最初から反対でしたけど安易に「行っていい」とする宮内庁と政府に呆れます。
何のことかって?高円宮久子妃のロシア訪問です。
18日、久子妃はサッカー・ワールドカップの日本代表の激励や試合の観戦などのためロシアに向けて出発。
日本サッカー協会の名誉総裁を務める久子妃は、日本代表の初戦のコロンビア戦と、2戦目のセネガル戦を観戦するほか、代表チームのキャンプ地で選手たちを激励。
久子妃がワールドカップ開催地へ行くのは6大会6度目。皇族のロシア訪問は102年ぶり。
そういえば夫婦で日韓ワールドカップの時に史上初めて韓国を訪れたんでしたっけ。共産圏、社会主義大好きな久子妃ですよね。
それにしたってサッカー見る為に18日から26日というのは長すぎやしませんか?励ましに行くというより完璧に見物でしょ?庶民よ、ざまあみろ。私の立場なら特等席で全部見れちゃうんだよ。みたいな不快感が。
しかもロシアですよ・・・この微妙な時期に平気でロシアに行ける未亡人妃。
社会主義国で北朝鮮とも繋がっているし、中国とも・・・そんな国に単身サッカーを見る為に行く皇族。これぞ税金の無駄遣いではないのですか?
仕事には見えませんね。本当に久子妃程皇族特権使ってやりたい放題の人はそうそういません。しっかりと雅子妃に伝授しているって事ですね。後継ぎもいないのだし、民間人になってしまえばよろしいのに。
皇族費がもったいないです。
17日。文春オンラインでわざわざ過去の記者達の対談に付け加えるような感じで乗せた文章ですが。とりあえず全部上げます。
デスクA この数年は、平成皇室を語る上で節目ともいえる年月でした。天皇陛下、皇后陛下のご体調の問題が明るみに出たのは大きな転換点だったと言えるでしょう。2019年4月で天皇陛下は退位され、現在58歳の皇太子殿下が、2019年5月から新天皇として即位されます。新しい時代に皇太子殿下がどんな皇室をつくられるのか。注目しています。
記者B ただ、次代に皇太子殿下が何をなさりたいのか、誕生日会見などの場で語られるお言葉からは、はっきりと分かりませんでした。“公約数的”な発言ばかりで。
記者C 以前から仰っている「時代に即した公務」についても、明確に示されているとはいえないでしょう。
デスクA 雅子さまが適応障害の療養に入られて約15年。雅子さまのお出ましは、以前に比べると増えましたが、今上陛下には美智子さまの存在が大きかったことを考えると、皇太子殿下の“お一人公務”が長く続いた時期は大変だったでしょうね。
記者D 国民と密接な“平成流”は美智子さまなしには考えられませんでした。
記者B 昭和の時代から、美智子さまは理想の妻であり母でした。皇位は男系男子で継承されていきますが、やはり女性皇族は重要な存在です。
記者D 雅子さまも当初は国民、特に女性たちから尊敬と憧れを持たれていました。国民の見方が大きく変わったのは、やはり2004年7月の適応障害の診断結果発表からです。雅子さまは2003年頃から公の場に出なくなっていたのですが、それが初めて表沙汰になったのは、2004年5月の「人格否定発言」。皇太子さまが「雅子のキャリアや人格を否定するような動きがあった」と会見でおっしゃったのは衝撃的でした。
デスクA 当初は「雅子さまを応援したい」と考える女性も多かったのです。皇太子殿下はよくおっしゃったと見る向きもあった。しかしその後、次第に応援の声は小さくなっていった。
記者E きっかけは雅子さまの“子育て問題”ではないでしょうか。愛子さまの子育てを拝見するうちに、強い違和感を持つようになったのだと思います。
記者C 決定的となったのが「山中湖お付き添い事件」でした(2011年9月29日号)。学習院初等科4年生だった愛子さまの山中湖校外学習に、雅子さまが付いて行かれた。
記者D 子供たちが立ち寄る場所には、雅子さまもほとんどついて行かれ、青木ヶ原樹海でハイキングもされました。
記者E 山ガールファッションでしたよね。チェックのシャツにウエストポーチ、リュックを背負って、やる気満々。一方で東宮職は殺気立っていました。雅子さまの姿を撮らせまいと、カメラマンの周りを男性数人で包囲。愛子さまを撮影しようとしたら、東宮侍従から「家宅捜索するぞ!」と恫喝されました。
