例え、それが嘘だったとしても100回同じ事を言い続ければ
「真実」になると、ヒサシは信じていた。
大衆をコントロールする為には「噂」が必要。そしてそれを裏付けるさらに「噂」が。
ある時から秋篠宮家をめぐって一つの噂が流れ始めた。
「キコ様はアヤノミヤの子供を中絶している」
という噂だ。
「都内のとある病院の産婦人科に父親に付添われてキコさんが現われた。
「さるやんごとなき人の子供を身ごもったが産むわけにいかない」と
父親が説明をしていた。それゆえに堕胎した。あの顔は確かにキコ様だ」
よく考えれば「さるやんごとなき」などという言葉を使う筈はなく、いちいち
おなかの子供の説明などしなくても中絶は出来る筈だが、そこが都市伝説の
信憑性の証明のようなもので。
噂はあっという間に広がり、いつしかそれは「真実」になった。
同時期に今度は「アキシノノミヤにはタイに愛人がいて子供もいる」
という噂があった。
これは都市伝説ではなく、週刊誌に堂々と載ってしまった為、宮家としても
黙視するわけにいかず宮は「火のない所に煙が立った」とコメントした。
ほぼ同時期に出てきた二つの「噂」にアキシノノミヤケはどうしたらいいのか
さっぱりわからなくなった。
そもそも都市伝説に抗議など出来ない。いくら否定しようとしても
誰を対象に否定すればいいのか。
愛人説の方は宮が否定したにも関わらず、その噂は何度も何度も
週刊誌に取り上げられ、まるで確定事項のように書かれてしまう。
家庭の中では小さなマコ内親王を間に挟んで忙しい日々を過ごしている。
公務・子育て・大学院での勉強。この3足のわらじを履くのは非常にきつい。
宮は意外と短気な所があって、特に時間にうるさかった。
少しでも予定が狂えば側近に迷惑がかかると思うのだろう。
支度に手間取り、数分遅れても「その数分がどれだけ迷惑になるか」
とこんこんと言い聞かせられる。
のんびしとした性格のキコではあったが、意識を変えなくてはと思った。
宮邸には犬や鳥や爬虫類などの動物・生物の類が沢山飼われるように
なり、その世話の仕方も全部キコが覚えなくてはならなかった。
自分の研究に没頭し始めると回りが見えなくなる宮は、結婚して
安心したのかますます「家庭の事は全部任せたから」状態になってしまった。
週に一度参内し、天皇・皇后と共に食事をしているが、そこでは
「そういえばあの時のキコちゃんはね・・・」と皇后の「注意」が始まる。
小さな事でも覚えている皇后の記憶力には舌を巻くが、自分でも
忘れているような小さな失敗を注意されるのは辛かった。
「お辞儀の仕方が少し違っていたわ」
「あまり宮にべたべたしないようにね」
「言葉遣いでは・・・・」
そして最後は「私もあなたも民間出身。だからよほどしっかりしないと
回りからどんな事を言われるかわからない」といわれるのだ。
その「どんな事」の中に都市伝説やら愛人説が入っているのだろうか。
「堕胎説」に関してはとても言葉に出来そうになかったし、タイの愛人説に
ついては・・・・それこそ「息子を信じないのか」といわれそうで。
当事者である宮が「気にするな。無視しなさい。皇族とはそういう存在」
などと抽象的にしか言ってくれないし、食事会とはいえ公人である
皇后にどこまで何を言えばいいのかわからない。
出口のない穴に入ってしまったような気がした。
そんなある日の夕食会の時。
「お兄様は短気ですぐに怒るでしょう?お姉様、やりにくくない?」
口火を切ったのはノリノミヤだった。
「いえ・・そんな」
「私ならお兄様みたいな旦那様は嫌だわ。ものすごく亭主関白なんですもの」
「あら、サーヤはどんな旦那様がよろしいの?」
皇后がにっこり笑った。
「そうね。優しい人がよろしいわ。どんな時でも私の味方になってくれる方」
「アキシノノミヤはそうじゃないのかい?」
「いえ・・あの・・」
天皇の言葉にキコは言葉を濁した。
「何でもかんでも妻の言いなりになる夫がいいとは思えないけどね」
と宮が言い出した。
「僕がでんとしているからキコだって心おきなく家庭を守る事が出来るんじゃないか」
「そうなの?まあ、お兄様はおもてになるから裏では何をしているか」
「サーヤ」
皇后が注意をした。
「あんな根もはもない事を気にしてはいないわ。ねえ?キコちゃん」
「はい。も・・勿論」
「私だって本当にお兄様がタイに愛人がいるなんて話を信じているわけじゃ
なくてよ。でも、お姉様が何もおっしゃらないのをいい事にお兄様は
少しほったらかしになさっているのじゃないかしら?
そりゃあ、お兄様がタイの鶏研究に夢中なのはわかるわ。勉強なんだから
仕方ないと言われたら何も言い返せなくてよ。でも、私がお姉様だったら
きっと鶏と私とどっちを大事にするのかって言い出しそうな気がするわ」
「アーヤはキコをほったらかしにしているのかい」
天皇ちょっと真顔になった。
「そんな事ありません。なんだいサーヤは。言いがかりだろう」
「言いがかりじゃないわ。お姉様が痩せられたの、ご存知じゃないの?」
「え?痩せたの?」
「確かにサーヤの言う事は一理ある。女というのは男性からみたら
どうせもいいような事を気にするものです。私は幸い、そのような事はなかった
けれど。宮の噂は宮妃には辛いでしょう。きちんとお話しましたか?」
「言わなくてもキコはわかりますよ。だってキコですから」
「なかなか鈍感だったのだね。アーヤは」
天皇が口を挟んだ。
「キコは慣れない公務に加えてマコを大事に育てているし、宮家の采配も
大したものだと聞いている。そんなキコに甘えてばかりでいいのかね」
「僕、甘えているでしょうか」
「まあ・・夫婦のことだし」
と皇后は微笑んだ。
「でもどうなの?キコちゃん。本当は気にしているでしょう?」
「は・・はい・・あの・・・」
「馬鹿だなあ。何で気にするのかな」
「馬鹿じゃないわよ。お姉様はご立派よ。どなたにも愚痴一つこぼさず
頑張っていらっしゃるのに。でもお姉様、少しがつんとおっしゃった方が
よろしくてよ。タバコをやめなさいとかお酒を飲みすぎるなだけじゃなくて
浮気するなって」
「浮気なんてしてない」
「あの・・・」
キコはやっと言葉を声にした。
「私は宮様を信じています」
けれど、その瞳からぽろぽろ涙があふれでてしまい、キコはどうにも
ならなくなった。
「これはアーヤが悪いね」
「そうですわね。悪いのはアーヤですわね」
「わかりました。僕が悪いです。キコが痩せた事にも気づかず。笑っているから
てっきり気にしてないのかと。男としてはそういう噂を立てられるのも勲章の
一つくらいに考えていた部分もありますし。でも、はい。僕が悪いんです。
あらためて誓います。僕はキコだけです。彼女を一生大事にします」
「まあ、そこまでおっしゃらなくても。何だか嫉妬しちゃうわ」
ノリノミヤの言葉に全員が笑った。
キコもなきながら笑ってしまった。
「それにしても週刊誌は何を根拠にあんな記事を・・・・・」
天皇がつぶやいた。
これが小さな始まりであった事を、今はだれも気づかなかった。