すみません。いつも名前をちゃんと聞こうと思っているんですけど。
例の日大と関西学院の悪質なタックル問題でテレビに出まくっているヒゲのおじさまの事なんですけど、ウザイっていうか、問題を取り違えているんじゃないか?と。
今回の悪質タックルについて日大で記者会見した学生は
監督に「やる気がない」と言われ続け、国体も辞退しろと言われた
コーチに「私にタックルさせてくださいといえ」と言われた
「やらなきゃ意味ないよね」「相手が怪我をすれば・・・」発言した
追い詰められて嫌だったけど怪我をさせる事を目的にタックルした。でもそれは監督やコーチに命令されて仕方なくやったこと
「アメフトが嫌になりました」
って言ってるわけですが、これで顔出しして実名を挙げた学生がどういうわけかヒーロー扱いされて「悪いのはタックルした学生じゃなくれそれを命令した監督とコーチにあるのだ」ということになったのです。
被害者の父は日大を相手取って告訴。
日大の監督とコーチは
「潰せ」とはいったけど、怪我をさせろと言ってない
まさかそういう風に受け取るとは思わなかった。
何を言っても信じて貰えないだろうけど・・・・
私はこの問題の本質は「何を言っても信じて貰えないだろう」にあると思います。
戦争で言えば先手必勝。後手に回ったら何を言っても負けてしまう。負けたら最後、悪者になってしまう論理ですよね。記者会見でもマスコミが偉そうに問い詰めるような聞き方をして、司会が打ち切ろうとすると「はっきりしないから何度も同じことを聞いているんじゃないですか」と女性の声が・・・理解できない自分が悪いとは思わない。
日大は悪、日大監督が悪い、コーチが悪いの一色。そして日大の他の学生は記者会見した学生を「本当の事を言ってくれてよかった」とまでいう始末。
ずるいというか、なぜ監督やコーチに疑問があればきちんと言葉に出さないのか。それで試合に出られなくなっても、全員が出られないならいいじゃないかという理性が働かない。言いなりになることで責任転嫁していませんか?
関西学院大は関西の名門でおぼっちゃまとかお嬢様が沢山いる大学。
普通なら内輪で済ませることを堂々と被害届に告訴・・・とまあ、大学のヒエラルキーか?と思ったんですけど。
はっきり言って「潰せ」という言葉はどの監督もコーチも言います。でも、それは、何もしてない人にタックルしてけがをさせろ・・ではなく、「見えないところで適度にぶつかれ」という言葉なんだそうです(ラガーマンだったうちの旦那の意見)
それをなぜ「怪我をさせてもいいからタックルしろ。それくらいの気持ちでやれ」という解釈になるのか、学生の理解度がなさすぎではないのか?と。
「辞退しろ」も、「辞退するくらいの気持ちでいないともっと頑張れないだろ」だったらどうするの?言葉通りにしか受け取れない・・あれ?誰かと似てる・・それはまた別の話だけど。
で、私が嫌だと思ったのは、最初からひげのおじさまは「そもそも体育教師というのは日本の軍隊の生き残りが戦後になって体育の教師になって暴力で教え込むスタイルになった」と同じ事を何度もいうんですよ。
終いには「スポーツは相手を殺し合う事で、戦争がなくなったからスポーツになった
といい、「柔術も殺し合い」だったけど明治天皇の思し召しで平和な戦い方になったと持論を展開。
見る側が「スポーツって野蛮」と思いかねないような言い方なんですよ。
挙句に「オリンピック選手は自分で教師を選ぶ。大学でスポーツを教わる事に何の意味があるのか。アメリカでは大学生がスポーツで名をあげて大学の宣伝に使われるのにギャラを払えと訴えて勝訴した。日本も学生が大学の宣伝にただで利用される時代ではない」とか言い出してたんです。
兵隊さんが戦争出来なくなったから体育教師になって暴力を教え込んだのが本当の歴史なのかどうか私にはわからないけど、どうしてそこに「戦争」をからめ、兵士は暴力的で悪と決めつけるのか。急に生き生きと日大叩きというか大学スポーツたたきをするこの人物の目的は?
一緒に出ていた弁護士さんが日大の記者会見は「50点」と言ったら、アナウンサーが「どうして50点もあるのかわからない」と。弁護士さんは「だってマスコミの聞き方もおかしいでしょ」とはいえずお茶を濁して終わったけど、マスコミが最初から悪として公開処刑する方が悪いと思います。
最近の「マスコミに喋れば勝ち」的な考え方があっちの親や大学になかったとは言えないのでは?
私自身、へたれだからスポーツは苦手だし頑張る気もなく今まで来たけど星飛雄馬なんて完璧に親から虐待されているし、鮎原こずえは本郷先生にボールぶつけられてよくぞけがをしなかったもんだと思う。
自分で考える力がない学生がロボットのように言葉を理解してやった結果がこうなんだと。あのひげのおじさんによって日大だけじゃなくて大学スポーツ全体が貶められたのではありませんかね?