やじうまワイドで寛仁殿下について
「皇族の中で唯一、女系天皇に反対されていた」という説明がなされ、思わず
怒りが・・・・確かに言葉に出して反対したのは寛仁殿下だけだったかもしれないけど
皇室全体として「男系主義」つまり「女系反対」であると確信しております
寛仁殿下はそれこそ「スポークスマン」としてお話されたのだから、これが皇室の総意
の筈と思います。
さて・・・亡くなられてから、寛仁殿下については沢山のお話が出てきました。
マスコミがかなり好意的に報道しているし、本当に庶民に親しまれた皇族だったのだと
思います。
人格否定発言後、東宮へ送った手紙は・・・・
皇太子の「人格否定発言」後、寛仁殿下が手紙を東宮に送ったけれど
無視された話はありました。あらためてその内容を見ると、全て正論だったなと。
これだけ一生懸命に手紙を書いてくれたのに、無視した皇太子ってどんな
了見の持ち主なのかと思わざるを得ません。
「ごく当たり前のことですよ。
私だったらこうするという解決策を1万3000字位の手紙に書いたのです。
例えば、よく言われるように、外国旅行に行きたかったとか、
お世継ぎのことばかり言われたとか、もしそんなことを
人格否定とおっしゃるのなら、私のほうから文句を言いに行きますね。
まずお世継ぎが大事で、国際親善は二の次でしょう。
それからもし本当に誹謗中傷があったなら、言った人のところにやはり
文句を言いに行きますよ。それが誰にもご相談がないんだから。
本来そのようなことは家庭内で処理すべき問題であって、
記者会見で言うべきことではないでしょう。
結局何が本当の理由か、いまだに分かっていない。答えの出てこないことを
皇族が言うべきでなくて、解決策は幾らでもあったはずなんです。
そのことをアドヴァイスしました。
他の皇族にそれを言いたくないとおっしゃるのなら、
ご両親ご兄弟ともあれだけ仲よくしていらっしゃるのだから、
家庭内で議論を繰り返されるべきです。
ただ、周りに聞くとご兄弟間で日常的に議論というものが無いらしいですね。
これはまずいと思います。
まずご夫婦をはじめ身内にご相談なり、それでも埒があかないなら、
私みたいにどこにでも人脈がある人間に相談していただければ、
幾らでも解決方法はあるわけです。
私にご相談があれば、人格を否定した人物を呼んで
「何てことをやったんだ、ばかやろう!」と言って、それで終わっていたはず。
そういうことを、何もなさってないですよね」
解決策を13000字(原稿用紙32・5枚)っていうのはすごい事です。
普通、そんな長い手紙、書けますか?本当に真剣なアドバイスだったと
思います。
殿下がおっしゃっている事は正論そのもの。それをつきつけられた皇太子は
反論出来なかったから無視したのでは?
っていうか、本当に「人格を否定した人物」がいたかどうかも怪しい。
この文を見る限り、寛仁殿下はそんな人はいなかったと見ている。という事は
両陛下をはじめ、皇族方も同じ気持ちだったのでは?
それなのに、皇太子の一人芝居にマスコミが賛意を示して事は大きくなり
正論がひっくり返ってしまったという感じがします。
「兄弟で議論がない」という気になる一文が。独身時代の皇太子と秋篠宮は
よく会話していたと思いますが、雅子妃入内と同時に疎遠になったんですね。
今や、「宮家を守る為」に貝になってる秋篠宮殿下。異常です。
アルコール依存症の原因は・・・
皇位継承問題
皇太子の人格否定発言
家庭内のこと
だそうです。ご本人は「皇室典範改正の話などが持ち上がり、心労と心痛が続き
「えいやーー」って飲んでしまった」とおっしゃってましたね。
寛仁殿下は「昭和時代」の方です。
昭和天皇と高松宮を尊敬していて、昭和流の皇室に馴染んでいたところ
代替わりで「平成流」に。
今上の数々の「改革」は皇族方には違和感があったのかもしれません
寛仁殿下ですらそうなら、常陸宮も三笠宮もどこかで「違和感」を感じていた
筈です。
あまりに「国民」側に近づき、同化しようとしているのではないかと・・危惧されて
いたのかも。
結果的にそれが東宮家を「日本一の金持ちセレブぶり家族」としてしまい、
その事に対して「沈黙」という形で見守るしかなかった皇族方。
両陛下にそのつもりがなかったとしても、「皇室内の和」より「信念」選び
孤独な戦いに身をおいている事になると思います
さらに皇族内で浮いた存在になった皇太子一家は今や国民からも浮いているし。
寛仁殿下が投げかけた波紋は大きかったんですね。
これで終わりらしい・・・・
ガンを発症してから16回もの手術をうけられた殿下。
昨年5月に再発した時は「もう手術は嫌だから緩和ケアにする」とおっしゃったが
医師の説得で手術を受けられた。
その後、放射線治療を行うにあたり、それに対しても随分と拒否反応を。
「先生は放射線をさかんに勧められるから、どうもこれでおれは終わりらしい」
とおっしゃったとか。
何ゆえに無理に手術を受けられたのか。
それは彬子女王の博士号取得や、国際シンポジウムへの参加やら・・・
とにかく女王殿下方が少しでも心安くお仕事できるように、とにかく元気に
ならなくてはいけない・・・の一念だったようです。
彬子女王が参加した国際シンポジウムの発表に関しても
「何があっても発表してくるように」と言われていたらしいので・・・まさにそれが
終わった直後、そして女王を待って静かに息を引き取られたのですね。
喪主は・・・・?
皇族が棺に入ることを「お舟入り」といいます。そして葬儀は「れん葬の儀」といいます。
1週間後をめどに葬儀は行われるのですが、果たして喪主は誰に?
庶民感覚でいうと妻である信子妃殿下ですが、現在病気でしかも麻生家に
戻っている状態。
と・・思ったら喪主は彬子女王殿下に。
これはご遺言でそうなったのかしら?
現在、彬子女王殿下は京都にお住まいですので、宮邸には次女の瑤子女王が
住み、信子妃殿下がご一緒されるかどうか・・・という事だと思います。
たったお二人の姉妹ではありますが、幸いにも麻生家という大きな後ろ盾が
ありますし、伯母・叔母の嫁ぎ先である近衛家や千家もサポートされるのでは
ないでしょうか?
外戚は害毒・・・と思い込んでいましたが、このように立派なお家が背後に
いれば女王殿下方も安心して公務に励む事が出来るのではないかと。
それにつけても・・・・庶民感覚で理解できない高円宮家の態度。
久子妃は4日から公務で外出中だったらしいですが、3女王は二人が学生で
一人は家事手伝い。いつでもお見舞いにかけつける事が出来たのではないかと。
しかも、彼女達より格上の皇族方がみなお見舞いされたわけですから
「順序」ががどうのとは言われなかった筈
承子女王は26歳でしょ?母君がいない時の宮家の采配くらい出来たでしょうに。
何となく高円宮家が三笠宮家から離れているように見えるのは私だけ?