雨が上がってよかったーー
昨日はまー様のお茶会で笑いすぎてお腹が痛くなる程でした。
台風だったけど帰る頃には雨が上がっていて「さすがまー様」と・・・・
久しぶりに会うヅカファンとの語らいはとっても楽しかったです。
やっぱりずーーーっと延々とヅカ話できるっていいですよね。
姫ちゃんは目をぱちくりして「オトナのヅカ話」にびっくりしていたようですが、理想だけで宝塚が運営されているわけじゃないって事、肌でわかったかなあ。
私などは小さい頃にテレビで昭和の「ベルばら」を見てハマったくちで、でもその後は中断。1996年の天海祐希のさよなら公演「ミー&マイガール」で東京宝塚劇場デビューを果たし、今に至っているわけですが、私など本当のヅカファンからしたらまだまだ素人の部類。
やっぱり生まれた時から見ている人にはかなわないなと思います。
そんな私も夢輝のあのファンになってからは恐ろしく熱いファンになってしまったというか、「歌劇団は真にジェンヌの実力だけを評価すべき」と思っていました。
でも本拠地のおばさま達いわく「ふぶきさん、それは理想。私達は音楽学校に入った頃からトップになれる子となれない子がわかるの。そういう世界よ」って言われてががーーんとなった記憶があります。
おりしも80年代に登場した「宝塚歌劇は芸術の一つ」派の厳しい批評・論評する人達が消えていき、「何でもいいから好きな人が真ん中に立っていたら面白い」派が多数を占め始め、男役偏重主義に陥っていた90年代から2000年代前半。
新専科制度に伴う大幅な組替えや相次ぐ退団に本当に心を痛め・・ノイローゼになってしまうんじゃないかと思った事もあります。
昨日のヅカファンとの話でも
「やっぱり夢輝のあの退団は今も傷の一つだよね」というのは共通しています。
私はいまでも「ガラスの風景」と「バビロン」は途中までしか見る事が出来ません。完全にトラウマです。
あの星組大量退団とお金やコネのあるなしを見せつけられた公演は、なんかもう舞台芸術とか言ってる場合じゃないよっ宝塚ってあまりにひどい世界だ!と思いました。
それでも見続けているんだから歌劇団からしたら「都合のいいファン」だよね。
諦めと感覚の麻痺で以後、理不尽だなあと思う組替えなどにも姫ちゃんみたいに熱くなったり泣いたりはしません。
「そんなもんだよ。我が家にお金があったらいくらでもおばさまになるのにね」ってグチっておしまいです。
あの人もこの人も訳あっての出世、組替え、退団・・・本当に力があるのはチケットを1枚1枚自分で買っているファンの筈なのにね。
ひどい台風の中「それでもお茶会ってやるの?」という姫に
「震災があったって人が死んでも公演はやめない歌劇団だよ。台風くらいでお茶会もやめないでしょ」って言ってしまいました。
まー様の徳の高さで雨がやんでよかったーー
私が色々演出家に文句をつけていたら「じゃあ、演出家にどんどん手紙を書くんだよ」と言われ。え?そうなの?そんな事出来るの?なんて言ってしまい・・・
上田久美子レベルとは言わないけど、せめて小柳奈穂子レベルまで行かないと演出家としてどーよ・・と思います。
日本語が不自由で発達障害か?と思ってしまう木村信司とか、芝居の脚本の書き方を忘れているのか覚えてないのかわからない中村暁とか、10年経過しても成長せず自己満足に陥っている植田景子とか、段々レベルが落ちてる稲葉太地とか、どんな手で賞をとったんだ?と疑問符の原田諒とか、いい加減ちゃんとやれよ鈴木圭とか・・もはや「作・演出」と名前が出ただけで人が入らない決定版の谷正純・正塚晴彦とか。
ここらへんの人達は一度よその劇団でお仕事をしたらいいよと思います。
世の中には舞台の脚本を書きたくてでもその場がなくて苦しんでいる人が沢山いるんですよ。せっかく評価された脚本もお金がなくて上演出来ない人もいる。
なのに宝塚にいるっていうだけで小学生レベルの脚本まで上演して貰えるなんて甘えるのもいい加減にしろと言いたいです。
そもそも宝塚の芝居とは何か?とかショーとは何か?とかそこから入らないといけないレベルの演出家が多すぎるし、この人達は本当に脚本の書き方を学んだのか?という人も多すぎます。
盆やセリに銀橋まであるのを良い事にセットに頼り過ぎたり、どんな作品でも一定のチケットが売れる事は保証されているので、好き勝手やりすぎなんじゃないか?
こんな甘ったれた環境に演出家を置いておくのは、毎日苦労して精進しているジェンヌに失礼ですよ。全く。
友人いわく「ベルリン、わが愛?ああ・・邪馬台国の風を見た後なら何をみてもよく見える。でも印象に残ってない」そうで。
こんな感想あり?ですよねーー
まあ、結果的に久しぶりに会えば楽しいヅカ話から最後は怒り心頭になるまで語る。それがヅカファンなのでした。