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なぜ私達は皇室を尊敬できなくなったのか 2

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 日本は「神様が隣りにいる」国?

作家のシンシアリー氏いわく「日本は神様が隣りにいる」国なんだそうです。

日本のように神道・仏教・キリスト教などが混在していても互いを否定しない国というのが珍しく、またどの神社へ行っても「神道に入りませんか」などと勧誘されないのも珍しくうつったようです。

そういえば私達は身近に「神様」がいるのが当たり前ですよね。我が家のジュニアは徹底的な無神論者は絶対に「神社に願掛けなんかしても無駄だ!」とお守りを受け取らなかった口ですが、そこまで意固地にならなくても、何となく正月や節目の時に神社を参拝すると気分がよくなったりしますね。

神道はシャーマニズムの変化版で、古代においてはどこの国にも存在したものではないでしょうか。

古事記を読めばわかりますが、日本の八百万の神様は性格が一人で2つも3つも持っていたりするし、残酷だったりわがままだったり様々。決して倫理上よい事ばかりしているわけじゃありません。

民はそんな神様のご機嫌をそこねないように、清め払って、自らの事ではなく「私達がいる世界がよく回るように」とお願いする。そして神は祟る存在ですから、それこそ祟られないように必死に祀るわけです。

「祟り」とはなんでしょうか。

それは祟られる側に負い目があった場合、何か悪い事が起きると「〇〇の祟りだ」と思って、祟る人を「神」として祀り上げるんですね。

有名どころでは物部氏・菅原道真など。

こういう考え方をする民族ってもしかしたら日本人だけじゃないのかなと。

それこそ中韓は祟りを恐れて骨まで焼き尽くし、墓まで滅ぼし一族郎党全て根絶やしにするという考えですから、日本人とは相いれるはずがありませんよね。

 「神」で繋がったヤマト。神を永遠に否定したシナと朝鮮

今から2000年以上も前のヤマトは「鉄」を巡って熾烈な争いをしていました。

北九州ルートを使って鉄を独占しようとした派、日本海側ルートを使って巻き返しをはかった派、そして奈良の纏向という所には様々な場所から人が集まり、交易をし、あるいは争っていたわけです。

朝鮮半島とほぼ陸続きだった事もあり、互いの言葉もそれほど不自由を感じず、行ったり来たりしていたでしょう。

やがて北九州派は破れ、伊勢神宮を境に東側が勝利をおさめ、争いをやめる為に「大王(おおきみ)」をたて、共に伊勢の神を祀り、大王は共通の神の象徴で不可侵の存在となり、実際の政治は大臣・大連と呼ばれる人達が行う「合議制」の中央集権制が出来上がりました。

勿論、その陰で滅んで言った人達もいます。例えば北へ北へと追いやられた蝦夷達や、無理やり国を譲らされた出雲の民など。

最近の考古学では奈良から遠く離れた関東以北においても大和朝廷と変わらない財力や武力を誇った人達がいたという事が証明されていますが、でも朝廷を滅ぼす程にはならなかったという事ですね。

その頃、朝鮮半島では同じ民族でありながら3つの国がそれぞれを「中国」(簡易的に使いますが実際には今の中国とは違うし、むしろ「シナ」なんですけど)を利用して互いを叩き潰そうとしていました。

シナは「皇帝」を頂いていましたが、司馬遷が提唱した「易姓革命」により、国は数百年で滅び、また天命を受けた皇帝が立つ・・の繰り返しでした。

朝鮮半島はその流れに巻き込まれ、あるいは利用し利用され、部族同士の争いはやまず、たまらずヤマトに逃げてくる人達もいた程でした。

私達がよく知る晋の始皇帝の生涯も、その後の隋も唐も成立するまでの殺し合いのすさまじさといったらありませんし、新羅・百済・高句麗などは周辺の少数部族を含めての殺し合いが本当にひどくて、それでもやめられないサイクルに陥っていたんですよね。

ヤマトにおいて「大王」は最初は武力を持って国を治める統治者であったかもしれませんが、やがて蘇我氏や物部氏が台頭すると「象徴的存在」になります。

つまり「由緒正しい神の子孫である血筋」がもっとも大事な存在になるのです。

その血統の外戚になる事が「権力の基盤」になり、蘇我氏や藤原氏などが娘を後宮にいれて自分の血が入った皇子を天皇にする事で後ろ盾になり、平和を保つ役割をしていました。

武家の時代になっても「天皇の血筋」への尊敬の念が誰かしらを動かし後ろ盾となる・・・それは今に至るまで変わっていません。

その代わり、時の権力者に嫌われたらいかに天皇といえど、皇族といえど生きてはいけません。

どんなに蘇我氏の血を引いていようとも好き勝手すれば崇峻天皇のように殺されるし、聖徳太子も誰よりも蘇我氏の血を濃く受けておきながら、その蘇我氏を疎んでしまった為に最後は一族が滅ぼされました。

また一時、足利尊氏と仲がよかった後醍醐天皇だって島流しになるし、後水尾天皇のように徳川に逆らうには譲位しかないと思い詰める場合もあります。

だから、今、安倍政権にそっぽ向かれている今上も本来なら島流しか幽閉ですけど、なぜそうならないのかというと、政府がそれほど「天皇」に興味がないことと、後ろ盾が左翼と呼ばれる野党である事が原因です。

本当はもっと時の政権に興味を持ってもらって、国益に叶った仕事をさせて貰えば天皇としての面目も立つし、国民からも尊敬されます。

ところが今上は最も自分達を守ってくれる筈の保守政権が大嫌いなのです。騙しとお世辞が得意で、うまい事云って将来は皇室廃止を目論む野党の方にシンパシーを感じているのです。

なぜって、それこそ耳触りのいい事ばかり云ってくれるからです。

 

話を戻して。

日本にはいたるところに神がいて、それを共に祀る事で結束を深め、神の子孫である大王をみんなで盛り立てる事で政治がうまく回っていました。

一方、神がいない挑戦とシナでは「儒教」がその代わりとなり、徹底的な上下関係と身分制度で民を縛り付ける事で平衡を保ったのです。

 


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