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Channel: ふぶきの部屋
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皇室ウイークリー

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ご日程

両陛下

12月22日・・・両陛下 → 新任外国大使夫妻とお茶

      天皇陛下 → 通常業務

      皇后陛下 → (「世界を変える美しい本 インド・タラブックスの挑戦」展鑑賞

12月23日・・・両陛下 → 天皇誕生日につき諸行事

             一般参賀

             宴会の儀

             茶会の儀

             愛子内親王・悠仁親王から祝賀

 

             お祝御膳

 

12月25日・・・天皇陛下 → 大正天皇例祭の儀

       両陛下 → タイ王女チュラポン殿下と昼餐

12月26日・・・両陛下 → 外務省より進講を受ける

       天皇陛下 → 通常業務

12月27日・・・両陛下 → 皇族・元皇族・親族と昼餐

12月28日・・・両陛下 → 侍従長・女官長らから挨拶を受ける

12月31日・・・天皇陛下 → 節折の儀

1月1日・・・天皇陛下 → 四方拝

       両陛下 → 新年祝賀の儀

             皇族方と会食

1月2日・・・両陛下 → 新年一般参賀(5回)

            皇太子夫妻・秋篠宮夫妻・眞子内親王と会食

1月3日・・・天皇陛下 → 元始祭の儀

1月4日・・・天皇陛下 → 奏事始の儀

      両陛下 → 御用始めのあいさつを受ける

            警視庁警衛課長等から新年祝賀

 

皇太子同妃両殿下

12月23日・・・皇太子殿下 → 天長祭の儀

       両殿下 → 天皇誕生日祝賀の儀,皇后陛下祝賀,お祝酒,宴会の儀,茶会の儀(皇太子妃は茶会は欠席)

              一般参賀・お祝御膳

      愛子内親王 → 祝賀

12月25日・・・皇太子殿下 → 大正天皇例祭の儀

12月27日・・・両殿下 → 午餐会

1月1日・・・皇太子殿下 → 歳旦祭の儀

      皇太子殿下 → 新年祝賀の儀・昼食

      皇太子妃殿下 → 皇族方への新年祝賀のみ

      愛子内親王 → 未成年皇族の新年祝賀

1月2日・・・両殿下 → 一般参賀(5回)

1月3日・・・皇太子殿下 → 元始祭の儀

 

秋篠宮家

1月1日・・・両殿下・眞子内親王 → 新年祝賀の儀

      悠仁親王 → 新年祝賀

1月2日・・・両殿下・眞子内親王 → 一般参賀

 

1月3日・・・両殿下・眞子内親王 → 元始祭の儀

 普通に「新年祝賀の儀」といっても15回くらいあるんですよ。

  その間、ずーーっと立っていなくちゃいけないんですが、雅子皇后は一生無理かもね。祭祀も年末年始は全部欠席でしょうし・・・義務がないから出なくていいってわけじゃないと思うんですけどね。

 皇太子一家の写真は衣装が違うだけでいつも同じアングル、同じお手ふり。まなこ輝いて、ほっぺがおもちのようで・・・めでたいですことね。

やっとBSプライムでやってた「美子皇后」みましたよ。

いやーーなんていうか、怒り心頭。NHKの考え方がよくわかりました。

どういう点が頭に来たのかというと

 昭憲皇太后を「はるここうごう」と呼んでいた事。当時は宮中の女官は「皇后さん」とお呼びになっていたし、庶民もまた「皇后陛下」ですよ。

 アカの新聞記者に取材させたこと。いきなり幸徳秋水だの、ラストは日露戦争に駆り出したのは皇后の仕業みたいに言い募って・・うそーー何?この印象操作と思いました。

 あのアカの新聞記者が偉そうに「日露戦争に勝ったからなんだというんだ。あんなの勝利のうちに入らない。その陰で泣いてる人達の気持ちを考えられないのか」と伊藤博文を責めていましたが、じゃあ、あの時、どうすりゃよかったというのか?

