宝塚ファンというのはとても優しいと思います。
どんな作品でも見てくれるし、駄作でも好きな人がいれば劇場に通う。
先日「神々の土地」を見ていたら隣りにいた方が熟睡していらして。
「ああ、毎日まー様の為に劇場に通っているんだなあ。でも暗いし重いし、飽きちゃったんだろうなあ」と思い、そっとしておいてあげたんですけど。
そういう人、多いです。
8800円も出して寝る為に劇場に通うファンがいる、それが宝塚です。
大金持ちのおばさまになればジェンヌ一人に大金をつぎ込んでトップにしようとする。
それもまた宝塚です。
地元愛に支えられた宝塚歌劇団ですが、今や沢山のしがらみに縛られて、思わぬ人事もあるようでやるせない・・・でも見てしまうのが宝塚です。
でも、そういうのに甘えてていいのか?
ジェンヌは毎日、一生懸命に努力しているのに脚本家がまともな脚本を書かず、ジェンヌに丸投げしていいのか?
「邪馬台国の風」を好きな人もいるから悪口は言わない・・・とか書いた方がいいますが、あの作品を本当に好きという人がいたら、それは見る側のレベルが低すぎるという事になりますよ。
小学生ですらこんな脚本は選ばないだろうと思う程に稚拙で、しかもそれを書いたのがベテランの座付き演出家であったという事が大問題なんです。
かつて児玉明子が散々「盗作じゃないの?」と言われて、ビデオが発売できなくなったり、ファンの間では色々噂になったりしていたのに「仮面の男」で大失態をやらかすまで雇い続けた歌劇団・・・「仮面の男」の演出家の異常さをファンに指摘されて、慌てて東京で変えるという愚かさ、もし何も言われなかったらそのまま上演してたのか?という程の愚を犯して、やっと自ら退団ですよ・・・
そういうレベルの演出家が今の宝塚にも一人や二人ではない、ファンはそのことをよく知っている。だから演出家によっては最初からチケットが売れない事があるという事に歌劇団はもっと真摯な態度をすべきです。
「どんなチケットでも売りやがれ」とばかりにカス作品のチケット程ファンクラブに丸投げして売らせ、劇場稼働率を目一杯にする、劇場で多くの人がごひいきさんが出てないシーンは目をつぶってるなんて関係ないや!的な態度はもうおやめなさいと言いたいです。
話題作になると途端にファンクラブ員でも見るのが困難になり、ましてや非会員には降りてこないし、見渡せば劇場中、どこかの団体さんばっかり、あるいは業界の人?普段は宝塚なんか見ないような男性ばかりが席を占め、本当のヅカファンを追い出す。
現在の歌劇団の課題は「平日の午後の部を何とかしたい」という事でやたら団体を入れるんですよね。本拠地ではさよなら公演なのに修学旅行生が・・・みたいな場面も多々あり、経営上仕方ない部分もあるかもしれないけど、それはきっちりと「本当のファン」つまりファンクラブ員と彼らが連れてくる新規のお客を大事にしてからの話なんじゃありませんか?
