自分が本当にアメリカに来るまで、マサコは自分が人見知りで会話が下手で、さらにいうなら英語もあまりできないのだという事に全然気づいていなかった。
高校からアメリカに来たのだって、自分としては「留学」であり、国際的な視野を持つ為の、つまり将来、父と同じ外交官になる為の布石であると思っていたのだ。
でも、ハーバードに入って・・・ある日、唐突に自分が何者でもない事に気づいてしまった。
ひそやかに聞こえて来た「マサコはブレインだから」と陰で笑う人々の声。
「ブレイン?ブレインって頭がいいって事よね?」と最初はそう思おうとしたのだが、ふとみれば自分が会話しているのが同じ日本人ばかりで、いわゆる本当のアメリカ人ではない事にはっとし、そしていつの間にか独りぼっちになっている事に愕然とした時、「ブレイン」とは変わり者で偏屈で空気の読めない・・・そんな意味がある事に初めて気づいたのだった。
思えば小さい時から変な子だと思われていたのは事実。
学校にイモリを持って行った時だって、女の子たちは叫び声をあげて逃げて行ったし、男の子たちは自分を取り囲むように凝視していた。
あの時は自分が持っているイモリが羨ましいのだと思っていたけど、それって違ったの?高校でホスチアを盗んで食べた時だって、みんなきゃあきゃあ楽しそうだったじゃない?それって違ったの?
「お前は人と違う。人より恵まれた才能を持っている。早くそれを開花させろ」と散々父に言われ続けて、ただそお言葉を信じて今まで生きて来たつもり。
なぜなら母は妹達にかかりきりだったからだ。
まだ自分の心がよくわからないけれど、どこかで誰かに認めて欲しいと思って来たらしい。
という事は、今、私、誰にも認められていないのかしら?
いつも誰かと一緒にスイスにスキーに行ったり、あちこち観光して回っているというのに。
「アメリカで働く?」
大学卒業と同時に東大に学士入学が決まり、さらに外交官試験に受かった時、友人(とおぼしき人)に聞かれた。
「あなたって日本より外国が好きなんだものね?でもどうして外務省になんか?」
「根無し草になりたくないからよ」
「根無し草ねえ」
と彼女は笑ったけど、心の中では何を考えていたんだろう。
根無し草・・・
「あなた、自分が日本人だと思ってる?それともアメリカ人だと思ってる?」
「え?も・・もちろん・・・」
勿論・・・自分は何人なんだろう。
「わ・・私は国際人になるの。外務省でバリバリ仕事していつかどこかの国の大使になるのよ」
「まあ、お父様があれだけの実力者なんだからなれるんじゃない?」
「失礼な事言わないでよ。自分の力でなるもん」
マサコは思い切り言い返してふんと首を振ったが相手は全く動じなかった。
何だか悔しい。みんな自分をそんな風に見ているのだろうか?
自分の中にある小さなコンプレックスの芽に本人はまだ気づいていなかった。
そんな折も折、日本の写真週刊誌から取材の依頼があり、父は取材を受けろと言った。
マサコは知らない人間と話すのは大嫌いだったし、まして写真をバチバチ撮られるのも好きではなかったが
「ハーバード大出で東大に学士入学に決まっていながら外交官試験もパスした
スーパーキャリアウーマン。しかもお父様も外交官という超ハイソなお家柄の
お嬢さん」というコンセプトという事だったし、父の命令には逆らえそうにもない。
いやいやながらでも取材を受けると、意外と綺麗に写真を撮られて、それはそれは素晴らしい誉め言葉で一杯にされたので、マサコは驚くのと同時に震えるような快感をも味わってしまった。
写真週刊誌に写っている自分は、本当に頭が良くて綺麗で誰もが憧れる家柄と学歴と才能に満ち溢れた女性だ。
それが自分。オワダマサコなのだ。
しかし、その写真週刊誌の数ページ先にヒロノミヤも一緒に写っていた事を彼女は知らなかった。
いや、仮にそれを知っていたからと言って気にもしなかったろう。
それが父、ヒサシとフクダの策略でこの先起きるだろう逆転ゲームの始まりに過ぎない事も、彼女はまだ知らなかった。