原田諒・・・また賞取りに走っているなーーという感じでした。
我が家の姫的には沢山言いたいことがあって、その多くは「明日海りお・仙名彩世コンビ」に対するもので、作品は感動しておりました。
天草四郎が実は倭寇の親分で一宿一飯のお礼に島原の乱で討ち死に・・っていうとあまりに簡単な話ですけど、そういうことなんです。
私達は社会などで「島原の乱」は習っているし、私の故郷の仙台も殉教者を出しており、自分自身がクリスチャンスクールでしたので「神」という存在が、その信仰を持つ者にとっていかに大事なものかわかります。
戦国の世は人の殺し合いと裏切りばかり。そんな中「どんな罪も信仰によって許される」という教えは彼らの心にぐさっと来たでしょうね。
だからとても「踏み絵」なんかできないんです。
でも我が家の姫にしてみたら「絵くらい踏んでも神様は怒らないんじゃないの?絵を踏まないで死ぬより踏んで生きた方がいい」と言うので、まあ、今にしてみればそうなんだけどさーー
後味が悪いのよ。神様を裏切った・・・という気持ちで長生きしてもちっとも楽しくない。だったら正直に神様を信じていますとカミングアウトして殺された方がハライソに行けるんだよーーって説明したら「ふうん」と言っておりました。
和光の親分の四郎は神様なんか信じてはいない。何でこんなにみんな苦労しているのに神様は助けてくれないの?そんな神様を信じてどうするのーーから始まって「神は私達の中にいる」という変換はうまいとおもいます。
最終的にクリスチャンがたどりつく所は「神様は私達の中にある。神は耐えられない試練を与えることはない。祈り努力することで神が現れるのだ」ということ。
星組の「ANOTHER WORLD」では「一遍死んだと思って生きてみたらええんや。この世は極楽や」言い方は違うけど思想には「精一杯努力して困難を乗り越えたらそこは極楽。命に感謝や」って事ですよね。
神を信じていない四郎がメサイアになってしまうというのは、一見コメディのようです。最終的に四郎に信仰心が芽生えたのか?単に流雨ちゃんを守りたい、助けたい、一緒に死にたいという男心によるものだったのか?その為にあれだけの人がしんだというならこりゃあ大変な話です。
それでもストーリーの運び方は上手であるし、場面転換もよろしい。
しかし、やっぱり人物の描き方が今一つ浅いのは事実で、特に柚香光演じるリノ、彼はイスカリオテのユダ役だったのか?流雨との関係は?四郎が現れてどう思った?なぜ幕府軍に自ら行くと言い出した?四郎の首を切れと言われた時のきもちは?四郎に逃がしてもらう時の気持ちは?流雨を残していく気持ちは?ぜーーんぶわかりませんでした。
柚香光には深みのある演技が出来ないというか、ためることが出来ないんですよね。脚本もその点は悪いと思うけど。
また仙名彩世演じる流雨が四郎のどういう所に惹かれ、共に行動しようと思ったのか?それは人間の愛なのか、神への信仰なのか?
とにかく「メサイア」は女性が活躍する場面がほとんどないんですよね。男役だけで舞台を回している・・それって宝塚的にどうなの?と思いますけど。原田諒の作品はいつもそうで、女性があまり出てこない。
恋愛を描くのは相変わらず下手であるし、なのに壮大に描くから「〇〇賞」は取れますよーーって感じです。
今回の芝居では悪役がもっとも得をしてまして。鳳月杏演じる松倉の憎々しさといったらなく、その一方で細面に冷たさを忍ばせる水美舞斗のかっこよさが際立っておりました。
私が演出家だったら最初のシーンに「メサイア」コーラスを入れて仙名彩世に唄わせるなあ。ラストは四郎が仙名彩世のサンタ・マリアに抱かれて死ぬ・・なんていいでしょう?