1900年代に入ってからの宝塚って「仮に座席が真っ赤でもチケットさえ売れていれば成功」と思っている節があります。
これはどういう事かというと、チケットをとにかく買い、入場する時に半分切って貰ったらそれで帰っても全然OKって話です。
その代わり、入場する前の段階で終わったら、次からはその人はチケットをとって貰えないという恐怖があるので、死んでも劇場のロビーまでは行け!それが嫌なら見てくれる人を探せ!って事になります。
そんなプレッシャーを与える舞台は他にはないよねーー
宝塚における演出家というのは、どんなにペーペーでもジェンヌからは「先生」と呼ばれ、立てなくてはならない存在になります。
かつて「聖なる星の奇蹟」という作品に出演する花總まりが、児玉明子が言ってる事が全然理解できないけど、理解しなくちゃと必死で・・みたいなことを言ってたと思うんですが、今思えば深刻なコミュニケーション障害を持つ児玉明子に向き合っていたという事になり、本当に気の毒でした。
パンフレットを読んでも児玉明子の文章はさっぱりわからないし、彼女が興味を抱く視点がどうにも宝塚じゃないよねーーとは思っていたんですけどね。
そうかと思えば、ショーの天才奇才の荻田浩一を劇団から追い出すという事をやっちまったのも宝塚歌劇団です。
彼が作った「パッサージュ」「バビロン」「タランテラ」「ソロモンの指輪」はどれも傑作ぞろい。ダンスが得意な人にはとことん躍らせ、歌える人にはばんばん歌わせる、
私などは最初に「パッサージュ」の「ガラスのかけら」のシーンを見て泣きました。ショーを見て泣くなんて初めてでした。
作った本人が辞めちゃった以上、再演も出来ないんだろうなと思うと悲しくて悔しくてしょうがありません。
今なら・・
「パッサージュ」「バビロン」→望海風斗
「ソロモンの指輪」→真風涼帆
で再演して欲しい。「タランテラ」だけは朝海ひかるの難易度Eのダンスが出来る人がいるとは思えないのでもはや再演不能かも。ありちゃんがいずれトップになったらお願いしたい。
話は逸れるけど、宝塚ファンの高齢化を歌劇団はどう見ているんでしょうか?
若い女性はみな「2.5次元ミュージカル」にはまり、あるいはジャニーズにはまり、どうしてそれが宝塚に流れてこないかというと、はっきり言って「チケット代が高い」事と見れるかどうかわからないものに期待はかけないという現代っ子の思想があるのでは?
2.5次元ミュージカルはみんな下手だけど一生懸命頑張ってる、私達が育てているという実感が強いのでしょう。作品もわかりやすし、身近なアイドルって感じ?
かつては宝塚もそうだったはずですが。
小林一三が掲げた「親子三代で見る事が出来る国民劇」の思想は「ベルばら」までは維持できたけど、現在は無理。大きすぎる箱を何とか埋める為にひたすら余裕のあるシニア世代に1公演をリピート観劇して貰わなくちゃいけなくなっている現実。
まあ、よその劇場からしたら「リピートしてくれるあんてありがたい」と思うかもしれないけど、ここには前述したとおり「駄作ほどリピートしなくちゃいけなくなる」現実があるので楽じゃないですよね。
じゃあ、安く沢山の観客を確保する為に千秋楽のライブビューイングを始めたぞ!と言われるかもしれないけど、これも一度は舞台で見てから見るなら意義もあるけど、最初からこれだけーーでは本当の意味で舞台のよさはわからないでしょう。
遠方でなかなか上京出来ないファンの為にはありがたい方法ではあるけど、これは本当にカメラマンの腕一つにかかってます。
これまた「かつて」の話ですが、スカイステージが始まった頃のそれぞれの舞台、東京公演の千秋楽映像があまりにひどいのでストレスがたまりまくりの頃がありました。
組子の顔がはっきり見えない、見せ場が切れてるなんて事も多々ありましたし。
つまり映像の中の宝塚はよくもわるくもカメラマン次第な所があり、これはジェンヌとしては不本意な部分もあるのではないかしら?と思います。
仕事ばかり増やされて健康面が心配なジェンヌも増えています。
思えば若いとはいえ、女性にあそこまでスケジュールぎっしりを強要するのはどうかと思うんですよね。役を膨らませていく時間もなく、自分を振り返る余裕もない。
未完成でもとにかく初日に間に合わせる・・という事が続く限り宝塚のレベルは上がらないでしょう。
昨今はまた座付き演出家の大変さも指摘されています。
一ヶ月で原稿用紙100枚の脚本を書いて、それを手直ししないままにスケジュールにのっとって舞台化される。
だから日本語の間違いもそのまま、余計なシーンもそのまま、結論が出ないまま演出に入ってしまう手軽さに付き合わされるジェンヌも観客も気の毒です。
歌劇団は「脚本を推敲する」部門を作り、きちんと起承転結が整った脚本を書けるように指導すべきです。