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天皇は祭祀をしなくちゃいけないの?

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 はっきりいってエアコン28度は不快です。何で不快って言っちゃいけないの?

国家公務員は言ってはいけないの?だって暑いよ。クールビズでも頭が痛くなっちゃう。

竹田恒泰氏から言わせると「女性天皇も祭祀をやったけど月に1週間は祭祀が出来ない日があった」

との事です。

なので帛の十二単を明正天皇と後桜町天皇が着用したのは確かでしょう。

ただ袴に関しては「うっすらと紅をさす色」だそうですので、あのピンクはないよねと。

ただ、女帝の時は即位時の大嘗祭は行われず、また元旦の四方拝も出来なかったそうです。

その日に生理になるかどうか・・・という事よりその可能性があるから排除って事です。

 

何で天皇は祭祀をしなくちゃいけないか?

だって「天皇」は天照大神の子孫というのが建前であるからです。

神道は宗教ではなく、信条というか生き方、考え方です。

日本中にいるありとあらゆる神様がいて人間はその神様のご機嫌を損なわない様に生きなくてはならず、だから全てのものに感謝し、奉る。

中でも伊勢の天照大神を祀るのは天皇の役目で。

それもまあ建前というか、違う部族同士の争いをやめる為に「天皇」という神様に近い血筋の人を祀り上げてその人の下で政治を行う。

それが最も平和的な国家建設だったのでしょう。

だから天皇が祭祀をやらなくなったら、あるいは重要視しなくなったら存在意義はないのです。

今上の「直に国民に触れあってこその天皇」という考え方は祭祀を完璧にやってから言えることで

そっちが先では本末転倒、「順番が違うのではありませんか」という事になります。

でもまあ、天皇とはいえ人間ですから125代も続けば間違いをやらかす天皇もいましたよね。

教科書で長い間、悪役になっていた蘇我氏。

でも今は蘇我氏の国づくりは非常に先進的で見事であったと言われています。

その蘇我氏をあっさり滅ぼした中大兄皇子と中臣鎌足の「乙巳の変」は間違いだったのではないか?

それに続く、「白村江の戦い」もやっぱり間違いでしたよ。

 

壬申の乱も、本当はどっちが正しかったんだろうと思うし、自分の息子可愛さに大津の皇子を殺して不比等と組んだ持統天皇は嫌いですが、かつての天皇家が蘇我氏を後ろ盾に栄え、その次は藤原氏。

勿論、その裏では泣かされた天皇も多かったと思いますが。

幕末から近代にかけては薩摩と長州が後ろ盾。

明治天皇に出来た事は、せいぜい賊軍系の皇族を助けたり嫁に貰ったりする程度。

戦後、昭和天皇は天皇家の生き残りを図る為にキリスト教を受け入れたと思います。

つまり日本人にはなじみのない「個人主義」を受け入れてしまったんですね。

その結果、皇太子はヴァイニング夫人に洗脳され、キリスト教を後ろ盾にした正田家が入り込んでしまう。

聖書を読んでいた常陸宮をしかりつけた・・・という話が本当なら、建前ではアメリカナイズを受け入れても本音では違っていたという事ではないかと。

 

この事でもっとも可哀想な思いをしたのは香淳皇后ではなかったかと。

大望の男子を授かってほっとしたのも束の間。

いつの間にか父と息子の距離は空き、得体のしれない家柄の娘にぞっこん。

その娘はかつて香淳皇后がお暮しになっていた久邇宮邸を有する聖心女子大学出。

頭のよかった照宮が降嫁して買い物かごをぶら下げている時に美智子さんはゴージャスな西洋館に住み「新貴族」生活を謳歌。

我慢してはいらしたと思うけど、へんてこな新興宗教にハマってしまった気持ちは本当によくわかります。そして吹上御所に閉じ込められて幾星霜。

今、皇后は「皇太后」の称号を好まず、「上皇后」と呼ばせて東宮御所に住むんですって。

東宮家を支えているのは小和田家率いる「左翼」であり、反日です。

無論、正田家を支えたのもそうであるなら2代続けて天皇家の後ろ盾は「反日」という事になり、この後ろ盾を持たない宮家は滅ぶしかないのです。

 

かつて聖武天皇には安積親王という元気で丈夫で才たけた皇子がいらっしゃった。

母は縣犬養広刀自。光明皇后の母である縣犬養三千代と親戚同士。

なのに!ある日、突然「病死」して、皇位はあっさり阿部皇女へ。

孝謙天皇の異母姉である井上内親王は伊勢神宮祭主を務め、還俗後は白壁王と結婚。

そこから生まれた皇子は両親共に皇族であったのに、母と息子両方が呪詛の疑いをかけられて

餓死ですよ・・・・白壁王、つまり光仁天皇の後をついだのは山辺王。今上がおっしゃっていた

「高野新笠」の息子さん。

あの時代を生きていた人もやっぱり「こんな皇位継承はおかしいんじゃないの?」と思ったでしょう。

皇后が産んだ皇子が天皇になれないなんて。

そういう無理が通ってしまうのも全てにおいて「後ろ盾」のせいですよ。

井上内親王の母もまた縣犬養広刀自さん。でも藤原氏じゃないから・・・・

聖武天皇がわざわざ井上内親王と白壁王をめあわせたのは、「反藤原」の意思があったのではないかと言われているけど力がなかったですよね。

 

そういう聖武天皇の母は藤原宮子。でも当時、聖武天皇の父である文武天皇には蘇我系の妃がいて

親王も生まれていたのに、二人同時に廃妃ですよ・・・・

最も身分が低かった筈の宮子がトップに来たんだものね。

 

そういう常識外れは皇室の常なんでしょうか?

 

 


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