記者D 学習院では過去に子供が怪我や病気の場合だけ、親が近くの宿で待機するということはあったようです。だけど雅子さまは、子供と同じ「ホテルマウント富士」の、1泊12万円のインペリアルスイートに宿泊した。保護者からも非難の声があがりました。
記者C ホテル側は雅子さまのために、壁紙をベージュから白地にグリーンの花柄に張り変えたんですよ。食材にこだわった「特別懐石料理」も用意した。
記者B 直後の東宮大夫の定例会見は大荒れになりました。会見内容は両殿下もご覧になるので、記者も言葉を選ぶ。ところが、このときは「今回のお付き添いは、極めつけの茶番ですよ。皇室の尊厳もくそもない!」という過激な発言が飛び出したのです(2010年10月6日号)。
記者D 東宮大夫は「長い目で見ていただきたい」と答えた。それにベテラン記者が「国民はすでに長い目で見ている。震災から半年、国民が大増税の時代を迎えようとしているその時期に妃殿下は校外学習でインペリアルスイートに泊られた。常識的に考えられない出費。“税金泥棒”との批判を受けるかもしれません。それを許した殿下はどうお考えなのですか」と詰め寄った。緊迫の場面でした。
記者E 皇太子さまはむしろ賛成されてましたよね。校外学習当日の朝も、初等科まで愛子さまに付き添い、保護者や子供たち一人ひとりに挨拶されて、4台のバスがいなくなるまでずっと手をふっていらした。その光景に、記者たちは「逆一般参賀状態だ」と(笑)。
記者C 山中湖事件の前から、愛子さまは登校拒否のような感じになって、お付き添い登校が始まっていました。朝早いときは皇太子さま、遅いときは雅子さまがお付き添いされていた。
記者D 2010年3月5日の定例会見では、東宮大夫が、愛子さまが不登校状態にあること、その原因として初等科に「何人かの乱暴な児童たち」がいることを公にしました。子供たちの間の問題が、一国を揺るがす事件に発展した瞬間でした。
その後、不登校は落ち着きましたが、いわゆる“母子密着”の状態は続きました。愛子さまは髪をかなり長く伸ばして、雅子さまとほとんど同じ髪型でした。外見的にも深く結びついていらっしゃるように見えたし、愛子さまが順調だと雅子さまのお加減もよくなることもあり、“母子シンクロ”とも言われました(2014年12月18日号)。
記者B そして再び欠席・遅刻が始まったのが、学習院女子中・高等科にあがられた2014年、中学1年生の6月頃から。1学期、2学期の定期試験を欠席されました。
デスクA 勉強はよくおできになるんですよね。
記者B 愛子さまは完璧主義なんだと思います。試験前夜もおそくまで熱心に勉強するそうなのですが、朝になると登校されない。
デスクA なぜそんなことになってしまったのか。当時、原因として考えられたのが、皇太子ご夫妻の「叱らない子育て」です。
デスクA 皇太子殿下は2005年の誕生日会見で『子どもが育つ魔法の言葉』などの著書がある米国の家庭教育学者、ドロシー・ロー・ノルトの詩を紹介されました。《批判ばかりされた子どもは非難することをおぼえる(中略)しかし、激励をうけた子どもは自信をおぼえる(中略)賞賛をうけた子どもは評価することをおぼえる(中略)可愛がられ抱きしめられた子どもは世界中の愛情を感じとることをおぼえる》というものでした。
記者E こういった“叱らない子育て”は現代の育児法の主流と言えます。皇太子ご夫妻はかなり忠実に実行していらっしゃるようです。
記者C でも結果、しつけができていないように見えるケースも多いのではないでしょうか。
記者E 2006年のオランダご静養では、海外のメディアも大勢いる前で、愛子さまは気をつけをして挨拶が出来ませんでした。身体をグニャグニャとさせて、脚を交差させ、シャネルのマークのような「シャネル立ち」だと噂されました。
記者B 当時はまだ4歳だから、仕方がないにしても、「ゴミ事件」には驚きましたね(2014年7月3日号)。12歳でしたよね?
