事は急がなければならなかった。
皇太子は期待し始めたし、あとはマサコ次第だ。
しかし、当のマサコは皇太子との結婚など考えてもいなかった。
しかし、かといって仕事に集中していたかといえばそうでもない。
実は彼女自身、北米2課で「生き辛さ」を感じ始めていた。
一応「オワダ氏の娘」という事でいじめられたり、迫害されたりという事は
なかったし、彼女自身、そういう事をひけらかす性格だったから
回りがびくびくと自分を取り巻くのは愉快だった。
でも、仕事となれば話が違う。
自分はもっと出来る。
自分は他の人とは違う。ハーバードを出て東大に学士入学し
外交官試験に一度でパスしたバリバリの女性キャリアウーマンなんだから。
そんな自負があるにも関わらず、回ってくるのは単純な事務作業ばかり。
それすら「ちょっと・・・」と注意されることがある。
こんな職場にいたのでは出世できない。
自分は「女性初の総理大臣」と思われているのに、外務省でのこの扱い。
なんと言う女性差別だろうか。
自分より学歴のない女の方が、男性職員からちやほやされて
「気が利くねえ」なんていわれているのを見ると猛烈に腹立たしくなってくる。
恋愛に関してもそうだ。
件の彼は妻と別れる気はないみたいだし・・・・・まだ入省して数年しか
たっていないのにもう行き詰まっている。
「マサコ、ちょっと話がある」
そんなある日、父に呼ばれて書斎に入った。
お茶を運んできた母は緊張している感じだった。
「なあに?」
「お前の今後の事だが」
「今後のことって」
「お前に皇太子妃になって欲しいのだ」
父の単刀直入の言葉はマサコの胸を貫いた。
皇太子妃って・・・あれは冗談じゃないの?マスコミの暴走じゃないの?
何でここで「皇太子妃」の話が?
「お前にその気があってもなくても、この話は進めたいと思う」
「どういう事なの?」
父のただならぬ雰囲気にマサコは怯えた。
「お前に日本で一番家柄のいい家に嫁ぎ、跡継ぎを産んで欲しい。
そうすれば我がオワダ家は天皇家の外戚となる。
そうすれば先祖代々、いわれなき迫害を受け「恨」を抱えていった同胞に
顔向けが出来る。
いいか。日本という国は明治維新後、間違ってばかりなのだ。
半島や中国を侵略し、虐待し、強制的に日本に連れてきた。
日本などという国はアジアにとって迷惑の種でしかない。
敗戦国のくせに散々富を享受し、偉そうに領土権まで主張している。
侵略の事実はなかったことにしたいし、強制連行も慰安婦問題も
なかったことにした国、それが日本だ。こんな卑怯な国があるだろうか。
その象徴が天皇家なのだ。
天皇はその昔「現人神」と呼ばれ、権力を握り、アジア侵略における指揮を
取った。それなのに敗戦後、死刑になる事もなく現在に至っている。
外務省の人間としてこんな恥ずかしい話はない。
だからこそ、私は「日本はそもそもハンディキャップを背負っているのだ。
ここは謙虚にアジアに対して謝り続けなければならない」と主張してきた。
しかし。
その主張は受け入れられるどころか、私を個人攻撃するくらいだ。
そして今、外務省の機密費の件で無実なのに告発されるかもしれない。
それを避ける為には、お前の結婚しかない。
どうか、私、いや、オワダ家の為に皇室にとついでくれ」
マサコは唖然として聞き入るばかりだった。
「まあちゃん。私は母親としてあなたをどんな家に嫁がせても大丈夫と
信じて育てて来たわ。結婚って言うのは相手次第。
どんなに相手がいい人でもこちらに気持ちが向いていなければ意味がないし
気持ちが向いていてもお金も財産もない人ではもっと意味がない。
皇太子殿下はどちらも持っている人だわ」
「でも私、外務省でキャリア官僚としてお父様の跡を継ぎたいのよ。
お父様だってそれを望んでいたんじゃないの?だから私、沢山勉強して
ハーバードまで行ったのに。あんな背が低くてかっこ悪い人と結婚しろ
なんてあんまりだわ」
「容姿はこの際関係ない。お前はいつまで子供みたいな事を言っている?
現実を見ろ。お前の実力でこの先外務官僚として上がっていけると
本気で思っているのか?」
「あなた、それはないんじゃないの」
「お前は黙っていなさい。私だってこんなことをいうのは嫌なのだ。
お前にキャリア官僚は向かん」
その一言にマサコは衝撃を受けて黙り込んだ。
知らず知らずに涙すら浮かんでくる。
今の一言は自分が今まで生きてきたこと全てに対する否定に思えた。
それをそんな大事な一言を、父は何であっさりと口にするのだろうか。
「私にキャリアは向かないって・・・・どうして」
「どうしてもだ。しかし皇太子妃なら出来る。なぜならみんなお前に
ひれ伏すからな。お前はそういうのが望みだろう」
「皇太子ってそんなに偉いの?天皇家って何?私には全然わからないもの。
それに、アジア侵略をしたような家になんで私が行かなくちゃいけないの」
「私のため。オワダのため。最終的にはお前の為」
「・・・・・」
「もし機密費の件で捕まったらお前は罪人の娘だぞ。それでもいいのか」
「・・・・・」
おろおろしているユミコは必死に慰めようとした。
「まあちゃん。皇太子というのは将来天皇になる人なの。天皇家は日本で一番
お金持ちで尊敬される家柄よ。将来、皇后になったらミチコ様のように
なれるわ。綺麗な服を着てどんどん外国に行って」
外国・・・・?
ぴきっとマサコの目線が揺れた。
そういえば帰国してから仕事が忙しくてあまり外国にいけない。
マサコの脳裏に、外国で話題の中心になっている自分の姿が浮かんだ。
でも、あの皇太子の横に立たなくてはならないなんて。
「どうだ」
今のままではただ外務省に勤めているという立場で終わってしまう。
心の底では自分を馬鹿にしている同僚や上司に一泡吹かせてやりたい。
皇太子妃になればみんな驚くし、跪くだろう。だって立場がちがうんだもの。
これはもしかして壮大な「しかえし」になるのではないか?
具体的に誰がどう自分を馬鹿にしているかなんてわからなかった。
でも、、鳴り物入りで入省した自分が取り立てられないのは嫌がらせにしか
感じられない。
考えてみると外務省というのは旧弊な場所なのだ。
男女差別も激しいんだろう。自分が皇太子妃になればそこに風穴をあけられる。
「わかったわ・・・お父様の言う通りに」
マサコはそう答えた。
自分を受け入れない場所に対して敵対心を持つのはマサコの癖だった。
勝手に理屈をつけて正当化するのも。
考えると父の「お前はキャリア官僚に向かない」という言葉は激しく彼女を
傷つけたが、そんな父に対しての最も大きな仕返しが皇太子妃になる
事ではないかと・・・・マサコは考えた。
そして娘の思考回路を読んでいた父は、その成り行きに一応満足した。
あとは・・・都市伝説だ。