それは9月18日のこと。
スペインからやってきたエレナ王女の歓迎レセプション。
その名簿の中に手書きで付け足された名前があった。
「オワダマサコ」
誰の手によって付け足されたのかは一目瞭然だが、とにかくこの日、マサコは父と共に王女のレセプションに登場したのだった。
華やかなシャンデリアに華やかなドレス。でもマサコはあえていかにもキャリアウーマンというスーツ姿で行った。
「いいか。こういう場所には選ばれないと来られないんだ。私に感謝しろよ」
父は鼻高々でシャンパンを飲むと、早速顔見知りを見つけて行ってしまった。
けれど、マサコはどうしたらいいのかわからずにぽつんと立っているしかない。
こういう場所で、こういう時、どうしたらいいんだろう。
わからないから金魚のフンのように父の後を追いかける。
少なくとも父の後ろに言えば「そちらはどなた?」と聞かれ「娘のマサコです」という会話が成立する。
「ほら、あそこに王女がいるぞ。声をかけたらどうなんだ」と促されたがマサコは全然興味がなかった。
ここにこうして立っているだけで精一杯で回りを見渡す余裕などない。
「全くお前は」と父がため息をついた時、「ああ、来たんですね」と親し気に声をかけてきた男がいた。よくテレビで見る政治家・・・っていうか、フクダ・・なんだっけ?
「間に合いましたか」
「ええ、何とか手書きでね」
「守備は上々ですな」
父たちが何の会話をしているのかわからなかったが、フクダはマサコを見るなり、品定めするように上から下まで見まわした。
「たいそう美しくなって。小さい時に会ってますよ。覚えている?」
「え?は・・はあ」
マサコがそう言いかけると父がすかさず「もちろん、覚えていますよ。そういえばいつぞやは家内に素晴らしい帯を頂いてありがとうございます」
「いやいや、うちの家内は着道楽でねえ」
マサコは男二人の会話についていけず、ただぼやーーっと立っている。
「ああ、今、ヒロノミヤ殿下が王女に挨拶している」
フクダが促し、マサコとヒサシはそちらをみた。
やけに小さい男で集団の中に埋もれてしまいそうな雰囲気だった。
「この人、誰だっけ?」マサコはどこかで見た事があるような気がしたが全然思い出せない。
王女と対等に握手しているという事は、皇族なのか?皇族といえば思い浮かぶのはミチコ妃殿下で、他は全然知らない。
「こっちもいきますよ」
フクダに先導されるようにしてヒサシとマサコは人の波をかき分けてヒロノミヤの方に近づいていく。
酒が入っているのか小さいヒロノミヤの頬は多少紅潮しており、細い目がより線のように見えた。けれど、そこから放たれるオーラというか、世界が違うという雰囲気だけはさすがのマサコにもわかった。
「ヒロノミヤ殿下」フクダが声を掛け、振り返る。側近が何やらヒロノミヤにささやくと、彼はにっこりと笑って頷いた。
「ごきげんよう」
ご・・・ごきげんようって・・・どこの言葉?
マサコは唖然として彼を見た。そっか、歴史の教科書に出てくる平安時代のお公家さんみたいだ、小さくてぽちゃっとしてる。
「今日は私の友人をご紹介しようと思って。こちら、外務省の事務次官であるオワダヒサシ氏とご令嬢のマサコさんです」
ヒロノミヤはマサコを見るなり言葉が一瞬でなくなったようだった。
「オワダです」
ヒサシは丁寧に頭を下げる。マサコもつられて頭を下げた。
「はじめまして。外務省にお勤めとは大変なお仕事をされているんですね。僕らもお世話になっているんでしょう」
ヒロノミヤ的には面白い事を言ったつもりだったが、誰も笑わなかった。
「こちらのマサコさんもこの度、女性初の外交官試験突破で親子二代で外交官を目指す超エリートなんですよ。何と言ってもハーバード大卒で、今は東大に学士入学をしているんです」
フクダは構わずマサコを前面に押しながらそう言った。
ヒロノミヤは驚いたように目をぱちぱちさせ
「女性なのに外交官になるんですか?ハーバード大?ご優秀なんですね」
と非常に興味を持ったようだった。
マサコは「はい。今は東大に学士入学していずれはオックスフォードに留学しようと思っているんです」
と言った。するとヒロノミヤはかなり興味をひかれたようで
「僕もオックスフォードのマートンカレッジにいたんですよ。イギリスは本当い楽しい国です」
「楽しい国ですか」
「ええ。あのように自由な時間はなかったと思って」
「皇族って大変なんですね」
とマサコが言った所でヒサシが「これからもマサコをよろしくお願いします」と遮る。恒としてはこれ以上、皇族の価値を知らないような言動はまずいと思ったのだった。
帰宅してからも父は「どうだった?ヒロノミヤ殿下は?」と聞いて来るが、マサコとしてはさしたる印象はなかった。
背が小さくて目が細くて・・・正直、男としては魅力的とは言えないし。何の関心もないんだ。
「なんだよ。せっかくヒロノミヤ殿下に合わせてやったのに。感謝くらいしろ」
父はさらに畳みかける。
「滅多に会える人じゃないんだぞ」
「ヒロノミヤ様ってお偉いの?」
やたらヒロノミヤに拘る父にマサコは何げなく聞いてみた。
すると、父は
「馬鹿かお前は。ヒロノミヤ殿下は近いうちに皇太子になり、将来天皇になる方だ」
「ふうん」
「マサコ、お前は将来、ヒロノミヤの妃になるんだ」
その言葉にマサコはいたくびっくりして振り返った。
「どうして?嫌だあ。あんな人。全然かっこよくないじゃないの」
「かっこいいとかそういう事はどうでもいいのだ。問題は彼が将来天皇になる人間だという事」
「天皇って私達とは関係ないじゃない」
「そんな事はない。天皇になればこの国で一番の権威を持つ事が出来る」
「権威・・・」
それでもマサコはピンとこなかった。
いつもは「あの戦争の責任は全て天皇にある」とかいってものすごく嫌っている父が何で「天皇家の権威」を口にするのだろうか。
「わからんか?思想なんぞどうでもいいのだよ。要するにこのオワダ家から将来の皇后が出ればいいんだ」
「私、戦犯の妻になるわけ?」
「バカな事いうな。今上にはその責任があり皇太子殿下もヒロノミヤもそういう罪を背負って生きる事に違いないがお前がそこに入る事で、そんな天皇家に鉄槌を下す事が出来るのだ」
父の言葉はさっぱりわからない。
「それにな。現在の皇太子夫妻はそれこそ年に何回も海外旅行をしている。それも公費でな。訪れる国では尊敬を持って迎えられ最上級のもてなしを受ける。なぜか?それは皇太子夫妻だからだ。衣装も作りたい放題、買い物だって出来る。どうだ?興味がわかないか?下手に外交官になるよりもっと偉くなるんだぞ」
その言葉にマサコは思わず顔を上げ「すごい」と言ってしまった。
それを父は「了解」と理解したのだった。