宝塚の歴史を塗り替えた「エリザベート」
今の宝塚に親しんでいる人が80年代の作品を見ると、ひどく古く感じる事があります。メイクや衣装がちょっとダサい・・・とでもいいましょうか。
ごてごてした衣装に真っ青なアイシャドウが宝塚のイメージになって幾久しいです。
宝塚と言えば「ああ、あのメイク」と言われるくらい。
でも、1993年に星組で上演された「PARFUM DE PARIS」でメイクが変わったと言われています。その理由は衣装を担当したのが高田賢三だったので、その衣装に合わせる為にどんどん洗練されていったというわけです。
平成になると長らく封印されてきた「ベルサイユのばら」が雪組によって再演され、さらに天海祐希という大スターを輩出し一見、ノリにのっているように見えた宝塚ですがなかなか名作が出てこないんんですね。演出家の退団も目立つようになり、天海によって宝塚に「ナチュラル派」が現れると、正塚晴彦のような作品が好評を博したり。
すでに平成の「ベルばら」は時代に合わない事を歌劇団もわかっていたんでしょうね。さらに追い打ちをかけたのが宝塚歌劇団が阪急から離れて独立採算制をとらなくてはいけなくなり、そこに阪神大震災やら天海祐希、一路真輝らの退団も重なり、ちょっと沈みがちな雰囲気だったと思います。
「エリザベート」という作品は小池修一郎が一路真輝の退団公演の為に、本国オーストリアと密な交渉を行って、設定の変化やDVDの発売など画期的な成果をあげました。
今までの海外作品は上演されてもビデオ化されないし、設定もそのままでやらなくてはならなず、宝塚版として上演するにはなかなか難しい問題があったのです。
1992年にウイーンで初演、その時は主役は当然エリザベートでトートはちょっと脇役っぽい扱い。小池修一郎は楽曲が気に入ったのか、キッチュなどを自己の作品で使ったりしています。
ずっといつかやりたいと思っていたんでしょうね。
ウイーン側に
宝塚歌劇団の特性
主役は男役であらねばならないこと
直接的な表現は避けなくてはならないこと
一路真輝の退団公演であること
劇場の特殊性の説明による演出の変化
新曲提供
ビデオ化、楽曲使用の許可
これらを辛抱強く交渉に交渉を重ねて出来上がったのが雪組の「エリザベート」なのです。こんなに苦労したのにファンからは「さよなら公演なのに死神の役なんてひどい」って言われたとか・・・・
勿論、演じる雪組にも大きな課題が出来ました。
オペレッタ形式なので全編ほとんど歌
これは今までの宝塚にはない歴史で、一路真輝は勿論、もしもの時に2番手以降が全て役代わりですぐに代役出来るようにしていたというエピソードがあります。
本家本元のウイーンにとっても宝塚にとっても大きな賭けであったでしょう。
結果はご覧の通りで、「エリザベート」は舞台芸術の社会現象となり、大ヒット
その後、宝塚では星組で上演、さらにハンガリー、スウェーデン、オランダやドイツなどで上演され、ミヒャエル・クンツェとシルベスター・リーバイは世界的に有名になりました。
宝塚版での衣装を担当したのは有村淳で、彼女の作るドレスの素晴らしさは海外からも評価を受けましたし、「宝塚版」の演出が気に入られて海外で上演される事も。
ウイーンの融通性はブロードウエイミュージカルの頑なさに比べて宝塚にはとても似合っていたんでしょう。フレンチミュージカルである「ロミオとジュリエット」も大ヒットしたし。アメリカよりもヨーロッパが宝塚にはふさわしいのかも。
宝塚の座付き作家は27人もいる
現在、宝塚に籍を置く座付き作家は27人います。
大昔の事はわかりませんが、現在は大学の新卒を採用しているようですね。
植田紳爾によると、昔は「徒弟制度」があったという事ですが、現在は露骨な徒弟制度というのはないのかもしれません。
名前をずらっとあげてみると
・植田紳爾・柴田 侑宏・酒井澄夫・岡田啓二・草野旦・三木章雄・正塚晴彦・中村暁・小池修一郎・谷正純・石田昌也・木村信司・中村一徳・藤井大介・植田景子・藤井大介・斎藤吉正・大野拓史・鈴木圭・小柳奈穂子・稲葉太地・生田大和・原田諒・田渕大輔・上田久美子・野口幸作・樫畑亜以子・谷貴矢
名前を聞いて「あ、あの作品を書いた人だ」と言える人はコアなヅカファンですが大抵の人はそこまで考えてみてませんよね。知っててもどこにどう特徴があるか・・と問われても「正塚先生は「っていうか」というセリフが多い」とか、そんな感じ?
