいとは思わなかったのよ・・・国の為とはいいながら決していい関係とはいえない日本の皇族をもてなすにあたっては色々悩んだわ」
女王はヒサシにあれこれ脅された事については全く語ろうとはしない。
「でもね、心を病んでいるという皇太子妃には心底同情しましたからね。クラウスもそりゃあ悩んで。思い出すと今でもつらいものね」
侍従長も女官長も黙って聞いている。無論、プライベートルームとはいえ、壁に耳ありだから女王とておかしなことは言えないのだった。
「だけど、あの馬車庫で会った時には驚いたわ。あんなに大口あけて笑う人がうつ病だっていうのよ。騙されたと思ったわ
「確かに。国民も大いに驚いたのではないでしょうか。特にマスコミが一番驚いていました」
とはいえ、さすがにマスコミも「何かが変だ」とは書けなかった。
それは・・
「あの憎たらしい国際司法裁判所の所長のせいよ」女王は怒り心頭という顔をしたので、侍従長と女官長は思わず茶碗を取り落としそうになった。
あの顔、あの目、女王である私におどしをかけたあの男!
「とにかく、あの一家のここ2週間の動きを報告して頂戴」
侍従長はカップを置いて、書類に目を落とした。
「8月18日・・女王陛下と王太子殿下ご一家と馬車庫でマスコミ公開。この時、プリンセス・アイコがいきなり笑い出してびっくりされました」
「あら、あの子、笑わないの?」
「はい。プリンセス・アイコは笑わない事で有名ですが、突如・・・」
「それで」
「20日・・・プリンセス・アイコは城で女官達が見ているなか、ご夫妻で郊外へおでかけになりました。警備と費用の詳細はこちらに。レストランやカフェの貸し切り料金が半端じゃございません。
22日・・・王室所有地をドライブされました。
22日・・・動物園へ行く予定になっており、近くのレストランではバーベキューをする用意をしておりましたが、実際にはご一家はレストランはトイレのみ使用でございました。
23日・・・妃殿下のご両親が城にいらしてお食事を。ワイン蔵から贅沢なワインを数本取り出しました。それでもサービスが悪いと言われて泣いた女官が数名。いつまでも食事をおやめにならないので、日勤者が夜勤にずれ込んでしまいました。
24日・・・王太子ご一家と動物園へ行かれましたが、あまり楽しそうではありませんでした。特にマサコ妃殿下は退屈そのものでいらしたそうです。
25日・・・オワダ邸にプリンセス・アイコをお預けになって国際司法裁判所を見学し、女王陛下のご案内で」
「マウリッツ美術館に行ったのに15分で帰ったのよ。信じられる?本当に許せない。あの美術館を15分でよ。こっちの案内もろくろく聞かないで、気分が悪いとかなんとか。それなのに翌日はあの国際司法裁判所の所長たちと夜通し夕食会ですって?それでせっかく人が誘ったヨットクルーズをドタキャンしたっていうの?ああもう腹が立つ。こんなにバカにした態度があると思って?私は仮にもオランダの女王なのよ」
女王はよほど腹が立ったのか、つい立ち上がってうろうろと歩き出した。
「女王陛下、血圧が・・・」
女官長も立ち上がり、慌てて女官にお茶のおかわりを命じ、ついで軽い食事を出させる事にした。
「もうお帰りになったのですからどうぞ心を落ち着けて」
「あんな無礼は許さない。二度と付き合いたくないわ」
「そうは言っても、オランダにとって日本は大事な国でございます。特に皇太子家は我々と同じ思想を持つものでもありますから、後々は」
「アジアの小国のくせに・・・第二次世界大戦の恨みは今も残ってるわよ」
古い記憶を取りのけようと手を振ってみる。
「そういえば・・・あそこの次男坊殿下にはお子が生まれるのではなかった?}
「はい。もうすぐでございます」
「男の子だといいわね。あの国は女性の王を認めていないから」
女王は十字を切った。
「天の父なる神よ。善良なる弟君に男子を!」