1988年に宝塚歌劇団に就職。
多分この人は同じ市に住んでいて年齢も近いからすれ違った事があるかも・・なんて思ってます。しかもめちゃ頭がよくてあの当時で一番の高校に入った・・と言えば真っ先に浮かぶのがあの高校で
でも、教室に入って参考書を箸でめくりながらお弁当を食べている人を見て「俺はここにいるべきじゃない」と思って休学。3年間引きこもりを続け、その間おばあちゃんが好きだったオペラのレコードばかり聞いていたそうです。
3年経ってお母さんが「そろそろいい加減にしてよ」というので早稲田を受けたら受かっちゃった。宝塚を受けたら受かっちゃった。という経歴の持ち主。
この人の鼻をさらに高くしたのが1993年にバウでデビューした「扉のこちら」入団して僅か4年でバウ・デビューしてさらにこれはロンドンにまで行っちゃった。
1995年月組「結末のかなた」1996年花組「HURRICANE」と立て続けに作品を発表するも、その後は留学?
私はこのどれも見てないので何も言えないんですけど、評判がよかったものってありますか?
1999年月組「十二夜」はその年は1年を通じてシェイクスピア作品をやる事になっており、木村が選んだのがこの作品。この作品の趣旨は元々が「ジェンダーの曖昧化」という事で男と女が入れ替わり、女と男を勘違いするという複雑なもので、だからヴァイオラが素直に娘役で可愛い花瀬みずかにさせた事が平凡すぎたのではないかと言われた記憶があります。覚えているのは夏河ゆらの「ほーらほーら」というセリフが絶妙に面白かった事くらい。
だけど、この後から木村信司の迷走が始まるというか、作劇の仕方を知らない、役者同士がセリフのキャッチボールをしていないなど欠点が目立つようになります。
2000年宙組「FREEDOM-ミスターカルメン」は「CROSSROAD」で路線に乗った樹里咲穂が一層の飛躍をする為にかなり重要な作品でした。それは二番手を務める夢輝のあにとっても同じでした。
「カルメンが男だったら」という発想自体は面白いものの、ストーリーもセリフもめちゃくちゃで見事に樹里の先行きを潰してくれたなーーと恨みが残るもの。
この時点で木村信司には才能がないと歌劇団が知ってくれたらいいのに、さらに2000年月組で「ゼンダ城の虜」を上演。
波に乗った彼はなんと2001年月組「愛のソナタ」で新東京宝塚劇場のこけら落としを飾ってしまったのでした。
はっきり言ってびっくりしましたね。この作品。セットも衣装も豪華だけど出演者のアドリブに頼る意外は何の価値もない超駄作。真琴つばさのさよなら公演だというのにドタバタコメディ、しかも版権がどうのでビデオ化されず今に至っています。もう二度と上演される事もないだろうし、目にする事もないんでしょうね。本当に腹立たしい。(そもそも大元の「薔薇の騎士」ってそんなに面白かったかしら?DVDまで買ってしまったよ・・・)
それでも木村信司は大物として位置付けられたんでしょう。2002年宙組「鳳凰伝」を発表。これは「トゥーランドット」の歌劇化したもので、花總まりのゴージャスな衣装と、舞台に池を作ってばしゃばしゃ濡れながら死ぬというシーンが売りでしたが、カラフのセリフげ変で変で・・・なんで主語と述語をきちんと並べる事が出来ないのか。
2003年花組「不滅の棘」これが大好きな人は多いと思うのですが、私的には原作を読んでもさっぱり意味がわからなかったし、なんで全員白の衣装なのかとか、彩吹真央をいつまで倒れたままにしとくんだよーー、死んだの?と思ったら生きてた、みたいな。出演者の処理が下手で下手で。
不必要な人をずっとその場に立たせるのも木村の悪いくせです。
そして木村信司最大の傑作(?)2003年「王家に捧ぐ歌」が登場するんです。
大元の「アイーダ」自体がきっと整合性がない作品なんだと思います。劇団四季の「アイーダ」を見た時も「ラダメスって自己中心的な男だし偽善者だな」と感じましたから。
それでも湖月わたるのお披露目公演だったし、コスチュームがよく似合っていたし、1幕ラスト、2幕ラストでは不覚にも泣いてしまったし、湖月自身がとてもこの作品を気に入って「終わらないとよかった」と言ってたくらいです。
木村作品というのはどういうわけか組子の士気を高めるらしく、多分その理由は主役以外のオーディエンスによる合唱が功を奏しているのかもしれません。
