やっぱり講演会をやるべきかなあと思います。
皇室についての理解や質問などに出来るだけ答える形で。
またお茶会なども楽しいよね
今までは一方的な講演会でしたけど、今後はぜひ「質疑応答形式」を取り入れたいです。
とはいえ・・・・
さて、通りすがりさんの
「教育勅語の中身に異論はないですが、明治天皇を現人神として「間違いを犯すはずがなかった」とおっしゃるのには全く同意できません。明治の世であっても天皇はただの人だったはずです。今と本質的に変わりません。
ですので、教育勅語を「間違いを犯すはずのない人の教訓」であるとしてありがたがるのはおかしいと思います」
というご意見についてですが、戦前は天皇は「現人神」という立ち位置だったんです。
神は間違わないのです。そうでしょ?
今の私達からすれば天皇も皇族もただ人ですが、戦前は心でそう思っても口に出してはいえなかった。
というか、天皇に対して「天皇様だって間違う事はあるさ」などとは考えもしなかった時代であた・・・・
という事が言いたかったのです。
蓼科さまの
「すみません。わからないので教えて下さい。和服ではどうしてNGなんでしょうか?
私、手描き友禅職人の娘なので、和服って大事にしたい気持ちがあるんですけど、こういう場にそぐわないわけを教えて下さいませ」
に関していうと、和服がダメとかそういう事ではなく、皇室では明治以来、正装は「洋装」なんです。
明治維新後、先進国に追いつく為に「洋装令」が出され、今に至っているのです。
じゃあ、その前はどうだったか?
それは袿袴姿でした。
私、最近、つくづく研究したいなと思っている事に「古代の皇族のキラキラネーム」(これは何度もブログで述べてきましたし、講演会でも話しています)があるのですが、今は「奈良時代から平安時代への服装の転換」についてです。
服装というのはどの国も自然に変わって行くもので、奈良時代までの朝廷はほぼ中国と同じ服装でした。
冠、かんざし、耳飾り、指輪、腕輪など装飾品もあったのですが、平安時代になると、とたんにそれらが消えていきなりあの十二単ですよ。この間に自然な変化がなかったのかしら・・・・と。
で、この十二単の簡略版が江戸末期まで続くわけですが、髪型にしても服装にしても、丈の長さなど以外、形としてはそんなに変わっていないんですよね。
奈良と平安。遷都しただけでいきなり服装も変わるものなのかなあと。
それはおいておいて。
だから皇室にとって、正装は洋装。でなければ袿袴姿なのです。
いわゆる「着物」というのは武家と庶民の服装で、髪型も勿論そうです。こういうところで皇室と徳川をきっちりわけていたともいえますね。
和宮が江戸に来た時、天璋院との間で様々なもめごとがありましたが、貴族文化と武家文化の違いだったのでしょう。(廊下を足袋をはいて歩くのが大奥風で裸足は女官風とか)
皇后陛下は皇室に入った時から、喪服を洋装ではなく着物にしていました。
ご結婚後すぐに照宮様が亡くなられた時も、回りが洋装なのに一人で黒い喪服。代替わりの時はさすがにその勇気がなかったのかもしれませんけど、現在はどこでも黒の喪服です。
しかし、他の皇族は洋装を貫いています。だから変なのです。
なぜ皇后だけがそうも伝統を無視して着物に拘るのか。
そこに着物への愛ではなく「袿袴や十二単を持っていないからって何よ」的な恨みを感じるんですね。
それは皇族出身の香淳皇后への対抗意識だったのではないかと私は思います。
無論、明治以降に創設された宮家の妃はみな武家出身者が多く、彼女達にとって洋装は公家とか武家とか言わない共通の正装で便利だったんじゃないかと思いますけど。
そういえば皇后陛下は着物道楽で「手書き友禅」がお好きですよね。
でも紋は何を使っているのか・・・・菊?正田家?白樺?