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明治維新150周年に思う

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 無事に帰りました。とにかく疲労感がすごくて高速道路を走っている間はぐてーーっとしてました。

郡山宮夫妻は相変わらず元気でしたが、その元気さのもとは「息子に迷惑かけたくない」という気持ちだけで、自分達の葬儀代からお花代までしっかりと用意していました。この頃は毎回、行く度に「派手な葬儀はしないで下さいね」ばかりで

お金は勿論ですけど、亡くなったら戸籍を取らなきゃいけないんだし、本籍地を教えてくれよーって感じで、これまた役所に勤めている人の前で堂々と「そんなに戸籍は必要ないだろう」とかいうし。こういう所、本当に傷つきます。

私の話は一切聞かないで自分が正しい、自分の思い出ばかりだもんね。宮妃は認知症ではないけど物忘れがちょっとひどくなっているので必死に「毎日、1.5リットル以上の水分を取って下さい。良質なアミノ酸が必要だからささみを食べて」と言っているんですが、「そんなに飲まなくても平気だから。歳だから」と相手にしないって感じですね。そこは同居のジュニアにしっかり言い含めて来ましたけど。

到着した翌日は私達夫婦、ジュニア、ヨンジュナと一緒に会津へ行きました。

今年は明治維新150周年の年でしたので、必ず行きたいと思っていたんですよね。

お盆もすぎ、少しは空いているのかと思ったら・・・鶴ヶ城は人が一杯。

家族連れは勿論のこと、若い女性が多く、それもものすごく真剣に色々なものをみているんです。

今回の鶴ヶ城以下、会津の様々な資料は戊辰戦争一色になっており、鶴ヶ城は入った時から戊辰戦争で映像による解説がなされ、資料もわかりやすく展示。

私が驚いたのは1階部分だけとはいえ、エアコンが入ったことで、ほっとしました。

鶴ヶ城ではいかにして美しい会津が官軍によって壊されて行ったのかという解説をものすごく丁寧にしてくれます。そこらへんに立ってる旗にだって「義」という文字が刻まれているし、街の子供向けの看板にも会津童子訓をを取り入れるなど、街をあげて「忠義」「愛国」一色です。

前述したようにそれら展示されている資料を、こと細かに熱心に見て回る人の多いこと。他の城ではみられない真剣さ、静けさが私自身をキリリとしたのです。

おバカなヨンジュナなどは松平容保の写真を見てもぴんとこず、お兄ちゃんに「銀魂に出て来た松平かたくりこだよ」と教えられ「おおっ」といった具合。全くほんとに・・・・

若者向けにいかにアピールしていくか・・・という事を色々考えて、売られている民芸品などもかなりセンスがよくなっていますし、白虎隊の歴史についてもわかりやすく簡潔で勉強になります。

こんなポスターが・・・城姫クエストですって、こういうのがゲーム好きやオタクな人、歴女に人気なんでしょうね。

 

飯盛山にも行きました。そこでびっくり。入口の自動販売機の模様が

ちょっと・・・これ、白虎隊だよね・・・

階段を上らずに行けるベルトコンベアーも長くなっています。

毎回のようにここにきて、お線香を買って19士のお墓に備えお祈りしました。

最近、白虎隊の自刃者は19人ではなく、17人(飯沼貞吉のみ蘇生)であることが再認識されたようで、お墓の下のおみやげ物屋さんの横に、「どうして17人から19人になったのか」というのが小さく説明されていました。

白虎隊といっても色々な組があり、士中2番隊はその1部で飯沼貞吉は沢山いる白虎隊の生き残りの一人であるのですが、はっきり言って「死にぞこない」と呼ばれていたようで、それではあんまりだから「生き残り」と言っていたのが、いつの間にか彼は「白虎隊ただ一人の生き残り」になってしまったそうなんです。

また、自刃したのは17人で16人が亡くなった事は、付近に住む人にはわかっていたそうです。彼らが自刃したのは他人様の墓地の中だったそうで、遺体を移動させたわけですね。