とはいえ、冷静に「王家に捧ぐ歌」を見ると、ラダメスの言ってる事ははちゃめちゃなんです。「エジプトが勝てばエチオピアは自由になる」って何で?ですよね。
同じ言葉の繰り返し・・「すごつよ」ソングとか。
「控えよ」「控えなさい」の連続
簡単に言い表せる言葉をわざと難しく、目的語を先に持ってくるからもっと日本語としておかしい。
それでも外部で安蘭けい主演で見た時はよっぽどましになってましたが。
2004年雪組の「スサノオ」これがまた本当にめちゃくちゃな作品で。何でそこまで政治色を入れる?北朝鮮の拉致を連想させたり、左翼なのか右翼なのかよくわからない解釈で、しょうがないから最後は歌って終わりましたみたいな。
ヤマタノオロチもあそこまで写実的にやる必要はなかったと思ってます。この作品は方々から批判が噴出しましたね。
2005年花組「ERNEST IN LOVE」は本当に面白かったけど、やっぱり日本語が変だよな・・と。「プロポーズ」は「言う」ものじゃなく「する」ものなんだよ。木村先生。月組版はビデオで見ましたが、断然花組の方が面白いです。
でもこの時、どういうわけか初日が開く前に木村が樹里に延々と説教して怒って落ち込ませた事件があり・・何を偉そうにいうんだよーーと思ってしまいました。
2005年宙組「炎にくちづけを」はこれまた大批判を浴びた問題作で。そもそも原作のオペラ「イル・トロヴァーレ」自体が残酷な話で、とても宝塚で上演するべきものではないという事はわかっていた筈なのに。見終わった後の後味の悪さったらありませんでした。和央ようかと花總まりの「一夜を過ごした」次の朝の花總のシーツ一枚の姿に生々しさがあって嫌でしたし。
2007年花組「明智小五郎の事件簿」ではまさかの愛し合った二人が兄と妹だったなんてーーという結末に茫然。♪ どうか僕とどうか結婚して下さい ♪って歌った後に。
2008年雪組「君を愛してる」はそれこそ全てのストーリーが「余計なお世話」で怒りまくってました。
2010年花組「虞美人」はこれまた目的語が先に来るてへんてこで難しいセリフの応酬で見てて疲れるというか。ただ2幕目ですかね・・項羽が劉邦に「それでも殺し続けるのか」とかと詰め寄ったシーンだけがよかったです。
2011年月組「バラの国の王子」は原作通りのストーリーだったんです。だからそもそも原作が矛盾してへんてこだった。だからディズニーはああいう風に変えた。何で元々矛盾だらけのものをそのままやる必要性があったのでしょう?
特に明日海りおらが演じた動物たちが仮面らしきものを持って踊りながらとか、龍真咲の演じた王子がこれまためちゃ嫌な奴で敵役とはいえひどすぎたとか・・見ててうんざりしました。
2012年雪組「ドン・カルロス」は机を叩きながら歌うシーンがあり、そこだけは面白みがあったものの、あとはやっぱりひたすら矛盾だらけでした。
2014年星組「太陽王・ル・ロワ・ソレイユ」もフレンチミュージカルの中でも駄作と思われる作品を、さらにセリフが「私は思う・・・を」ばっかりの羅列で、一緒にみてたうちの旦那ですら「ひどい。ひどすぎる」といった程。
でも木村信司の罪は名作「誰が為に鐘は鳴る」をめちゃくちゃにした事で最高潮なのではないかと思います。
名作なんだからそのままやりなさいよ。いや、やってくれ、やって欲しい・・と思っていたのに悠未ひろの♪朝がくれば夜になる♪と当たり前の事を歌った歌や、2幕目最初の結婚式のシーンの違和感。そしてラスト、ロベルトをせりあがらせてから死なせるという臨場感のなさ。あきれるやらがっかりするやら。
90年代後半にはこの手の演出家ばかりでした。
つまり「自己主張する事ばかり考えて宝塚歌劇の本質がわからない」というもの。
木村信司の場合、宝塚に入りたくて入ったわけじゃなく、何となく受けたら受かったという安易なもので、本当はちゃんと脚本を書く練習もしていないし、日本語の勉強もしてない、コミュニケーション障害を持っている人なんじゃないか?と思います。
自分の知識や教養をひけらかしてわざと難しい言い回しをして客を困らせて何が面白いのか。
最近やっと宝塚が宝塚らしい作品を輩出するようになった今、木村信司の存在価値はどこにあるのか、自分で一度考えてみるといいですよね。