記者C はい。学習院大のキャンパスで行われたイベントに行かれた時に、お菓子を立ち食いされたのですが、べたべたした包み紙を近くのスタッフに差し出し、たった一言、「これ」とおっしゃった。「捨てたいの?」と尋ねられても、頷くだけ。しまいには鼻をかんだティッシュを「ゴミ」と言って、スタッフに差し出しました。
デスクA 皇太子殿下ご自身は、厳しく育てられています。浜尾実東宮侍従に姿勢や挨拶などを厳格にしつけられていた。そういった過去に対する“反動”なのでしょうか。
記者E 愛子さまが赤ちゃんの頃、栃木県の沼原湿原を散策したとき、殿下が背負子で背負われたことがありましたね。今の天皇陛下は、人前で子供を抱っこしたり、おんぶされたことがなかった。
宮内庁のベテラン職員の中には「ああいう姿を国民に見せてはいけない。威厳が損なわれる」と本気で嘆く人もいました。
記者D 皇太子さまも雅子さまも「普通の子育て」への憧れがあるようです。2006年にはご家族でディズニーランドとディズニーシーにいらっしゃいました。
あくまで“お忍び”という形だったのですが、私服警官で埋め尽くされて一般客も異常事態に気付き、パニック寸前。ディズニーシーの真ん中にあるマーメイドラグーンは封鎖されました(笑)(2006年3月23日号)。
記者C 愛子さまに初等科時代、電車を使わせたこともありました。でも、駅の自動改札を愛子さまがピッと通られるのを大量の警察官が警戒していて、まったく普通じゃなかった。
記者E お生まれになってすぐの“公園デビュー”も同じ。雅子さまが愛子さまをお連れになって、近所の公園に行かれたら、沢山の人が集まって大きな騒ぎになった。お立場上そういった“普通”を実現するのは無理なんです、はじめから。
記者E そもそも清貧を良しとする天皇家の家風と、雅子さまのご志向は相容れないものがあると思います。
記者C 私もそう思う。雅子さまには現代的な「自分の権利を主張する」というプリンシプルを強く感じます。働く女性のスタンダードな意識ですよね。今上陛下からは国民があって自分たちがある、というメッセージが伝わってきます。
デスクA 両陛下は警備上の理由などで一般客に迷惑になるからと、海外ご訪問中でもほとんどレストランなどで外食をなさいません。一方、雅子さまは外食がお好き。マンダリンのシグネチャーやウェスティンのビクターズ、富麗華、ロオジエなど高級店にも行かれる。国民に与える印象は真逆でしょう。
記者E 「女性セブン」(2013年9月19日号)のスクープでは、初等科6年生の愛子さまがグッチの鞄を持っている写真が出ました。那須どうぶつ王国で、他のお友達はママお手製の布製ポシェットなどを持ってきているのに、愛子さまだけが4万円相当のグッチのキッズラインのバッグだった。
記者C あれは凄いインパクトでした。
記者B 美智子さまは、一目でブランドものと分かるものは避け、洋服やバッグも仕立て直しされたり、修理されたりして、何年も何年も大事に使われます。
デスクA やはりお人柄というのはそういうところに滲み出るものです。現在は“美人すぎる皇族”として佳子さまが注目されていますが、普段は発言をされない皇族だからこそ、国民は外見や行動にメッセージを見つけるのです。
記者D その点、紀子さまは美智子さまをお手本にされているようですね。
記者E でも、上手すぎて、同じ女性としては少し怖いほどです(笑)。
記者D 私が最近考えるのは、佳子さまが紀子さまのそうした気質を強く受け継がれているのではないかということです。佳子さまは皇族としての気品のある所作と、現代っ子らしい振る舞いを使い分けていらっしゃるように見えます。公務先では紀子さま譲りの“完璧なスマイル”を振りまかれるのですが、高校の文化祭で、ダンスの出演順を決める際などは、意見をはっきりおっしゃり、怒られたら嫌だな、と後輩からは少し怖い存在だったとか(笑)。
デスクA 読書好きな眞子さまに比べて、佳子さまは気の強いところがおありだったみたいですね。ただ当時は高校生ですから、大目に見てあげて欲しい(笑)。いまではお二人ともご立派ですよ、公務先で拝見すると。
記者D 天皇陛下のように結婚生活の節目節目で妻への感謝を発表されるのは素晴らしいと思います。2009年のご結婚50年のときに、陛下は「結婚50年に当たって贈るとすれば感謝状です。(中略)その間にはたくさんの悲しいことや辛いことがあったと思いますが、よく耐えてくれたと思います」と述べられました。
記者E 個人的には、皇太子さまも雅子さまへの愛情を発表し、仲睦まじい日本の家族の象徴になっていただけたらと。2013年に結婚20年の所感を出されましたが、ご夫婦としての感想だったので、「私たちは夫婦として多くのことを一緒に経験し、互いに助け合ってまいりました」といった、遠慮がちな表現でした。
記者B 陛下はご結婚20年を迎える頃、会見で「やさしいワイフ」とのろけられて新聞の見出しになったこともありましたからね。
デスクA でも皇太子殿下が発表されるとなると、妃殿下の事前チェックが入るかも(笑)。
(初出:「週刊文春Woman新春スペシャル限定版」2016)