その時に戸ノ口原で戦死した3人も加えて供養。

白虎隊の出来事は広く海外にも知られ、沢山の錦絵も描かれましたが、初期に作られたものは人数が少なく、時代を追うごとに人数が増えて派手になっていきます。

それを「富国強兵を目指す日本によって仕組まれた美談」と言ってしまえばそれまでなんですけど、そういう事を指し引いても白虎隊の悲劇はある種の死生観を持った生き様として共感できるなと思います。

ここは白虎隊が戸ノ口から敗走してくぐった水道なんですが、その道のりも細かく記されるようになり、よりわかりやすくなりました。

その後は、猪苗代方面に向かい、いつもの地ビール館でラオホビールを堪能。

窓から見える磐梯山。息子とビール飲むのって楽しい。

たとえ無口でもね。

それからちょこっと猪苗代を見ようと湖畔へ行ったのですが、そこで!

ヨンジュナが私の背中をドンと押して思い切り水の中に・・・・ストッキングのまま入ってしまい、ズボンもびちょびちょ。

 こんな風・・・ヨンジュナに怒って彼も一緒に水の中に。

あれ?何だか恋人同士みたいだわ 初めて湖の水に触れたわけですがこれが冷たすぎず気持ちいい。海みたいに波が大きいわけじゃないし、塩水じゃないし。のどかでちゃぷちゃぷ気分。しかも水上バイクとかちょっとリッチな人達もいて、ヨンジュナと水のかけっこして・・・楽しかったーー

郡山に来て初めて笑った気がしました。

 

帰り、仕事に行く前のジュニアに「元気でね」って言いました。

車が走り出した瞬間、彼、泣きそうな顔をしてました。言葉が少なくてちっとも私達が行ったことを喜んでいないのかと思ったけど、そうでもないんだ。

とにかく郡山に骨をうずめる決意をしたんだから頑張れ

今後は老人介護も入って来るし、自分の事だけやっていればいいというものではありません。今まで散々祖父母にお世話になったのだから、しっかりと気を遣ってあげて欲しいです。

特に宮妃には、好きなテレビ番組の時間を教えてくれて一緒に見てくれるジュニアは必要不可欠みたいなので。宮は・・・口だけは若返ってます。はい。

 

それで、今回、会津に行って思ったことは、当時の世界情勢を見る限り日本は開国しなくてはならなかったろうと思います。

「戦争は陣取り」とは「黎明の風」の中の白洲次郎の言葉ですが、イギリスやアメリカを始め、余裕が出来た大国が領土を広げようと弱い国を植民地にしている時代。

イギリスはアヘン戦争で清を破って香港を割譲。そういう世界情勢を見ていれば確かに日本も弱い国のままであれば植民地化されていたろうと思うので開国した事は間違いではなかったと思います。

しかし、徳川慶喜が大政奉還した所で会津まで行く必要性があったか。あるいは、鳥羽伏見の戦いで錦旗を持ち出すという「ずる」をやってよかったか、会津城下においての薩長軍の傍若無人な振舞まで許容すべきかどうかまではわかりません。

明治天皇もその辺りを考えてこそ、幕府軍についた皇族方を大事にしたし、徳川家から松平家から宮妃を選んだわけです。

 

太平洋戦争において「日本もちょっかいを出したから」と言われている方がいらっしゃったけど、その「ちょっかい」という考えこそ「自虐史観」の種であると私は思うのです。

明治維新以後、日本は軍を拡張し自国を守らないといけなかった。その為の日清戦争だったし日露戦争だったし、日華事変だったし満州事変だったし・・・日本ではなく他の国だってきっと同じことをしたと思います。

負けたら領土を失う・・・これは今、中国に侵略されつつあるアフリカや東南アジアの国々、民族の誇りを奪われつつあるキルギスタンなどの少数民族の悲劇。これこそが日本にも十分に起こり得た問題なのです。

誰が悪いとかいうつもりはなく、悪いというなら列強が領土を拡大しようとしたことが悪いと思います。(そんな事言える立場じゃないけどね)

とにかくそもそもの日本の悲劇はこの明治維新から始まっているわけで、歴史教育するならここから始めないと。

そういう意味では遊就館における展示はまっとうです。まっとうだけど長いしわかりにくいし・・・ここら、素人向けに何とかして頂けませんかね。


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