見た人はみなわかると思うけどとにかく仙名彩世の歌のうまさは尋常じゃない。無理して声を出している風が一切ない。空気のように声が出るのよね。
姫ちゃんのお友達が「仙名彩世の声を聞くだけでハライソにいける」と言ったそうですがまさにその通りだと思いました。
姫ちゃんは「ハライソ」という言葉が大変気に入ったらしく「ハライソに行きたいわ」とばっかり言ってます。
「だったら神様にお祈りしていい子にならないとね」と言っておきました。
そうそう、もう一つ。私達関東以北にいる者には「島原」と「天草」って一緒に感じてしまうのね。その距離感がもう少し分かればよかったと思います。
原城あとからはぐちゃぐちゃの人骨が多数出土しており、いかに幕府がこの乱に危機感を抱き、まっとうな日本人ならやらないような殺し方をしております。
マイティ演じる「松平信綱」は「これは一揆でしかない」と言っておりましたが、確かに年貢の苦しさによる一揆説もありますが、一方で天草四郎が豊臣方とつながりがある為に、根だやしにする必要があったとも言われています。
当時のキリシタンには罪がないけれど、宗教によって国を侵略しようとする宣教師たちがいた事実を思えば禁教もまたやむを得なかったかとも思うのです。
純粋無垢な日本のキリシタン達はまさにデウスの教えを信じて、罪の許しを求めたのでした。
BEAUTIFUL GARDEN
野口作品にうとい私の友人に姫ちゃんが「野口先生の作品は必ずトップが上から降りてきて、芸名を織り込んだ歌詞があり、途中で若手だけの歌と踊りがあります」と説明したら、まさにその通りに運んでいったので笑われました。
本当にワンパターンにもほどがあるって野口幸作さん
「歌詞の中に名前を入れる」というのは彼なりの工夫でしょうけど、それだけで時間の半分を使っていませんか?また無理やり歌詞に名前を入れ込むことで深みのない歌詞になっていませんか?
同じことやっても藤井大介の場合はもっと自然でわくわく感があるんですけどね。
最初のゴスロリ風の衣装から水美舞斗の蜂さんや、柚香光のパリの場面まではまさにいいなあーまさに「BEAUTIFUL GARDEN」だと思っていたのに、何で突如闘牛士が?
このショー、最初は黒と紫と白のイメージなんですけど、いきなりここでオレンジと黒が入って来るんです。全然繋がらないじゃないですか。その後は迷走にもほどがあるというくらいめちゃくちゃ。
何で突如チューブの曲?何でトロピカルなんや?J-popの選び方は斎藤吉正の方がいいんじゃなですか?
スペインの闘牛士をやったあとなのにローマの白百合って雰囲気がかぶりすぎてどうかと思いますし、「HANAOTOKO」に関しては、やってる側に客を乗せようという意欲がなく・・・星組でうまくいったからどこの組でも同じことが通用するかと思ったら大間違い。なんせ組が違うんですから。
柚香光も瀬戸かずやも鳳月杏も水美舞斗も、個人としてみたらものすごくかっこいいし、キザり方も好き。でも、基本的に「観客を楽しませたい」っていう気持ちが今一つない。それは「カフェブレイク」の「ジェンヌがジェンヌをプリデュース」でよくわかるのですが、見てる側が求めていることとやってる事の間に大きな差があるんだよねーーそういう「オレ様がやる事に文句つけんじゃねえよ」的なのが昔からの花組から―だからしょうがないけど。
それに芝居でも娘役はしどころがなかったのに、ショーでもあまり使われていないと感じたのは私だけ?何でローマの白百合の女が柚香光だったのか?
仙名彩世がダメなら他にもいい娘役が一杯いるじゃないねーー
文句ばっかりつけていますけど、今回は振付がよくわからない名前の人でとってもかっこよかった「パリの花々」舞空瞳と柚香光のコンビもなかなかいいんじゃないかと思うし、無論、ヤン先生の闘牛士の場面では水美舞斗のものすごいダンスを見放題で、あと5分続けて踊ってくれたら惜しくなかったのに。
今回、明日海りおはあまり踊ってません。ほとんど突っ立ってて、回りがくるくる踊っているんですよね。毎回のごとく、仙名彩世は歌っても踊ってもすごいのに、そういうものをあっさり封印されちゃうのって本当にイライラしますわ。
もうちょっとべったりのデュエットダンスを踊っていい筈だし、ラブラブ感が欲しいというのは我が家の姫ちゃんのお言葉。
でもね、あれでも明日海・仙名コンビはラブラブしている方なんだってば。だけど背丈の問題や技術的な問題があってあまりにくっつくとボロが出る?から、あえて離れているんだよといっておきました。
鳳月杏もあと2・3曲ソロで歌いきってくれたら惜しくなかったし、仙名彩世もソロで朗々と歌い、見事にだれかにリフトされて欲しかったわーー。衣装は何をきてもすごかったけど。
こんな風にいうとトップと2番手に問題があるみたい・・・じゃないわよっ!頑張ってる。二人とも。