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日本一運のいい女ー新皇后の肖像 5

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 みなさん、KKについてあれこれ言うけど、それ以上に小和田雅子さんの方が半端なくグレーというか疑惑だらけですよね。

仮に・・・即位の大礼が洋装だったとして第一ティアラが出てくるか、それが果たして本物かどうか?いつまでもあの第二ティアラしかしなかったら絶対におかしいでしょう?あれは「皇嗣妃」にこそ譲られるべき。というか皇嗣妃がティアラを1つしか持っていないなんてありえない話ですが。

週刊現代だったでしょうか「嫁姑25年戦争の終わり」というタイトル。どういう事かというと

 今年の2月に皇后がわざわざ東宮御所を訪れて週刊誌に載った「紀子妃をもう一人の皇后に」という記事について謝罪し「皇后はあなたよ」と言った。

 香淳皇后逝去の際、式の打ち合わせで皇后がアドバイスしたことを雅子妃が「叱責」と受け止めて式をドタキャン。以後は出てこなかった。でも2月以降は皇后に認めて貰ったことで張り切ってフル公務している。

 眞子さまのKK問題は東宮にとって都合がよかった。

ここまではっきり書いてありました。ほんと、やな女 っていうかそこまで「次期皇后」として庇い立てする次期上皇后がおかしい。社会的倫理観に欠けている人だと思います。

昭和の末期、とにかく小和田雅子という人はマスコミの注目を集め続け、じらし続け、いつまでもいつまでも返事をせず「お妃候補から外れた」「いや、外れていない」これの繰り返しばかりでした。最後のお妃候補?三井史子さんが結婚した後はさらに小和田雅子に集中。

 1988年FOCUS4月15日号

「浩宮候補は目下研修中」ー小和田雅子さんを取り囲む霞が関永田町の雑音

 小和田雅子の仕事で雑用もあったけどどうしよう・・・これからは。

 もう「小和田君」何て呼べないね。

 

 1988年7月19日号

「小和田雅子さん英国留学へ出発」

1989年1月7日。昭和天皇崩御。

2月、皇太子は「小和田さんではだめですか」と側近に尋ねる。

 週間ポスト1989年7月7日号

「5年前の極秘旅行(1984年9月・12月)を徹底追跡!皇太子徳仁と小和田雅子さんアルザスの恋」

 1984年、メリベルで皇太子は心行くまでスキーを楽しまれ、岩肌が見えている危険なところも大胆に滑られた。日本人関係者が心配する程。

 実はこのとき、一行の中に殿下の意中の女性、日本でもその後最有力妃候補として取りざたされた小和田雅子さんが参加していた。

 しかもこの年、殿下はフランス国内を2度にわたって小和田さんを伴って旅行している。

 この旅行をきっかけに皇太子は小和田雅子さんに恋心を抱き、東宮御所に頻繁に招くなど力を入れていた。

 霞会館関係者「よくお調べになりましたね。皇太子殿下が小和田雅子さんと旅行されたのは事実です。天皇・皇后両陛下はマスコミの監視が比較的緩い留学期間中に皇太子殿下のお妃を決めたいとお考えでした。しかも、一方的ではなく本人同士が十分意志を確かめ合ったうえで決めて欲しいと考えられた。だから青年男女がお互いをよく知り合う場としてフランスが選ばれたんです。確かに旅行は2度、9月と12月に行われています」

 昭和天皇の崩御がなければもっと早く結婚していたのに。

 霞会館関係者「2代続いて民間からお妃を迎えるとなれば皇室の伝統が失われるというんですね。しかし、皇太子殿下にはそんな雑音には惑わされないでかつて天皇陛下が皇后陛下に「柳行李一つできてほしい」といったように強い意志で小和田さんへの気持ちを伝えて欲しい。これからの皇室にとっても皇太子殿下にとっても小和田さんのような美しくて国際感覚がある心優しい人が必要なんです」

 インタビューされた江頭寿々子いわく「一度もそんなこと聞いたことございません。私が聞いているところでは絶対にそんなことはございませんんよ」

 FLASH1989年9月19日号

「来春婚約?浩宮さまと小和田雅子さんに再び熱い視線」

 1984年の9月12月に二人でフランスに旅行していたことが明らかになりました。

この当時、私自身は皇太子の「アルザスの恋」も「コルマール」も全く知りませんでした。自分自身の結婚式を9月に控えていたこともあり忙しくて週刊誌を見る暇がなかったのかもしれないし、8月下旬といえば「礼宮殿下と川嶋紀子嬢」の婚約が発表された時であり、むしろこっちに夢中で、皇太子なんて眼中になかったんです。

でも女性週刊誌やらおじさん向けやらが一斉に報道したということは、皇后からGOサインが出たと考えるべきでしょうね。庶民の目が礼宮に向いている間に皇太子のこともちょこっと報道させて「嘘はついてない」というアリバイ作り?

霞会館関係者のセリフは100%皇后のものでしょう。「雑音」は気にせずに・・ですってよ。笑っちゃうわ。おまけに「2代続いて民間妃云々」は霞会館関係者なら言うはずがなく、自分の時代が来た皇后が御代が変わってすぐ自分の価値観を週刊誌を使って反映させることを始めたのです。

ラスボスのように現れた久邇晃子さんへのけん制とも見て取れますし、とにかく家柄のよい女性は嫌だ―という皇后の叫びが伝わってきますよね。

でもこの話が本当だとして、それでもさっさとハーバード大を卒業後に外務省に入り、東大に学士入学してイギリスへ留学。皇太子など気にもかけない態度。どんなに皇太子が恋こがれても当のご本人はそんな気さらさらなく。

通常、独身皇族と一緒に旅行するといったらこれは「その気あり」と見るし本人も覚悟があったろうと思うのですが、そこらへん、どこまでもノリの軽い女性の小和田雅子さんだったのでした。


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