ヒサシはイラついていた。
全てが順調にうまく言ってる筈だったのに・・外務省における機密費流用の捜査だって?誰の入れ知恵だ?どこの保守の奴だ?
すでに外務省はわが手にある。
戦前前の愛国心のある公平な外交官に治められた外務省ではない。
千五、ひそやかに息を吹き返したコミンテルンの残党が作り上げた日本の外務省。
チャイナスクール、ロシアスクール・・・そこで培うのは「愛国」などではない。
壮大な「社会主義」への扉を開く事なのだ。
戦争に負けた日本はプライドを失い、自らの存在に自信が持てなくなり、その結果、何が何だかわからない「平和」という言葉が独り歩きしてきた。
外務省に入省して来た時ら、国の為に使うべき機密費は外務省の利の為だけに使うものとなった。
何とわかりやすい日本民族か。
これは自分ひとりでやった事ではない。
「日本が過去に犯した過ちは絶対に消える事はない。ゆえに日本は永遠に
謝罪し続け、補償を行わなければならない。それが人間としての道だ」
そう言ったら、なぜかみんな賛同し、涙を流して感動し、社会党が元気になっていった。
日本は朝鮮にもそして中国だけでなく東南アジア、全ての国に対してひどい植民地政策を敷いたのだ。その罪は100年経過しようと消えない。
ヒサシが出した「日本ハンディキャップ論」は一部の保守派にはバッシングされたものの、仲間も増えていった。
そして外務省の中で得た権力の象徴は機密費なのだ。
「オワダ君」
呼び止められて振り返ると、フクダヤスオがにこやかな顔でこちらを見ていた。
彼の父親の秘書として活動した過去があり、ヒサシとヤスオは仲が良かった。
年下のくせに「オワダ君」などと呼ぶ、生意気な奴であるが仕方ない。
「何でしょう」
「あなたの所、娘さんが3人いたよね」
突然何の話だろうか?
「一番上の・・・」
「マサコですか?」
「ああそう。今、どうしているの?」
「アメリカにおります。ハーバードに」
「おお、それはご優秀な事だ。さすがにオワダ君の娘だね。ところで、そのマサコさん、
誰か決まった人はいるの?」
「・・・え?」
恋人とか婚約者とかいう話だろうか。
ヒサシはちょっと言葉に詰まった。
マサコ・・・本当にこの娘は・・・・
トラブルばかり起こすので日本の高校を中退させてアメリカに呼んだのはいいが
なかなか英語を覚えない。
元々社交的な性格ではないし自己主張するような娘ではないが、それではアメリカ社会ではやっていけない。
当然、孤立しがちになる。
それでも何とかハーバードに押し込んだ。
自分がハーバードの教授をしているコネを最大限に使ってラドクリフから編入させたのだ。
どんな入り方をしても卒業さえしてしまえば「ハーバード大卒」だ。
あの娘には学歴くらいしか誇れるものがない。
しかし、大学へ入っても聞こえてくる話はどこまでもネガティブ。
ボート部に入ったのに一度も練習に出ない。理由は「風邪を引いているから
湖の上にいたら熱を出す」
パーティに出れば壁の花。
それだけならまだしも、結局その場にいる事が出来ずに帰ってしまう。
成績も必ずしもいいとはいえない。そのくせ男遊びの方はかなりお盛んだ。
先日も「結婚したい人がいる」とかいい、男を連れてきたばかりだ。
卒業もしていないのに一体何を考えているのか。
無論、男とはその場で別れさせた。こちらが強気に出れば逆らう娘ではない。
だが、最終的にこの娘は一体何がとりえで何がいいのかさっぱりわからない。
出るところ出る所、何かと問題ばかり。
フクダはそんな状況は知るまい。
「決まった人はいないと思いますが」
「そう」
フクダハニヤリと笑った。何となく不気味である。
「マサコさんに絶好の縁談があるんだけど」
「え?」
「娘さんを皇太子妃にする気はないかい?」
「皇太子妃?あの・・皇太子妃は」
「いや、勿論次代の皇太子妃だよ」
「という事はヒロノミヤの?まさか。恐れ多いですな」
実際にはそんな事は露ほどとも思っていないが、礼儀としてそう返事をする。
それに皇室など、我々がもっとも潰したい存在ではないか。
ヤスオだってそれはわかっている筈だが、急に声を潜めて
「実は陛下もあまり具合がよろしくなくてね。今の皇太子殿下は思想が我々よりなのだよ。扱いやすいというか、生真面目というかね。もっともミチコさんは策略家で手ごわい姑になりそうだが、マサコさんの学歴をみたら飛びつくだろうよ」
「いや、しかしうちのマサコは不調法者で、皇室のしきりたりには」
「マサコさんが皇室に嫁げば機密費流用で糾弾されることはないよ。どうだい?」
「え?」
ヒサシは目を見開いた。
「それは・・・」
「信じない?だってマサコさんが皇室に入ってしまえば、まさか皇族の父親を逮捕するなんて出来るわけないじゃない」
そんな事出来るのだろうか?
「そりゃあ、機密費ごときでうろたえるようなオワダ君ではないと思っていますけどねえ」
「いや・・はは。一体何をおっしゃっているんだか」
ヒサシはカラカラに乾いた喉で絞り出すように言った。
「まあ、見てなさいよ」
ヤスオはにっこり笑いながら去って行った。
ヒサシの心臓は高鳴り、他に誰も見ていないかあたりをきょろきょろと伺った。
普段はそんな事をするような人間ではない。
けれど今は・・・突拍子もなく出て来た「ヒロノミヤの妃」という言葉。
マサコが・・あのマサコが皇族に?将来の皇后になるというのか?
次にヒサシはあたりも構わずに大声で笑い始めた。
何人か、「え?」というような表情で通り過ぎていったが、ヒサシは構わなかった。
なんと大層な大博打ではないか。
我がオワダ家から皇族が出る。将来の皇后が出る。
滑稽じゃないか。
どこよりも日本を憎む男の娘が日本一の伝統と格式を持った家に嫁ぐのだ。
戦争犯罪者ヒロヒトの孫と結婚、結構じゃないか。悪には悪がふさわしい。
それからしばらくしてのち、本当にマサコはお妃候補に挙がってしまった。