いきなり皇太子がパラ選手のマラソンの伴走をしていたとか、どんな天皇になるかとか、皇后陛下の咳喘息とか(治ってるなら今更発表しなくても)次世代アピールが今後ますますひどくなっていくんでしょうけど、どうしても「天皇家の行く末」は暗く思えてしょうがない。FRIDAYには絢子女王が結婚しただけで「天皇家が断絶してしまう」と掻き立てるし、テーミス11月号にはKKと眞子さまの件で「皇嗣廃着」を皇后が考えているとか書かれるし。皇太子夫妻及び一家がこの25年あまりやって来た数々の「悪事」を全部なしにしてよくもまあと思いますが、忘れっぽい日本人のこと。何でもすぐに忘れてしまうんです。
話は別だけど徴用工の件にしても「冷静に」と言ってる間に忘れてしまう。向こうは絶対に忘れないし、恨みを募らせるというのに、「売られた喧嘩を買ったら同じ穴のムジナ」的な論調が当たり前のように語られますが、もうそんな悠長なことを言っている場合じゃないんですよ。大人には大人の喧嘩の仕方があるでしょう。
皇室に話を戻せば、国民が忘れている間に新天皇と皇后の「独裁体制」は進み、やがて本当に秋篠宮家は廃され、今上と皇后が望んだように「悪い日本の国には天皇はいらない」状態になるでしょう。
伊勢の神様ももう無理。信じても無理。なるようにしかならないなら日本から保守派は消えてみーんな左巻きの平和主義者になってしまい、それが新たなコミューンになるんです。
アエラ1993年1月19日号
「特集・人間プリンスの恋・雅子さん決断までの2000日・プリンセスと机を並べた本誌記者・外交官から専業プリンセスへ・外国メディアが迫った報道開国・娘が雲上人になる公僕次官の運命・母国ハーバード大の華麗なる人脈・明日の天皇制とネオナショナリズム・どこへいく大衆化時代の王室・新カップルに望む皇室改革
「顔立ちを見て、日本人じゃないのではという人もいた。
雅子さん本人も冗談まじりにこう言っていた。
「ネパール人とのハーフじゃないかってよく聞かれるのよ」
週刊新潮1993年1月21日号
「皇太子妃内定巷談(1)なぜ外人記者スクープなのか(2)小和田さんを承諾させた皇太子の「条件」(3)皇后ご両親に会わなかった昭和天皇(4)金貨からデザイナーまでの便乗(5)お妃候補は前進しているか
「ワシントン・ポストの東郷茂彦記者は「いつ、どこからその情報を入手したかはお答えできない」
「宮内庁の密使の役割を果たすことになったのが柳谷謙介国際協力事業団総裁。もと外務次官である。小和田家とも接触がある人物。皇太子殿下と雅子さん4年10か月ぶりの再会は昨年8月16日。千代田区にある柳谷邸が舞台となった。
そしてもう一人、この再会までを陰に日向に支えて来たと目されるのが高円宮憲仁殿下である。「1昨年9月に東京芸術劇場で中村紘子さんのチャリティピアノ演奏会があったのですがその打ち上げの席に高円宮さまが雅子さんを連れてきていたのです。皇太子さまに年齢も近い高円宮様は皇太子さまの意をくんで雅子さんとの間をつないできたのでしょう」
高円宮妃の久子さんと雅子さんお母親の優美子さんも旧知の間柄という。」
「10月3日、二回目のデートの場は千葉県市川市にある宮内庁の新居浜鴨場。ここで殿下は雅子さんにプロポーズされたが2週間ほど後に一度は殿下にお断りの返事が伝えられている。「それからです。皇太子さまの電話での説得が始まったのは。東宮仮御所から連夜、小和田邸の雅子さんにラブコールされたようですよ」
「いくら闊達な雅子さんでも皇室というのは世界が違い過ぎます。ひるむなという方が無理。恐らくは当の殿下ばかりか皇后さまからも直接の説得があったのではないでしょうか。考えられるのは外交官の仕事も皇室の仕事も同じ国民のためという説得や、もっと具体的に皇室に入っても雅子さんの交友関係や家族との面会をむやみに制限はしないというような提言ですね」
週刊ポスト1993年1月22日号
「平成不況のカンフル剤か小和田雅子さんとのアルザスの恋皇太子の結婚」
「小和田雅子さんスーパーレディの時代と皇太子の結婚ー自分で自分の首を絞めた大新聞の談合報道と選考の内幕」
女性自身1993年1月26日号
「本誌スクープ通り一目ぼれから7年を貫かれて雅子さんしかいない!の愛実る」
週刊文春1993年1月21日号
「新聞が絶対に書けない皇太子妃決定までの舞台裏」
「鴨場デートは失敗だった」
「(外交官としての仕事も皇族の仕事も同じと説得されて雅子さんは結婚を承諾したと報道されているが)確かに一つ一つの事実関係はその通りです。しかし、事実の位置づけは違います。あの日のデートは結果的に失敗に終わりました。雅子さんからは色よい返事が貰えなかったのですから、あの日の殿下の言葉が雅子さんを動かしたわけではありません。とてもプロポーズの言葉と言えるはずないんです」(宮内庁幹部)
「帰り際の雅子さんの言葉は「お断りすることがあっても構わないでしょうか」だった」
ある宮内庁担当記者がいう。
「肝心な部分がわかってないんです。例えば鴨場デートの後。雅子さんに断られ、その後もう一度出会いがセットされます。その間約一ヶ月の時間があるのですが、一体何があったのかわからない。皇太子殿下自らが電話攻勢をかけたと言われますがが、それなら8月の第一回デートから2か月もかけて鴨場デートにこぎつけた理由がわからない。「デート」以外の何かがあったはずで、皇太子の言葉に心を動かされたというような単純な話ではないことははっきりしています。いろんな人が動いたのは動いたことは間違いないんですがその辺りは全く不明のまま、ロマンスストーリーを書いてるわけです」
藤森長官が小和田家を説得。もし成功しなかったら旧華族関係者でまとまっていたかもしれない。
「お妃になるのは雅子の運命だと思うことにしました」(BY優美子)
本当に、鴨場で「お断りしてもいいですか」と言える小和田さんってすごい。私なら言えませんし、断るならその場で「嫌です」というでしょう。
それがいかにも気を持たせて「するようなことがあっても構いませんか?」という。全くもって品のない。
そして断っても毎日電話をかけられたら正直、引きます。怖いよね。ストーカーみたいで。何で美談に出来るのか。実はなぜお妃に内定したのか誰も知らなかったからというオチなんです。
「外交官の仕事も皇室でする仕事も国民のためという点では同じ」というような巧みな誘い言葉は皇后じゃないと思い浮かばないとは思うのですが「皇族」は仕事ではないということを皇后は全くわかっていなかったし、結婚する前から「あなたの好きな生活をすればいい」的な事を言っていたというなら、それは大きな間違い。
結果的に「皇太子妃になったらこんなにお得」と父親に説得されたのが雅子さんだと思っています。
「外務省の奴らを見返せるぞ」ってね。「外交官より偉い私」という地位には心動かされるでしょうね。宮殿に住んで贅沢し放題。先輩も上司もみーんなお辞儀をしてくるんだから・・・」