確かに中学ご卒業はめでたい。
愛子内親王殿下、おめでとうございます。出席日数が足りなくても試験を受けなくても痩せすぎてもご卒業できた事は素晴らしい事です。
そして高等科も進学が決定し、まさに「我が世の春」のような皇太子夫妻。
でも・・・まるで別人のような愛子内親王。
声も変わった?あんなに頭がはっきりしているなんて、薬は偉大だとしかいいようが。
まさに「偏差値75以上東大入学も夢じゃない」愛子様ですわ。
この雰囲気がどうしたって別人みたいで。思春期の女の子って変わるのね。
あんなにガリガリだったのにわずか数週間で元に戻るなんてすごすぎて。
こんな目だったっけ?まぶたがむくんでいるという噂だけど、それはまあ、点滴のせい?
「楽しい3年間でした」って本当に?だったら何であんなにやせたんでしょ。
どうしてお休みが多かったんでしょ。
屈託なくそういう事が言えちゃう事がもう不思議でしょうがない。
愛子様にはお母様達と同じ「二枚舌」というDNAが存在しているのかも。
な・・・なんだ?このおかあさま。
視線があっているぞ。可愛いわねーー本当に。将来、絶世の美女におなりか。
すごい。一人でお辞儀が出来て、東宮ご夫妻も大喜び。これで天皇になれるかも。
3年前と比べると
こんな漢字です。いつまでもお若い雅子妃ですわね・・・・
内親王って内反足だと思ってたけどO脚なのか?
しかもものすごい作文をご発表に。
「卒業をひかえた冬の朝、急ぎ足で学校の門をくぐり、ふと空を見上げた。雲一つない澄み渡った空がそこにあった。
家族に見守られ、毎日学校で学べること、友達が待っていてくれること…なんて幸せなのだろう。なんて平和なのだろう。
青い空を見て、そんなことを心の中でつぶやいた。
このように私の意識が大きく変わったのは、中三の五月に修学旅行で広島を訪れてからである。
原爆ドームを目の前にした私は、突然足が動かなくなった。
まるで、七十一年前の八月六日、その日その場に自分がいるように思えた。
ドーム型の鉄骨と外壁の一部だけが今も残っている原爆ドーム。
写真で見たことはあったが、ここまで悲惨な状態であることに衝撃を受けた。
平和記念資料館には、焼け焦げた姿で亡くなっている子供が抱えていたお弁当箱、熱線や放射能による人体への被害、後遺症など様々な展示があった。
これが実際に起きたことなのか、と私は目を疑った。
平常心で見ることはできなかった。
そして、何よりも、原爆が何十万人という人の命を奪ったことに、怒りと悲しみを覚えた。
命が助かっても、家族を失い、支えてくれる人も失い、生きていく希望も失い、人々はどのような気持ちで毎日を過ごしていたのだろうか。私には想像もつかなかった。
最初に七十一年前の八月六日に自分がいるように思えたのは、被害にあった人々の苦しみ、無念さが伝わってきたからに違いない。
これは、本当に原爆が落ちた場所を実際に見なければ感じることのできない貴重な体験であった。
その二週間後、アメリカのオバマ大統領も広島を訪問され、「共に、平和を広め、核兵器のない世界を追求する勇気を持とう」と説いた。
オバマ大統領は、自らの手で折った二羽の折り鶴に、その思いを込めて、平和記念資料館にそっと置いていかれたそうだ。
私たちも皆で折ってつなげた千羽鶴を手向けた。
私たちの千羽鶴の他、この地を訪れた多くの人々が捧げた千羽鶴、世界中から届けられた千羽鶴、沢山の折り鶴を見たときに、皆の思いは一つであることに改めて気づかされた。
平和記念公園の中で、ずっと燃え続けている「平和の灯」。
これには、核兵器が地球上から姿を消す日まで燃やし続けようという願いが込められている。
この灯は、平和のシンボルとして様々な行事で採火されている。
原爆死没者慰霊碑の前に立ったとき、平和の灯の向こうに原爆ドームが見えた。
間近で見た悲惨な原爆ドームとは違って、皆の深い願いや思いがアーチの中に包まれ、原爆ドームが守られているように思われた。
「平和とは何か」ということを考える原点がここにあった。
平和を願わない人はいない。だから、私たちは度々「平和」「平和」と口に出して言う。しかし、世界の平和の実現は容易ではない。今でも世界の各地で紛争に苦しむ人々が大勢いる。では、どうやって平和を実現したらよいのだろうか。
何気なく見た青い空。しかし、空が青いのは当たり前ではない。
毎日不自由なく生活ができること、争いごとなく安心して暮らせることも、当たり前だと思ってはいけない。なぜなら、戦時中の人々は、それが当たり前にできなかったのだから。
日常の生活の一つひとつ、他の人からの親切一つひとつに感謝し、他の人を思いやるところから「平和」は始まるのではないだろうか。
そして、唯一の被爆国に生まれた私たち日本人は、自分の目で見て、感じたことを世界に広く発信していく必要があると思う。
「平和」は、人任せにするのではなく、一人ひとりの思いや責任ある行動で築きあげていくものだから。
「平和」についてさらに考えを深めたいときには、また広島を訪れたい。
きっと答えの手がかりが何か見つかるだろう。そして、いつか、そう遠くない将来に、核兵器のない世の中が実現し、広島の「平和の灯」の灯が消されることを心から願っている。
めでたい卒業時に発表する作文が「原爆」の事。
何をそんなに平和平和とさえずるのか・・・・戦時中の人にそこまで思い入れなんて持てるはずないでしょう?それとも愛子内親王は想像力が異様に発達しているのか?
世界平和よりも日本の安泰を願って祈って欲しいものです。
ちょっと読んでて笑っていいのか・・・目が滑りすぎて。明らかに本人の文章ではありません。絶対に違います。6年生の時と同じことをまたもやっちゃった感じです。
ここまで生きている事に幸せを感じている女の子がなぜに拒食症になるのか?
なぜ激やせするのか?精神的にまいってしまったのは「世界的な紛争」のせいとか?
まるで小説家ですよね。
こうやって日本は騙され続ける。