でも宝塚にとって座付き作家程大切なものはありません。
前回「どんな実力のあるスターでも演出家が引き立ててくれなければ出世しない」と書きましたが、座付き作家(宝塚では演出も兼ねます)とジェンヌの相性のよさが名作を生み、スターを生み出していくのです。
戦後すぐなどでは菊田一夫脚本とか、外部の人の本を使う事もありました。最近ですけど大石静の2011年「美しき生涯」2015年「カリスタの海に抱かれて」がありますが、本当に滅多にない事になりました。
原稿用紙100枚に起承転結をおさめ(期間は一ヶ月)それに音楽やうたをつける作業は本当に大変らしく、やりたがる人がいないとか。
また最近では宝塚歌劇団を辞めた作家もいます。
一人は荻田浩一でもう一人は児玉明子です。
荻田浩一・・・たぐいまれなるセンスを宝塚が嫌った
1997年、星組バウホール「夜明けの天使たち」でデビュー。この作品は最初湖月わたるで上演され、評判がよかった事から湖月が宙組に組替えの後、彩輝直主演で上演されました。
専門家からの評判も、そしてファンからの評判も高い作品で、互いの主役に合わせて作り変え、人の心の内面を描き出す天才でした。
1998年香寿たつき主演「凍てついた明日ーボニーとクライド」も好評を博して凰稀かなめで再演されています。心にずしっと来る作品で私は今でも最初から最後まで遠しで見る事は出来ないのですが、好き嫌いが分かれる作品ですね。
1999年、真琴つばさ主演の「螺旋のオルフェ」で大劇場デビュー。これは本当に専門家からの評価が高い作品だったのですが、大劇場版のビデオを見た時、さっぱり訳がわからず・・・東京公演を見てもうーん・・大劇場にはなかったラストシーンのセリフを聞いて初めて「ああ」と思った記憶が。つまり戦争で恋人を亡くし、でも自分は今も生きていることが彼女に申し訳ない?そんなストーリーだったかな。
彼を見直すきっかけになった作品が2001年の雪組「パッサージュ硝子の空の記憶」です。2回見て2回泣きました。ショーで泣くというのが初めての経験だったので自分でもびっくりです。
オープニングから華やかで好きですが、サーカスのシーン、そして何より朝海ひかるがガラスの精になって踊るシーンが最高でした。斉藤恒芳という作曲家、そして川崎悦子のこの世のものとは思えない振付が心を打ちます。このコンビはその後、荻田作品を支えます。
2002年星組の「バビロン」の幻想的でわくわくするような高揚感やゴージャス感は素晴らしかったです。
2005年花組「マラケシュ紅の墓標」は個人的にいい作品だったと思うのですが、やっぱり「わけがわからない」と思った人が多かったんじゃないでしょうか。
2006年雪組「タランテラ」は朝海ひかるのさよなら公演でしたが、音楽が全般的によかった事と、朝海のキャラに合った振付が功を奏したというか、クモをテーマにショーを作る人はそうそういないでしょうね。
朝海ひかると舞風りらはどちらもダンサーですから、思い切り難しい振付で挑んだ事が素晴らしかったですし、退団する朝海が銀橋から組子を見る・・という場面を初めて使ったのは荻田ではないかと。
2008年雪組の「ソロモンの指輪」で退団。たった30分のショーでしたが、荻田浩一の集大成でしたね。まるで幻の世界に迷い込んだみたいで目が釘付けになりました。
特に波のシーンが「パッサージュ」みたいで好きです。
児玉明子…疑惑だらけの脚本家に向かなかった人
軍隊でいうなら不名誉除隊ともいうべき理由で退団したのが児玉明子です。慶応大法学部卒。
1997年花組「ENDLESS LOVE」でバウホールデビュー。
でも専門家的には「意味がわからない」と評されました。次の「冬物語」もシェイクスピアを扱うというテーマだったんですが、今一つ。
2000年雪組「月夜歌聲(ツキヨノウタゴエ」は大好評だっけれど「覇王別記」の盗作じゃないかとネットで盛り上がりビデオ発売が見送られ、なかった事になってしまた作品。
2002年宙組「聖なる星の奇蹟」において花總まりは「先生が一生懸命に教えて下さるけどなかなか理解できない」と言ってます。早い話学歴は高かったけどコミュニケーション障害持ちじゃなかったのか?と。
2004年花組「天の鼓」はスカステで見ましたが、本当にめちゃくちゃな作品で、おいおい・・・って感じ。
2005年「龍星」のみがわりと好評ですが個人的には今一つ。この人、あて書きが出来ないのかなと。
大劇場デビューは2007年「シークレット・ハンター」
ですが記憶に残ってないです。その後、200年の「忘れ雪」
と
2011年「メイちゃんの執事」で根本的に舞台の作り方がわからないんだなあと思いました。
そして衝撃の2011年雪組「仮面の男」で、児玉本人の意図するところは「シルク・ドゥ・ソレイユ」だったようですが、ただただ「見てはいけないものをみせられた」ということで、大劇場分はDVD化されず、改訂された東京公演がDVD化されましたが、東京公演も本当にひどかった・・・それを歌劇団がそのまま上演する事を決定したわけで、歌劇団責任論まで起きてしまう始末。
可哀想なのはどんなひどい作品でもただただ素直に演じるしかないジェンヌさんで、よその舞台なら「こんな脚本では出来ない」と言えるのに、宝塚ではそれが言えない。だから駄作が積み上げられ、チェック機能がないまま上演されてしまうという事になるのです。
ジェンヌにとって1作1作に将来がかかっているようなもので、代表作になれば上に上がっていけるけど、そうでないと退団するしかなくなってしまう。
児玉明子はそういう意味で非常に罪作りな作家でした。
ほんと、どのポスターもすごくいいのに中身が伴わないなんてね。
それでも「ツッコミながら見る」楽しみはあるかもしれませんよ。