「人の命は地球より重いので」とかいって戦争をしていなかったら、あっさりロシアに占領されていたかもしれないんですよ。

戦争=悪 なのはわかるとして「自存自衛」の戦争も確かにあるんだという観点がアカにはない。国がなくなろうが多くの奴隷が生まれようが命さえあればいいという考え方なんでしょうね。

そんな彼らに昭憲皇太后が批判されてしまうなんて、不敬もいい所です。

 坂本龍馬の夢を持ち出して「日露戦争」をためらっていた天皇の背中を押したと言われる事。

 どうみたってこれは作られた話だと思うけど、わざわざ持ち出して、しかも沢山の皇后の歌を例に「戦争の女神」扱いした事。

 皇后が始めた赤十字や養蚕について一言も触れなかった事。

昭憲皇太后は五摂家の一つ、一条家の側室腹に生まれた末っ子の娘です。

すえ君とか呼ばれていたのですが、ころころ名前が変わって、皇后になる時に明治天皇から「美子(はるこ)」という名前を貰いました。小さい頃からお兄様の学問をする姿を見て自分も沢山勉強し、お父様に褒められました。

お屋敷の庭には台が置いてあって、そこから庶民の生活を見ていたそうです。

父が亡くなり、兄が戦争で亡くなり、義母と二人、戦争を避けて逃げた事もありますが皇后になる頃には一条家はほぼ絶家。血の繋がりのない後継ぎで縁も切れた皇后は高倉女官だけが頼りのお姫様でした。

私が思うに、明治天皇とは気が合わなかったと思います。

 明治天皇 → 西洋嫌い。乗馬好き。明治宮殿はセントラルヒーティングで暖かい筈なのにそれをやめさせたり、電気を使わずろうそくにしたり、とにかく天邪鬼なイメージ。ただ大正天皇が病弱で死にかけた時だけは仕方なくベルツを呼んで西洋医学を受け入れたのですが。

  昭憲皇太后 → 新しいもの好きで洋装の前に袿にハイヒールなんて事もやってみたお茶目な方。女官に源氏名をつけて呼ぶ。

明治天皇の好みはいわゆる「女の子らしい」子だったんじゃないですかね?

大正天皇を産んだ柳原愛子は皇后と対立していた古参の女官が引き入れた人らしいです。高倉女官長の話ですので誇張が入っているかもしれませんが、女官長としては側室は慎重に決めたかったのに、いつの間にやら女官が妊娠していた・・みたいな事が多々あって、それを皇后に報告しても「そうか」と言うだけだったらしいです。

内親王を4人産んだ園祥子、いわゆる小菊の典持が一番天皇に可愛がられたと思われます。

じゃあ、二人の仲はどうだったのか?というと、夫婦というより「同士」でしょうかねえ・・・皇后としては年上の引け目もあったし、どうにも男女の色事がお好きではなかったようだし。今ならバリバリ独身のキャリアウーマンって所かなあ。

そんな皇后は側室が産んだ子供をとても可愛がります。可愛がるけどすぐに死んでしまう事が多く、そういう悲しみを思う度に逆に罪悪感を感じていたんじゃないでしょうか?

葉室光子や橋本夏子のように出産と同時に親子で亡くなったパターンが続いた為に柳原愛子などは出産間際はヒステリーを起こしたと言いますし。

一度も妊娠を経験しなかった皇后のみがその災厄から逃れていたのです。

そんな皇后が愛したものが蚕だったそうで、まるで自分の子供のように世話をしたらしい。紅葉山養蚕所は昭憲皇太后にとって「癒しの場」だったのではないでしょうか?

そういうものを歴代の皇后は受け継いで来た筈なんですが。雅子さん。

せめて・・・せめて赤十字の「昭憲皇太后基金」にくらい触れて欲しかったです。

本当にNHKってどこの国の放送局なのか?思想が真っ赤に染まっているなんて問題ではありませんか?そんな所に受信料を払うなんて出来ないよね。

 

でもこの番組で勉強になった事もあります。

 

 昭憲皇太后実録があること

 美子会というのがあること

 当時、西洋嫌いの天皇の意に反して洋装を始めた。その費用が莫大であった事で国歌的な意識がある事。

  つまり、展示してあるマント・ド・クールはいいとして、あのティアラは昭憲皇太后の並々ならぬ国家への意志を現した貴重な品の筈。

 それを・・・それを・・・売ったのか失くしたのかわからないけど、とにかく国民の目に触れさせないなんて平成の皇室は逆賊です。

 

 

 


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