ご日程
両陛下
2月16日・・・皇后陛下 → 国立成育医療研究センターもみじの家訪問
天皇陛下 → 信任状奉呈式
通常業務
2月17日・・天皇陛下 → 祈念祭の儀
2月18日・・・両陛下 → 黒田清子祭主からあいさつをうける
2月19日・・・両陛下 → 勤労奉仕団に会釈
2月19日~22日・・・両陛下 → 葉山の御用邸滞在
皇太子同妃両殿下
2月17日・・・皇太子殿下 → 祈念祭の儀
2月19日・・・両殿下 → 外務省より進講を受ける
2月20日・・・皇太子殿下 → 勤労奉仕団に会釈
2月21日・・・皇太子殿下 → 誕生日記者会見
2月22日・・・皇太子殿下 → 離任大使に会う
勤労奉仕団団に会釈
秋篠宮家
2月16日・・・両殿下・眞子内親王 → 映画「一陽来復 Life Goes On」特別試写会鑑賞
2月18日・・・秋篠宮殿下 → 福岡県訪問
・恩賜財団済生会「平成29年度済生会総会」出席
・恩賜財団済生会「平成29年度済生会総会懇親会」出席
2月19日・・・秋篠宮殿下 → 会議出席
2月20日・・・秋篠宮殿下 → 研究会出席
2月21日・・・紀子妃殿下 → (「第22回結核予防関係婦人団体中央講習会」について説明を受ける
両殿下 → 外務省から進講を受ける
本当に愛子内親王の太り方ったらないです。
わずか1年前は
だもん。これに対してのコメントがない皇太子もへんです。
まるで別人みたいですよね。
それと
皇太子が皆既月食を撮影したものだそうで、当日は家族で観測したとか。だから天体望遠鏡を出しているわけですよね。
子供っぽいなあと思います。
日頃、公務で忙しいというならともかく、そんな事しかやることないのねと。
「アシガール」の中で、若君は滅多に怒らず、食べなくても全然お腹がすいたという顔もせず・・だから何で?ときかれると「父君にそう教わった。惣領というのはやせ我慢なのじゃ」と答えるシーンがありました。
まさにこれこそが「帝王学」であると私は考えます。
秋篠宮が「自分は皇太子となるような教育を受けてないから」と遠慮したのは、まさに遠慮そのもので、皇太子と秋篠宮の間で教育格差はないと思われます。
むしろ、昭和天皇から愛されていつも研究を手伝っていた秋篠宮にこそ帝王学は息づいているものと思います。
歴代の天皇の中で明治天皇は江戸時代から明治を生きぬき、皇室の在り方の変化を素早く読み取った人でありました。
それは妻の昭憲皇太后も同じで、まさに「時代に即した皇室とはいかにあるべきか」と考えたのです。
和装→洋装
軍服着用・ドレス着用
藩屏を作る為に天皇自らが国と折衝して宮家を増やす
日本の「顔」となる為に、国民に恥じない生活をする
という事でしたね。明治天皇も昭憲皇太后も決して贅沢を好まず、おかげで明治宮殿は寒くてしょうがなかったというし、「気合で耐えろ」てきなものもあったと言われます。
江戸時代までは将軍家に委ねられていた政治的な、そして象徴的な役割を担った明治天皇は戦争が始まると自ら基地へ向かい、寝食忘れて働きます。
しかし、体の弱い大正天皇にはそれらの「質実剛健」な天皇像は受け継がれず、むしろマイホーム的な部分が多々あったかと思います。
しかしながら、やっぱり国民の「目」というものはしっかり把握しており、決して期待外れな行動はするまいと思っていた筈です。
若くして摂政・そして天皇になった昭和天皇は「忍」の一文字。
でも家族にまでそれを強要はしなかった・・・・所に今上の甘さがあるんですよね。
悪いけど今上は昭和天皇を尊敬していないだろうし、戦犯の一人と思っているだろうし、学ぶべきことは何もない・・・だから「平成流」などという新しい形を作り上げたわけです。
上皇というものも、父が出来なかった事を自分がやってやる、やれる立場にいるんだーーくらいの優越感があるでしょう。ひっくり返せばコンプレックスなんですが。
そしてワーカホリックな天皇に育てられた皇太子はすっかり金持ちのボンボン状態になり、とりあえず性格的に「我慢する事は得意」だけど、家族にそれを求める事はしない。本当の愛情を知らないから甘やかす事しか出来ないのでしょうね。
秋篠宮の弁解なし姿勢はまさに「忍」の一文字で、それは眞子様にも受け継がれていると思います。その分、頑固なんでしょうけど。
21世紀の皇室はどうあるべきか、それを先読みした方が国民の支持をえられる天皇になるでしょう。